「アドリアノープル」の検索結果

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チェスニー Chesney, Francis Rawdon

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]1789.3.16. ダウン[没]1872.1.30. ダウンイギリスの軍人,探検家。 1805年イギリス砲兵隊に所属。 29年コンスタンチノープルに派遣されたのちエ…

アポロニオス・デュスコロス Apollōnios Dyskolos

改訂新版 世界大百科事典
2世紀アレクサンドリアのギリシア語文法学者。生没年不詳。古代・中世・ルネサンス初期に至るまで,文法学の権威と仰がれた。その著述は二十数巻を数…

ピレ‐もん【ピレ門】

デジタル大辞泉
《Gradska vrata od Pila》クロアチア最南端、アドリア海に面した都市ドゥブロブニクの旧市街にある門。城壁に囲まれた旧市街の西側に位置し、門の前…

コペル Koper

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
スロベニア南西部の都市。アドリア海のベネチア湾に面する港町で,イタリアのトリエステから南西に約 13km,築堤で本土と結ばれる円形の島に位置する…

コルナティ‐こくりつこうえん〔‐コクリツコウヱン〕【コルナティ国立公園】

デジタル大辞泉
《Nacionalni park Kornati》クロアチア南西部の国立公園。アドリア海に浮かぶ150もの島々からなるコルナティ諸島の南部とその周辺海域が国立公園に…

せいステパノ‐だいせいどう〔‐ダイセイダウ〕【聖ステパノ大聖堂】

デジタル大辞泉
《Katedrala sv. Stjepana》クロアチア南部、アドリア海に浮かぶフバル島の港町フバルにある大聖堂。16世紀から17世紀にかけて建造。後期ルネサンス…

ブロラ

百科事典マイペディア
アルバニア南西部,アドリア海岸のジリ・イ・ブローラス湾に臨む港湾都市。イタリア名はバロナValona。アルバニア第一の良港で,クツォベ油田から送…

ビザンティオン びざんてぃおん Byzantion

日本大百科全書(ニッポニカ)
アジアとヨーロッパを境するボスポラス海峡西岸に、紀元前668年あるいは前659年、メガラ人によって建設された植民市。現在のトルコのイスタンブール…

ジョヴァンニ コミッソ Giovanni Comisso

20世紀西洋人名事典
1895 - 1969 イタリアの作家。 トレビーゾ生まれ。 「コリエレ・デルラ・セーラ」紙の特派員として極東、ソ連などで活動し、1929年処女作「海の人…

三章書論争 さんしょうしょろんそう Three chapters controversy

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
6世紀に行われたキリスト教の神学論争。三章書とはモプスエスティアのテオドロスの人物と著作,キュロスのテオドレトスによるアレクサンドリアのキュ…

レオン3世(レオンさんせい) Leon Ⅲ

山川 世界史小辞典 改訂新版
685頃~741(在位717~741)ビザンツ帝国の皇帝。シリアのエルマニキア出身。ウマイヤ朝の小アジア侵略の時期にアナトリコン・セマの長官であったが,…

ゲリメル Gelimer

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
北アフリカのバンダル王国最後の王 (在位 530~534) 。親ビザンチン (東ローマ) の,いとこヒルデリックを廃して即位。 533年ビザンチン皇帝ユスチニ…

エフェソス公会議 (エフェソスこうかいぎ)

改訂新版 世界大百科事典
ネストリウス問題の解決のために431年,小アジアのエフェソスで開催された公会議。第3回公会議にあたり,皇帝テオドシウス2世が招集した。コンスタン…

バルカン‐はんとう(‥ハンタウ)【バルカン半島】

精選版 日本国語大辞典
ヨーロッパ大陸の南東部にある半島。西側はアドリア海・イオニア海に、東側は黒海に、南側はエーゲ海に面し、ボスポラス、ダーダネルス両海峡を隔て…

主教 しゅきょう bishop 英語 episcopos ギリシア語

日本大百科全書(ニッポニカ)
キリスト教の東方正教会、聖公会などでの用語で、ローマ・カトリック教会の司教に相当する。原語は監督者の意味で、監督とよばれることもある。キリ…

ステファヌス5世(6世) ステファヌスごせい[ろくせい] Stephanus V (VI)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]?. ローマ[没]891.9.14. ローマローマ出身の第110代教皇(在位 885~891)。貴族出身。教皇マリヌス1世(在位 882~884)により枢機卿(→カーデ…

ローマの女 ローマのおんな La romana

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
イタリアの作家アルベルト・モラビアの小説。 1947年刊。ネオレアリズモ文学の代表作の一つ。画家のモデルを職業とする貧しい娘アドリアーナが,ファ…

ブドバ(Budva)

デジタル大辞泉
モンテネグロ南西部の都市。アドリア海に面する。海岸保養地として知られるブドバリビエラの中心地。古代ギリシャ、古代ローマの町があったほか、4世…

テオドラ

百科事典マイペディア
東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世の妃。卑しい踊子の出と伝えられるが,525年結婚して2年後に夫が皇帝に即位すると女帝として君臨。532年コンスタ…

コンスタンティノポリス

精選版 日本国語大辞典
( [ギリシア語] Konstantinopolis 「コンスタンティヌスの都」の意 ) トルコのイスタンブールの旧名。三三〇年、ローマ皇帝コンスタンティヌス一世が…

Con・stan・tine /kάnstəntìːn | kɔ́nstəntàin/

プログレッシブ英和中辞典(第5版)
[名]1 コンスタンティン(◇男子の名).2 コンスタンティヌス1世[大帝](◇Constantine I,288?-337;通称 Constantine the Great;ローマ…

せいユーリ‐きょうかい〔‐ケウクワイ〕【聖ユーリ教会】

デジタル大辞泉
《Cerkev svetega Jurija》スロベニア南西部、アドリア海に面する港町ピランにある教会。町を一望できる小高い丘の上に建つ。14世紀建造。17世紀に改…

ボラ bora

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
山の斜面から吹きおろす風のうち,山麓や海岸に吹きおろしたとき,断熱昇温してもなお,そこに以前からあった空気よりも低温で,冷たく感じる風。元…

鉄のカーテン てつのカーテン Iron Curtain

旺文社世界史事典 三訂版
1946年に,イギリス保守党の党首チャーチルがアメリカのフルトン市で行った反ソ演説中の比喩「今日,バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリ…

ドゥレス どぅれす Durrës

日本大百科全書(ニッポニカ)
南東ヨーロッパ、アルバニア中西部の都市。ドゥラスともいう。アドリア海に臨み、同国随一の港湾都市。人口11万3900(2003推計)、11万3249(2011セ…

マチェラータ まちぇらーた Macerata

日本大百科全書(ニッポニカ)
イタリア中部、マルケ州マチェラータ県の県都。人口4万1020(2001国勢調査速報値)。アドリア海から21キロメートル内陸寄りにある標高314メートルの…

東イタリック方言 ひがしイタリックほうげん East Italic dialect

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
イタリア中部のアドリア海沿岸地方で発見された碑文 (古いものは前6世紀以前) によって知られる言語。2種類ある。完全には解読されていないが,イン…

アナドル‐ヒサル(Anadolu Hisarı)

デジタル大辞泉
トルコ北西部の都市イスタンブールにある要塞。ボスポラス海峡の幅が狭くなる部分のアジア側に位置し、対岸のルメリヒサルと対をなす。14世紀末、オ…

ミカエル5世 ミカエルごせい Michael V Calaphates

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]?[没]1042以後ビザンチン皇帝 (在位 1041~42) 。ミカエル4世の甥で,その退位後,即位するが,先帝の皇妃ゾエを軟禁したことにより首都コンスタ…

ソーマ(Rabban Bar Sauma)

デジタル大辞泉
[1220ころ~1294]元の大都(北京ペキン)生まれの、キリスト教ネストリウス派の僧。エルサレムへの巡礼を志し、1287年、イル‐ハン国から使節として…

コンスタンティヌス[1世]【コンスタンティヌス】

百科事典マイペディア
ローマ皇帝(在位306年―337年)。コンスタンティウス1世の子。ディオクレティアヌス退位後の混乱を収拾して帝国を統一した。ミラノ勅令を発して信教…

ヨハネス7世 ヨハネスななせい Johannes VII

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]?. ギリシア?[没]707.10.18. イタリア,ローマギリシア出身とされる第86代教皇(在位 705~707)。705年3月に教皇に選出された。聖母マリアへの…

ユリア(小) ユリア[しょう] Julia, Minor

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]前19頃[没]後28. トリメルス島古代ローマの政治家 M.アグリッパとユリアの長女。前4年頃 L.パウルスと結婚。パウルスが8年頃アウグスツス帝に対…

レオン(3世) Leon Ⅲ

旺文社世界史事典 三訂版
675ごろ〜741ビザンツ皇帝(在位717〜741)ウマイヤ朝イスラーム軍のコンスタンティノープル攻撃を撃退し,小アジア西部を回復した。その後,726年聖…

ブレミュデス Blemmydes Wikephoros

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]1197. コンスタンチノープル[没]1272ビザンチンの学者。第4回十字軍による占領で生地から小アジアに移り,ニカイアを中心に活躍。歴史家アクロポ…

メキタール Mechitar, Petro

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]1676[没]1749アルメニアの修道士,カトリック司祭。聖アントニウスの規則によるメキタール・ベネディクト会をコンスタンチノープルに創立した (1…

払菻 (ふつりん) Fú lǐn

改訂新版 世界大百科事典
南北朝から唐代にかけての中国人がシリア,パレスティナなどのローマ帝国東方領,あるいはビザンティン帝国の首都コンスタンティノープルを呼んだ名…

ギリシア解放戦争 (ギリシアかいほうせんそう)

改訂新版 世界大百科事典
1821-29年にかけて闘われたオスマン帝国からのギリシアの解放戦争。ギリシア革命またはギリシア独立戦争ともいわれている。1821年春,バルカン諸民族…

マクシモス まくしもす Maximus Confessor (580ころ―662)

日本大百科全書(ニッポニカ)
7世紀最大のキリスト教神学者、神秘家。コンスタンティノープルに生まれ、修道者となった。教皇マルティヌス1世Martinus Ⅰ(在位649~653)と協力し…

イシドロス[ミレトス] Isidōros of Miletus

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
6世紀前半に活動したギリシアの建築家。ユスチニアヌス1世 (在位 527~565) の治下に,トラレスのアンテミウスとともにハギア・ソフィアをコンスタン…

マリンコビッチ まりんこびっち Ranko Marinković (1913―2001)

日本大百科全書(ニッポニカ)
旧ユーゴスラビア、クロアチアの小説家、劇作家。故郷のダルマチア地方を舞台として、アドリア海沿岸や島の人々の生活と心情を機知と風刺に富んだバ…

アレクシオス(1世) あれくしおす Alexios Ⅰ Komnenos (1048―1118)

日本大百科全書(ニッポニカ)
ビザンティン帝国皇帝(在位1081~1118)。小アジアの大土地所有豪族の出で、イサキオス1世Isakios Ⅰ(?―1061、在位1057~1059)の甥(おい)。マケド…

ニケフォルス3世 ニケフォルスさんせい Nicephorus III Botaneiates

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ビザンチン皇帝 (在位 1078~81) 。小アジアの軍人貴族出身で,テマ・アナトリコンの軍管区長官となる。 1078年1月スルタン,スレイマンの援助を受け…

アッピア街道【アッピアかいどう】

百科事典マイペディア
古代ローマの幹線道路で,Via Appiaという。ローマからカプア,タレントゥムを経てイタリア東岸,アドリア海に面するブルンディシウム(現,ブリンデ…

ゼマルコス

百科事典マイペディア
6世紀のビザンティン帝国の将軍。絹貿易の交渉で568年にコンスタンティノープルにきた突厥(とっくつ)使節の帰国にあたり,ユスティニアヌス2世の命…

びらあどりあーな【ビラ・アドリアーナ】

改訂新版 世界大百科事典

ヤコブ・バラダイオス Iakōb Baradaios 生没年:500ころ-578

改訂新版 世界大百科事典
シリアの単性論派教会であるヤコブ派教会の設立者。ユーフラテス川上流地方の出身。修道士となり,ニシビスの神学校で学んだ。単性論派に対する弾圧…

プレベザの戦 (プレベザのたたかい)

改訂新版 世界大百科事典
プレベザPrevezaはアドリア海の入口,イオニア海の東岸,アルタ湾に面する一都市。1538年オスマン帝国のスルタン,スレイマン1世は,カプダン・パシ…

ルビコン‐がわ〔‐がは〕【ルビコン川】

デジタル大辞泉
《Rubicon》古代ローマ共和政時代に、属州ガリアとイタリアとの境をなした川。ラベンナ付近でアドリア海に注ぐフィウミチーノ川に比定される。前49年…

ピアベ[川] Piave

改訂新版 世界大百科事典
イタリア北部,ベネト地方の川。全長220km。第1次大戦中イタリア軍がオーストリア軍の南進をこの川岸で阻止した〈ピアベの戦〉で知られる。カルニア…

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