玉虫厨子(読み)たまむしのずし

精選版 日本国語大辞典 「玉虫厨子」の意味・読み・例文・類語

たまむし‐の‐ずし ‥ヅシ【玉虫厨子】

奈良県生駒郡斑鳩(いかるが)町の法隆寺にある宮殿型厨子。高さ約二・三メートル。飛鳥時代の作。柱などに打ちつけた金銅透(すかし)彫装具の下に玉虫の羽をはめ込んである。屋根は四注造の上に切妻造を重ねたような一種入母屋造で錣葺(しころぶき)、雲肘木(ひじき)を用い、当時の建築様式を示す。周囲は黒漆地に赤・緑・黄の線描中心の絵が描かれ、特に下方須彌(しゅみ)座左右に描かれた釈迦本生譚の捨身飼虎・施身聞偈の図は、同一画面中に時間的経過を表わす構図のすぐれたもの。国宝

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「玉虫厨子」の意味・わかりやすい解説

玉虫厨子
たまむしずし

奈良法隆寺に伝わる飛鳥(あすか)時代の厨子。国宝。現在は同寺大宝蔵殿に陳列。寺伝では推古(すいこ)天皇(在位592~628)が念持仏を祀(まつ)るため、日常座右に置いたものといわれているが、今日の研究ではそれよりすこし下って7世紀中ごろの作と考えられている。

 木造、漆塗り、総高226.6センチメートル。宮殿の形をした厨子の部分と、四隅に木の角柱を立て、板をはめ込んだ須弥座(しゅみざ)、それに台座の三つの部分からなる。長押(なげし)、柱、框(かまち)などには唐草(からくさ)文を透(すかし)彫りした精巧な金銅製金具を付すが、宮殿部の金具の下に玉虫の翅鞘(ししょう)が張り巡らされてあったところからこの名があり、一部にその跡がある。宮殿部は単層入母屋造(いりもやづくり)で、正面と側面に扉をつけ、軒に雲形肘木(ひじき)を配し、屋根は錣葺(しころぶ)きで、鴟尾(しび)をあげている。宮殿内部はすべて銅板打出し、鍍金(ときん)の押出(おしだ)し千体仏坐像(ざぞう)が張り付けてあり、もとは仏像が安置されてあったとする説と、この千体仏自体が本尊であったとする説とがあるが、両説とも確証がない(現在は別の金銅仏を安置する)。正面扉の2枚に二天王像、左右側面4枚の扉に四菩薩(ぼさつ)像。また宮殿部背面に鷲頭山(じゅとうせん)の舎利塔と羅漢(らかん)が描かれている。

 須弥座の正面は舎利供養図、背面には『海竜王経』を典拠とする須弥山(しゅみせん)図を描く。また須弥座の向かって右側は「捨身飼虎(しゃしんしこ)図」、左側は「施身聞偈(せしんもんげ)図」、いずれも釈迦(しゃか)の前生の物語である本生譚(ほんじょうたん)(ジャータカ)から題材をとって描いたもの。とくにこの本生図は細い伸びのある線を用い、表現も簡潔で、構図のまとめ方にむだがなく、肉身の部分には白色と朱とを混ぜた荏油(えのあぶら)に、乾燥を早めるために密陀僧(みつだそう)(一酸化鉛)を塗ったいわゆる密陀絵と漆絵の手法を併用している。これらの板絵はわが国最古の本格的な絵画の遺品として貴重なばかりでなく、建築・工芸のうえでも重要な価値を有するものである。

[永井信一]

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改訂新版 世界大百科事典 「玉虫厨子」の意味・わかりやすい解説

玉虫厨子 (たまむしのずし)

法隆寺に伝世の,須弥座(しゆみざ)に宮殿形をのせた漆塗りの厨子。透し金具の下に玉虫の翅鞘を敷いていたことから〈玉虫厨子〉と呼ばれてきた。厨子の本尊仏は今は失われているが,内部の押出千仏像や漆塗りの扉,壁面などに,密陀絵で描かれた絵画や装飾文様はよく残っている。絵画は浄土図,須弥山図,仏供養図が須弥座腰板,宮殿背面に描かれ,扉には菩薩や天部の立像が描かれている。そして須弥座両側面に描かれた〈捨身飼虎(しやしんしこ)〉〈施身聞偈(せしんもんげ)〉の本生図は,異時同図法によって描かれた日本最古の説話画である。これらの絵画はいずれも仏法への献身をあらわし,この厨子製作の背景に,ようやく定着しつつあった仏教への深い傾倒がうかがえる。厨子の用材のほとんどが日本産楠であるが,絵画や文様の様式には朝鮮系の特色がみられ,飛鳥時代の仏教美術全般に活躍した朝鮮渡来の技術者らの手になるものと考えられる。製作時期は,宮殿や須弥座の建築様式なども含めて,7世紀半ばと考えられる。国宝。高さ226.6cm。
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百科事典マイペディア 「玉虫厨子」の意味・わかりやすい解説

玉虫厨子【たまむしのずし】

法隆寺に伝わる宮殿形の厨子。装飾の透金の下にタマムシの翅をしくのでこの名がある。宮殿部と須弥(しゅみ)座に描かれた装飾画は大陸文化の影響の濃い飛鳥時代の特色を示す。特に《捨身飼虎(しゃしんしこ)図》《施身聞偈(せしんもんげ)図》は時間的推移を一図の中に描き込んでいる点で有名。
→関連項目飛鳥時代漆絵ジャータカ密陀絵

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「玉虫厨子」の意味・わかりやすい解説

玉虫厨子
たまむしのずし

法隆寺に伝わる飛鳥時代の厨子。高さ 2.33m。国宝。宮殿形の厨子とそれを載せる須弥座 (しゅみざ) の2部分から成る。木製黒漆塗りで,要所は金銅透かし彫の金具で飾られ,ことに宮殿形には透かし金具の下に玉虫の羽根を伏せてあることからこの名がつけられた。宮殿形は正面と左右に両開きの扉をつけ,二天王二菩薩像を描き,内部には金銅押出像を張る。建築の細部にいたるまで,法隆寺金堂などにみられる飛鳥建築の様式をそなえている。須弥座の正面には舎利供養,背面に須弥山,右側に『捨身飼虎図 (しゃしんしこず) 』,左側に『施身聞偈図 (せしんもんげず) 』と,仏典に基づく画題が彩漆 (いろうるし) で描かれている。内部の仏像は失われているが,飛鳥時代の建築,絵画,工芸史上貴重な遺品。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「玉虫厨子」の解説

玉虫厨子
たまむしのずし

法隆寺に伝わる檜製黒漆塗りの厨子。装飾の透彫(すかしぼり)金具の下に玉虫の翅鞘(ししょう)が貼られていることからこの呼称がある。4脚の基台に請花(うけばな)と反花(かえりばな)をもつ腰高の須弥座(しゅみざ)をすえ,その上に単層入母屋造錣葺(しころぶき)の宮殿(くうでん)部をおく。宮殿部と須弥座の側面には朱漆と密陀絵(みつだえ)の技法によって菩薩像・神将像・仏教説話などをいわゆる異時同図法を用いて描く。柱・長押(なげし)・框(かまち)などには唐草文を透彫した金銅製金具を貼り,宮殿内部の側面には金銅製の押出千体仏座像を貼りめぐらせる。制作年代には諸説あるが,7世紀後半との説が有力。747年(天平19)の「法隆寺伽藍縁起并流記資財帳」に記載される「宮殿像弐具」のうちの一具に相当するという説がある。総高226.2cm。国宝。

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旺文社日本史事典 三訂版 「玉虫厨子」の解説

玉虫厨子
たまむしのずし

奈良の法隆寺にある飛鳥時代の厨子(仏像・経巻などを安置する箱)
国宝。檜 (ひのき) 造の宮殿型の厨子で,高さ2m余り。まわりの透彫 (すかしぼり) 金具の下に1万近い玉虫の羽がしかれていた。台座の黒漆の地に朱・緑・黄の3色で描かれた絵(捨身飼虎 (しやしんしこ) 図・施身聞偈図・舎利供養 (しやりくよう) 図など)はこの時代の遺品として貴重。

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世界大百科事典(旧版)内の玉虫厨子の言及

【漆絵】より

…縄文晩期になると,おもに赤い漆で渦巻文,巴文などが計画的に配置される。絵画としての漆絵の最古のものは,法隆寺蔵の《玉虫厨子》とされる。壁面の絵は漆絵か密陀絵か異論があるが,筆致は漆線に似るといわれる。…

【漆工芸】より

…漆芸の世界でもそれまでのささやかな伝統は圧倒され,今までとはまったく異質でしかも高度な技術と置き換わった。その記念碑的作例が《玉虫厨子》であろう。素地に直接漆を塗り重ねて外観を整え,朱漆と密陀絵で仏画や忍冬(にんどう)文が描かれる。…

【タマムシ(玉虫)】より

…タマムシはその美しさで昔から親しまれてきた。また堅い翅は工芸にも適し,法隆寺の〈玉虫厨子〉は有名である。 タマムシ科Buprestidaeは世界から約6000種,日本からはウバタマムシ(イラスト),ヒシモンナガタマムシ(イラスト),クズノチビタマムシ(イラスト)など,約200種が記録されている。…

【密陀絵】より

…朝鮮金鈴塚からも新羅時代の密陀絵遺品が出土している。日本における古代の遺例は法隆寺釈迦三尊台座(623)や《玉虫厨子》である。両者の絵は密陀絵か漆絵か議論があるが,朱黄緑色の筆致には粘りがあるという。…

※「玉虫厨子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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