公界(読み)クガイ

デジタル大辞泉 「公界」の意味・読み・例文・類語

く‐がい【公界】

表向き。晴れの場所公儀
述懐私事わたくしごと弓矢の道は―の義」〈太平記・一九〉
世間。人なか。人前ひとまえ
何事が起こった。こりゃここは―ぢゃぞ」〈浄・生玉心中
苦界くがい2」に同じ。
「子細ありて郭中かへり、二たび―を勤めけるが」〈色道大鏡・九〉

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精選版 日本国語大辞典 「公界」の意味・読み・例文・類語

く‐がい【公界】

〘名〙
① 私(わたくし)の世界に対する、共同の世界。人々が共存する生活の場。共同の場として公平・公明性をもつ世界。世間。公衆。表向きの場。晴れの場。人なか。
※正法眼蔵(1231‐53)看経「手炉は院門の公界にあり」
※太平記(14C後)一九「述懐は私事、弓矢の道は公界(クガイ)の義」
② 世間一般で行なわれていること。通法。〔禅鳳伝書‐毛端私珍抄(16C前)〕
※三内口決(1579頃)「単皮事、〈略〉乍去家僕等随意着用之段者、任公界之儀事候」
③ 人と交わること。交際。つきあい。転じて遊女の客勤め。後に、「遊女のつらい境遇」の意にかけて、「苦界」の語も生じた。→苦界(くがい)②。
※俳諧・独吟一日千句(1675)第四「くかいにすめば月も格別 花は盛けふも買るる大夫様」
※評判記・色道大鏡(1678)九「小藤子細ありて郭中へ還り、二たび公界(クガイ)を勤めけるが」
[語誌](1)中世の禅宗関係の書「正法眼蔵‐行持下」「衆寮箴規」などでは、仏道を修行する僧たちが集まる公の場という意味で用いられており、これが一般にも広まっていろいろな意味を表わすようになったと思われる。右の公の場、または公のこと、という意味から、晴れの場、または公的な用事という意味が生じるが、中世の「公界者」「公界人」などのことばには、公という意味から、特定の個人・権力に隷属しない自立した人間といった意味合いも認められる。
(2)一方、公の意味から公衆、世間、人なか、の意味が生じ、③の人との交際などの意味をも示すようになる。
(3)人との交際は苦しみをともなうものであり、ここから、一般的には使用度の少ない「公(く)」よりも、意味も理解しやすい「苦(く)」と結びつけた「苦界」の形が広く用いられるようになる。このことには、仏教語としての「苦界」(苦悩の絶えない世界の意、六道生死の境界)の存在も関係していると思われる。

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改訂新版 世界大百科事典 「公界」の意味・わかりやすい解説

公界 (くがい)

鎌倉時代,禅宗寺院で用いられた言葉として,まず現れる。公共のものをさし,井田の中央を公界といったともいうが,無学祖元の〈円覚公界〉という表現,〈雲堂公界の坐禅〉(《正法眼蔵》),〈公界人〉(東福寺文書)などの用例からみて,俗界から離れた修行の場や修行僧を意味するものと思われる。南北朝時代には〈述懐ハ私事,弓矢ノ道ハ公界ノ義〉(《太平記》)のように,私事に対する公をさす語として,一般的に使われはじめ,室町・戦国時代に入ると,公界は世間・公衆の意味で,内々,内証に対する言葉として広く用いられるようになった。それとともに,公界者,公界衆は私的隷属民(下人,所従)とは異なる遍歴の職人,芸能民をさし,遍歴の算置(さんおき)が公界者に手をかけることを昂然と拒否したような(狂言《居杭(いぐい)》),積極的な意味を持つようになる。私的な氏寺とは異質な公界寺の公界僧は〈能〉を持つことが期待されたが,こうした寺は無縁所ともいわれ,若狭の正昭院のように,諸役免許,大名の代官不入を保証され,しばしば科人(とがにん)の駆入りを認められたアジールとしての機能を備えていた。相模の公界所江嶋の人々は他人を主とすることを禁じられ,そこは世俗争いの及ばない平和な場だったのである。また伊勢の大湊,山田の会合衆(えごうしゆう)がみずからを公界といい,小領主たちの自治的な一揆を公界といったように,それは自治都市,自治体そのものをさす語にもなっており,日本における自由と平和を意味する言葉になる可能性を秘めていたといってよい。

 しかし公界往来人が私的な主従関係を断ち切られ,追放された人を意味したように,公界に生きることは貧苦と結びつく一面があった。江戸時代になると,公界はなお,表向き,世間,人中などの意味でも用いられたが,むしろ圧倒的に遊郭や遊女をさす言葉になっていく。そしてしばしば転じて〈苦界〉と表現され,公界という言葉自体,やがて忘れられていった。そこに日本の社会自体の変化の過程をよくうかがうことができる。
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百科事典マイペディア 「公界」の意味・わかりやすい解説

公界【くがい】

初めは鎌倉時代の禅寺で公共のものをさす語として用いられ,南北朝時代以降は〈内〉〈私〉に対して〈世間〉〈公〉の意味で広く一般に使われた。戦国時代になると他人を主とすることを禁じられた相模江の島を〈公界所〉,《結城家法度》で個々の私的支配下にはない寺院を意味した〈公界寺〉など,縁切り・無縁の意味合いを含み,俗界から隔離された聖なる場所(アジール)を示す語として用いられた。また伊勢大湊・山田(現,伊勢市)の会合(えごう)衆が自らの自治組織を公界と称したように,16世紀の自治都市をさす語ともなった。近世には〈世間〉の意のほか,遊郭・遊女をいう言葉となり,これには〈苦界〉の文字があてられた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「公界」の解説

公界
くがい

世間・共同体・社交などを意味する言葉。公界の「公」は,私に対する広義の公で,公界は,私の世界に対置された,個々の私的利害の通用しない人と人との共同関係によってなりたつ世界を意味した。中世後期において,公界者は,特定の人に従属しないで世間に奉仕する遊女・陰陽師(おんみょうじ)などをさし,公界は世間という言葉より一般的に使用された。またこの時代,地方都市,町や村,一揆集団などの共同体がうまれると,これらも公界と称された。人と人との共同関係を表す公界という言葉は,近代の方言としても,富山県の公界上手(社交上手),沖縄県のクゲー(社交上の宴会)など全国的に分布する。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「公界」の意味・わかりやすい解説

公界
くがい

無縁

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世界大百科事典(旧版)内の公界の言及

【大湊】より

…65年(永禄8)11月9日から12月10日までの間に入港船数113艘,銭34貫870文に及ぶ。大湊公界(くがい)と称し自治都市であることを顕示し,老若(ろうにやく)(老分・若衆)の合議組織で24名の会合(えごう)衆があり,入港税徴収は1組3名が日々交代で番にあたった。近郷と〈浜七郷〉の惣を形成していた。…

【義理】より

…ことに葬式の際の訪問や会葬することを単に義理と称するところが多い。公けとか世間を意味するクガイという言葉も同様の意で用いられ(公界(くがい)),またはギリクガイなどと併用し親族以外の者が親族並みに正装して葬儀に参列することを指す地方も各地にみられる。また当然のことながら,葬儀の時以外にも用いられ,田植や屋根葺きなどを無償で手伝うことをギリあるいはオツキアイと言う地方もあり,互酬性が期待できる村内生活ならではの用法であろう。…

【自由】より

… ひるがえって,liberty,freedomの語義についてもさまざまな論義があるが,その語源が共同体の成員権を意味するという説に立つならば,日本の場合も,古代の平民(公民),中世の平民百姓,近世の百姓はみな自由民ということも可能であり,この場合の自由は私的な隷属を拒否し,みずからを奴隷―不自由民から区別する自由ということになる。またそれを共同体からの自由と解するならば,日本の中世においても,身寄りのない貧しさを意味する語として広く使われた〈無縁〉という言葉は,転じて親子・主従等の縁を積極的に切った自由な境地を示す語となり,私・内証(ないしよう)に対する公・世間を意味する〈公界(くがい)〉の語は,私的な縁・保護を断ち切る自由を示す言葉として用いられ,戦国時代に用いられている〈楽〉〈十楽(じゆうらく)〉も,同様な意味をもったといってよい。しかし江戸時代に入ると,無縁は貧困を意味するもともとの語義にもどり,公界は苦界に,〈らく〉は一部地域の被差別民の名称となっていった点に,さきの〈自由〉の語義のマイナス評価とも関連する日本の社会の問題がひそんでいるといえよう。…

【中世社会】より

…しかし南北朝期以降,商人,手工業者,芸能民,さらにそのそれぞれの職能の分化が進み,一方では商人を別として,多くの職人は本拠地の津,泊,渡などに〈屋〉を構えて集住,あるいは河原・中州などに立つ市・宿に定着し,遍歴の範囲を狭めていった。こうして,元来アジール的な性格をもつそのような場に,みずからを公界(くがい)と称する自治体,会合衆(えごうしゆう)などに指導される自治的な(都市)が成長していくのである。
【下人】
 平民,職人と異なり,特定の主の私的な保護・隷属の下におかれ,売買・譲与された不自由民(下人あるいは所従(しよじゆう))が社会のなかでどの程度の比重を占めていたかは明らかでない。…

【道】より

…とくに近世に至り,町と町を結ぶ便利な道が多く敷設されるようになって,古代の道はとぎれ,廃道化する傾向が著しくなったようである。【和田 萃】
【中世の道の性格】
 〈公界(くがい)の大道〉〈公界の道〉など,戦国時代の用例から見ても明らかなように,道路は〈公界〉であり,私的な支配を拒否する本質をもっている。それゆえ平安時代以来,〈大道〉はしばしば田畠の四至(しいし)を示すになり,また摂津と播磨の境を〈不善の輩〉が往反したといわれるように,境はそれ自体道となりえたのである。…

※「公界」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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