出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
古代,奈良県吉野地方にいた土着の住民。国樔,国巣とも書き,国栖人ともいう。《古事記》《日本書紀》で神武天皇の伝説中に石押分(磐排別)(いわおしわけ)の子を〈吉野国巣の祖〉と注しているのが文献上の初見。《日本書紀》応神19年条に,吉野宮へ行幸したときに国樔人が来朝し,醴酒(こざけ)を献じて歌を歌ったと伝える。同条では人となり淳朴で山の菓やカエルを食べたという。その後国栖は栗・年魚(あゆ)などの産物を御贄(みにえ)に貢進し風俗歌を奉仕したようで,《延喜式》では宮廷の諸節会や大嘗祭において吉野国栖が御贄を献じ歌笛を奏することが例とされている。これを〈国栖の奏〉というが,平安後期以降しだいに廃絶していった。現在では吉野町大字南国栖の浄見原神社で毎年旧正月に国栖奏を奉納する。国栖の地には中世に国栖荘があり,近世には厚手の国栖紙を産出した。なお《常陸国風土記》でも土着の先住民を〈国巣〉としているように,国栖は異俗をもつ土着先住の民の通称でもあった。
執筆者:佐藤 信
能の曲名。四・五番目物。作者不明。前ジテは国栖の老人。後ジテは蔵王権現。国栖というのは古代の吉野の山人の族名。浄見原(きよみばら)の天皇(天武天皇)(子方)は,大友皇子の襲撃を避けて吉野山に分け入る。川舟を操る老人夫婦(前ジテ・ツレ)の家にかくまわれた天皇は,焼いてくれた国栖魚で食事をし,片身を残して老人に下げ渡す。見ると魚は生き生きとしているので,老人が占いをしてみようと川に放すと,魚は生き返って泳いで行く(〈鮎ノ段〉)。そこへ追っ手がかかるが,老人は舟底に天皇を隠し,言葉たくみにあしらった末,おどしつけて追い返す。夜に入ると天女(ツレ)が現れて舞を舞う(〈下(さが)リ端(は)ノ舞〉)。蔵王権現も現れて威力を示し,天武の御代の将来を祝福する(〈ノリ地〉)。〈鮎ノ段〉とそれに続く老人のかけひきが中心。下リ端ノ舞は他の能にない舞事(まいごと)である。
執筆者:横道 万里雄
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