大里(読み)おおざと

日本歴史地名大系 「大里」の解説

大里
おおざと

[現在地名]山城町大字上狛 大里

上狛かみこまの北部にあり、中世の環濠集落として知られる。現集落木津きづ川右岸、東から西へ延びる舌状台地西端の微高地に位置し、中央を南北に奈良街道が通る。この道を南進すると旧木津渡口に達し、渡口付近で奈良街道と分れて木津川河岸を東進すると伊賀街道をひかえる。当地の東北側の丘陵は和束わづか(現和束町)への尾根道の古道である。

室町期には興福寺領狛野こまの庄の南庄の中心集落であった。文明一五年(一四八三)四月の上津狛下司と佐川勢との合戦(大乗院寺社雑事記)は、詰の城である高之林たかのはやし城とともにこの集落でも戦われたと思われる。大里辺りにあったと考えられる城は、同一七年一〇月の東西両軍南山城対陣に際しての西軍畠山義就方の城一〇ヵ所の一つとして「狛下司之跡之城」があり、「古市ハ狛城之西取野陣」とみえ(同書同年一〇月一三日条)、明応三年(一四九四)一〇月五日には「自河内木沢罷入山城国、古市方勢共出之、則引退了、木沢ハ入狛新城了」とみえる(同書同日条)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大里」の意味・わかりやすい解説

大里
おおざと

沖縄県沖縄島南部,南城市北西部の旧村域。島尻地域のほぼ中央,内陸に位置する。2006年玉城村,知念村,佐敷町と合体して南城市となる。旧村名は近世以来の間切(まぎり。行政区画)名による。第2次世界大戦の激戦地の一つ。丘陵性の土地でサトウキビ栽培,養豚,乳用牛飼育が行なわれる。那覇市のベッドタウンとして人口増加が著しい。北東部に山南王(南山王)の一族である大里按司居城を中心とした大里公園がある。

大里
おおさと

埼玉県北部,熊谷市南東部の旧町域。荒川中流右岸にある。 1955年吉見村と市田村が合体して大里村が成立。 2002年町制。 2005年熊谷市,妻沼町と合体して熊谷市となった。荒川の沖積低地にあり,米作地帯の一部をなす。古くから開発された土地で,条里制遺構がみられる。

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改訂新版 世界大百科事典 「大里」の意味・わかりやすい解説

大里(埼玉) (おおさと)

大里(沖縄) (おおざと)

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事典・日本の観光資源 「大里」の解説

大里

(大阪府豊能郡能勢町)
美しい日本のむら景観100選指定の観光名所。

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