改訂新版 世界大百科事典 「ミュジックコンクレート」の意味・わかりやすい解説
ミュジック・コンクレート
musique concrète [フランス]
1948年,当時パリのフランス国営放送の音響技術者であったシェフェールが実験を開始し,49年に名称をつけた音楽の新しい領域で,〈具体音楽〉と訳されることがある。すなわち,ミュジック・コンクレートは録音テープ(当初は録音盤)に録音したなんらかの〈具体音〉を素材とし,それを機械的・電気的に操作・処理して音楽作品を作るものである。シェフェールによれば,伝統的な音楽は抽象的な音(楽音)を用いて具体的な表現を達成するが,ミュジック・コンクレートは具体音を用いて抽象的表現を達成しようとする。彼は最初のミュジック・コンクレートによる音楽会を,50年パリで開催,51年には国営放送内にミュジック・コンクレート研究集団を創設,52年には論文《ミュジック・コンクレート研究》を,また53年にはドナウエッシンゲン音楽祭でアンリPierre Henry(1927- )との共作のオペラ《オルフェ53》を発表するなどして,急速にこの新しい分野を世界的に認知させていった。彼の初期の作品には,ほかに《鉄道のエチュード》(1948),《メキシコの笛による変奏曲》(1949)などがある。またメシアンの《音色-持続》(1952),ブーレーズの《エチュードⅠ・Ⅱ》(1952)などの作品もある。
ミュジック・コンクレートは,機械的・電気的に処理され,録音テープに定着され,また演奏者不在の音楽という意味では,1950年に西ドイツのケルン放送局で実験が開始された電子音楽と似ているが,電子音楽は出発点においては抽象的な電気的に発生させた音を素材としており,その意味では伝統的な音楽における作曲行為の理念を継承しており,両者はまったく立脚する美学を異にしていた。しかし,50年代後半に入ると,シュトックハウゼンの《若者たちの歌》(1956)やL.ベリオの《ジョイス礼賛》(1958)のように,電気的に発生された音以外に具体音(上記2作では人声)をも素材とする電子音楽が数多く作曲されるようになり,依然として異なる美学を主張し,反発し合いながらも,両者の区別は実質上しだいにあいまいになっていった。したがって,今日では一般に両者とも包括的に〈テープ音楽〉などと呼ばれている。しかしながら,このような新しい音楽の領域の出現は時代の要請でもあり,五月革命の起こった68年以来,シェフェールはパリ音楽院で教授としてミュジック・コンクレートの講座を担当している。
日本ではシェフェールの動きとは無関係に武満徹が同様の音楽を発想していたが,パリ留学で実際にミュジック・コンクレートに触れた黛敏郎(1929-97)の帰国後,本格的な作品が作曲されるようになった。日本における初期のミュジック・コンクレートとしては,黛敏郎の《XYZ》(1953),柴田南雄(1916-96)の《立体放送のためのミュジック・コンクレート》(1955),武満徹の《ルリエフ・スタティク》(1955)などがある。
→現代音楽
執筆者:武田 明倫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報