梵釈寺(読み)ぼんしやくじ

日本歴史地名大系 「梵釈寺」の解説

梵釈寺
ぼんしやくじ

[現在地名]蒲生町岡本

岡本おかもと集落の東方にある。天龍山と号し、黄檗宗。草創についてはつまびらかではない。江戸時代初期には古仏を安置する小庵であったが、天和年中(一六八一―八四)正明しようみよう(現滋賀県日野町)住持晦翁が復興を企て、岡本村の領主であった旗本奥田八郎右衛門の後援を得て本堂以下の堂舎を整備したと伝える。享保一三年(一七二八)翠峰のとき萬福まんぷく(現京都府宇治市)の末寺となった(寺蔵文書)

梵釈寺
ぼんしやくじ

桓武天皇が曾祖父天智天皇を追福するため近江大津おうみおおつ(現滋賀県大津市)の故地に建立した寺院。「続日本紀」延暦五年(七八六)一月二一日条には滋賀郡に初めて「梵釈寺」を造立したことがみえ、同一四年九月一五日の桓武天皇の勅(類聚三代格)に梵釈寺造立の理由として「上奉七廟臨宝界」とあり、天智天皇追福の意図を示すものとみられている。「続日本紀」同七年六月九日条には下総・越前二国の封戸各五〇戸を梵釈寺に施入したことがみえ、しだいに寺容を整えつつあったことが判明する。

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改訂新版 世界大百科事典 「梵釈寺」の意味・わかりやすい解説

梵釈寺 (ぼんしゃくじ)

近江国大津にあった寺。寺址は確定していないが,崇福寺址(大津市滋賀里(しがさと))南方の大形(おおがた)とする説が有力である。786年(延暦5)桓武天皇の草創で,長岡京遷都にあたって四天王の加護を願い,曾祖父天智天皇の故地に建立した。当初は四天王寺と称したが,795年(延暦14)ころには梵釈寺と号し,堂塔の整備や封戸・水田・修理料の施入が行われ,禅師10人が置かれて王城鎮護の寺としての完成をみた。所蔵の典籍は,経営に力のあった等定(とうじよう)によって充実し,最澄は修行時代に《円頓止観》を借覧するなど有数の存在として知られ,以後唯識の学匠常騰(じようとう)(740-815),嵯峨天皇行幸時に茶を献じた永忠(742-816),円珍受法の師徳円ら学匠が止住し,名声は高まった。宇多天皇は十数回参詣し,梵釈寺僧に命じて四王像を造り,宮中に安置している。平安時代中期には園城(おんじよう)寺の末寺となり,1163(長寛1)叡山との抗争で堂塔は焼失,鎌倉時代末期には廃寺となった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「梵釈寺」の意味・わかりやすい解説

梵釈寺
ぼんしゃくじ

786年(延暦5)桓武天皇が近江国滋賀郡に建立した寺院。近江遷都翌年の668年(天智7)に、桓武天皇の曽祖父に当たる天智天皇が建立したと伝えられる崇福寺(すうふくじ)に近接して建立したと考えられる。現大津市西北部の滋賀里町に位置する崇福寺跡の一角に所在したとする説がある。788年に下総・越前2国の封戸(ふこ)各50戸が施入され、また791年に近江の水田10町が寄進されて、修理・供養の費用に充てられた。当寺は「山水の名区を披きて、禅院を草創す」といわれるように、僧の修行を目的として建立された山林寺院であり、比叡山麓の尾根に立地する崇福寺と同様に、僧の修行を目的として建立されたと考えられる。795年には十禅師が置かれ、寺院の運営を担う三綱(さんごう)もそのなかから選ばれた。803年には当寺別当の常騰が崇福寺を検校した。平安期に園城寺(おんじょうじ)(三井寺)の寺門派に属したことから、延暦寺の山門派との抗争の中で被害を受け、次第に衰退した。

[本郷真紹]

『福山敏男著『日本建築史研究』(1973・墨水書房)』

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世界大百科事典(旧版)内の梵釈寺の言及

【崇福寺】より

…この寺の廃絶後桓武天皇がこの地に臨みこの寺を復興させた。小金堂,塔,弥勒堂のほかに中央台地より谷をへだてた南に金堂と講堂と現在よんでいるより規模の大きな堂宇もつくられ,これらすべてを梵釈寺とよんだとも考えられる。泥塔,緑釉陶,須恵器硯をはじめ平安時代の瓦が全域で検出される。…

【チャ(茶)】より

…【梅原 郁】
[日本]
 日本に喫茶の風習が伝えられたのは,平安初期の入唐僧たちによってであった。そのひとり,近江梵釈寺の永忠は815年(弘仁6)4月,同寺に嵯峨天皇を迎え,茶を煎じて献じている。《日本後紀》に見えるこの記事は日本最初の喫茶史料というべきものだが,当時の唐風文化にあこがれる知識層の間に喫茶が流行したことは,《凌雲集》以下の漢詩文集でうかがうことができる。…

※「梵釈寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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