アラゴン(スペイン)(読み)あらごん(英語表記)Aragón

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アラゴン(スペイン)」の意味・わかりやすい解説

アラゴン(スペイン)
あらごん
Aragón

スペイン北東部の地方名。サラゴサウェスカテルエルの3県からなる。面積4万7600平方キロメートル、人口120万4215(2001)。北側は東西に走るピレネー山脈に、南西側はイベリア山系に、南東側は地中海岸に並走するカタルーニャ山脈にくぎられた構造盆地。盆地底は180~300メートルの台地と、狭いエブロ川沖積低地からなる。台地は緩い階段状になってエブロ川に臨み、その支流によってよく開析されている。気候は大陸性で、年降水量は300ミリメートル程度、長い乾期があるため森林は少なく、ステップが広がる。北のやや湿度の高い地域では、夏にピレネーへ移動する移牧が行われている。ピレネー山脈の水源を利用した大規模な灌漑(かんがい)用運河、貯水池がつくられ、スペインの灌漑畑の20%はこの地域にある。人口は散在し、密度は低く、人口流出が激しいが、大集落はエブロ川沿いに集中している。アラゴン王国の首都であったサラゴサは大都市で、機械、化学、食品工業がある。

[田辺 裕・滝沢由美子]

歴史

古代ローマの支配のころはヒスパニア・キテリオルに属し、詩人マルシアルを生み、西ゴート時代は聖イシドロの思想継承地であった。714年イスラムが侵入、北部ピレネー高地で住民の激しい抵抗を受けた。8世紀末からフランク辺境伯領となるが、875年リバゴルサ、パリャルス両地方が自治特権を得、サラゴサのイスラムもコルドバから独立しようとした。10世紀ナバラ王の支配下に入るが、サンチョ3世の私生児ラミロがリバゴルサ、ソブラルベを支配してアラゴン王国の祖となった。とりわけ9世紀初頭からイスラムとの攻防の地であったリバゴルサ渓谷を占領したことは、その後のレコンキスタ(国土回復戦争)を大きく前進させることとなった。1118年アルフォンソ1世(在位1104~1134)がサラゴサとエブロ渓谷を占領、ラミロ2世は王女をバルセロナ伯と結婚させて、1164年カタルーニャを併合した。13世紀、ハイメ1世(在位1213~1276)がバレアレス諸島とバレンシア地方を従えてアラゴン王国が完成。ついでフェルナンド2世がカスティーリャ王エンリケの妹イサベルと結婚して(1469)アラゴンとカスティーリャが合体し、イベリア半島を統一した。だが旧体制を保持したままの両王国が完全に一つの王国になったのは、カルロス1世の時代であった。16~17世紀は、旧特権を行使しようとする貴族反乱やモリスコ追放など、社会不安が増大した。18世紀初めブルボン朝のフェリペ王座についた。スペイン継承戦争では、アラゴンが支持していたカルロス大公がアルマンサの戦い(1707)に破れ、アラゴン王国時代の古い諸特権を失った。以後、カルロス3世の運河建設(1788)、アランダ伯などの政治家、知識人による経済再建計画の提案もあったが、十分な成果は得られなかった。20世紀初め、サラゴサはアナルコ・サンジカリストの強力な砦(とりで)となった。

[丹羽光男]

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