コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

エレクトロニクス えれくとろにくす electronics

翻訳|electronics

6件 の用語解説(エレクトロニクスの意味・用語解説を検索)

知恵蔵の解説

エレクトロニクス

電子の性質を利用する技術をまとめてこう呼ぶ。日本語では電子工学の用語を当てる。広義には、真空内または固体内で電子が示す現象を直接利用する各種の電子部品(電子管、半導体、磁性体、誘電体などを用いた素子や部品)とそれに関連する技術、それらの部品を応用するシステムや機器(コンピューター通信機器テレビVTRなど)とその技術をすべて含む。狭義には、電子部品や素子と、それに関する技術のみを指すことが多い。

(荒川泰彦 東京大学教授 / 桜井貴康 東京大学教授 / 2007年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

エレクトロニクス(electronics)

電子工学」に同じ。エレクトロニックス。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

エレクトロニクス

電子工学,電子技術などと訳す。電子の流れを利用した電子管,半導体素子等およびこれらの応用に関する学問。20世紀初めの二極管,三極管の発明により,ラジオ無線通信の技術が発展,第2次大戦後トランジスター,半導体の開発とあいまって,レーダー,テレビ,電子顕微鏡マイクロ波通信メーザーコンピューターなど応用分野の著しい拡大により独立工学としての地位を確立した。
→関連項目エレクトロセラミックスオートメーションオプトエレクトロニクス技術革新高純度金属電気工学日本メディカルエレクトロニクス

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

エレクトロニクス【electronics】

電子工学ともいう。トランジスター,電子管,レーザーなどのように電子のもつ運動エネルギー位置エネルギーなどを利用して電気信号の発生,増幅,制御を行う素子,いわゆる電子デバイスを中心とする工学の一分野をエレクトロニクスと呼ぶ。電子デバイスそのものを対象とするばかりでなく,電子デバイスを利用した電子回路,それらを組み合わせた電子システムをも対象とする広い分野である。とくに1950年代前半までの真空管を対象とする電子管工業,その後真空管に代わるトランジスターなどを対象とする半導体工業の発展は目覚ましく,電気通信テレビジョン,コンピューターと多くの応用分野を作り出している。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

エレクトロニクス【electronics】

電子工学。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

エレクトロニクス
えれくとろにくす
electronics

エレクトロニクスとは


 電子工学(およびその応用である電子工業)と訳される工学の一分野。エレクトロニクスということばは1930年にアメリカのラジオ技術誌の誌名として登場し、電波戦ともいわれた第二次世界大戦のころから、電気工学に含まれていたその分野の独立とともに定着してきた。語源はエレクトロン(電子)からきている。日本ではJIS(ジス)(日本工業規格)の用語となっているが、学術用語としては電子工学を用いている。もともと第二次世界大戦後、アメリカ軍の進駐によって訳語として広まったが、公式には1957年(昭和32)に電子工業振興臨時措置法に使われたのが最初である。1967年にはこれまでの電気通信学会が電子通信学会と改称し、さらに1987年には電子情報通信学会へと進展する。なお、アメリカでエレクトロニクスということばが学会名として登場したのは、アメリカ電気学会(AIEE)とラジオ工学会(IRE)が電気電子学会(IEEE)として統合された1963年のことである。
 アメリカの電気電子学会はエレクトロニクスを「電子デバイスで構成された科学技術とその応用をいう」とし、JISでは「科学技術の一部門で、真空、ガス、半導体現象、および同現象を応用した装置ならびにその応用技術」と定義している。アメリカのIREが1950年に今日の定義をつくった翌々年に、これだけではエレクトロニクスの性格づけには不十分であるとして、エベリットWilliam L. Everitt(1900―1986)は同学会誌に「情報を収集処理し、これを必要な場所に送り、そこで機器を制御したり、直接人間に役だつ情報を提供するもので、人間の感覚や頭脳を補うことに関する科学技術である」とすべきだと提案している。今日では装置に重点を置いた見方と、機能に重点を置いた見方の両者を含めたものとして理解されている。
 エレクトロニクスの分野は第二次世界大戦後急速に発展、成長し、そのことばを冠した学問、技術が1950年代後半に相次いで現れた。たとえば、トランジスタなどの素子を1枚の基板に組み込んだ集積回路(IC)の開発により登場したマイクロエレクトロニクスは、大規模集積回路(LSI)や超大規模集積回路(超LSI)と半導体製造技術の進歩と相伴って進展している。1954年ごろから、のちにレーザーに進展するメーザーが開発され、分子や原子の誘導放射を利用する学問として量子エレクトロニクスが現れ、1955年には光素子と電子素子を結合した光エレクトロニクス(オプトエレクトロニクス)も生まれ、今日広く使われるようになっている。医用電子工学と訳されているメディカル・エレクトロニクス(ME)は、テレビの開発者として有名なツウォリキンが1956年に提唱したもので、1958年には国際学会が発足している。1970年代には新たに、電力制御など大電流を制御するエレクトロニクスの意味でパワーエレクトロニクスが生まれ、機械とエレクトロニクスを結合させて在来の機械にない性能をもたせたメカトロニクスが生まれた。また、1960年代からのバイオテクノロジーの進歩に伴って、生物機能や分子的な働きを電子工学的に模擬したバイオエレクトロニクスや分子エレクトロニクス(1981)が生まれ、電子1個まで対象としたメゾスコピック・エレクトロニクス(1985)が提唱され新しい機能素子を提供している。
 他方、第二次世界大戦直後に生まれた電子計算機は、従来の機械計算機の面目を一新し、半導体技術の進歩ともあいまって急速に成長する。今日では、電子計算機よりもコンピュータという名称で広く親しまれている。1970年代初めマイクロコンピュータが生まれ、これは後にパーソナルコンピュータ(パソコン)として家庭内に浸透する。同じころ、光エレクトロニクスの寵児(ちょうじ)ともいえる光ファイバーが生まれ、情報の大容量伝送を可能とした。その後、コンピュータの性能が飛躍的に向上し、大容量伝送可能なネットワークが世界に張りめぐらされたことから、電子メディアによるデジタルの時代が招来され、IT (情報技術) 革命が提唱された。電子郵便(Eメール、電子メール)の普及から始まり、電子マーケットがインターネット上に登場、さらには電子ブック、電子ジャーナル、電子図書館、電子マネー、電子カルテ、電子商取引(Eコマース)、電子政府などエレクトロニクスの名を冠したことばで表現される社会が出現している。[岩田倫典]

分類と現状


 エレクトロニクス産業は省資源・知的集約産業であったためか、日本では1970年ごろから基幹産業へと成長した。当時の通商産業省の統計によると、電子工業の内容は民生用電子機器、産業用電子機器、電子部品・デバイスに大別されている。これらは技術革新を繰り返しながら生産高を伸ばし、2000年の国内総生産高は26兆1996億円に達している。内訳は、民生用電子機器が8.4%、産業用電子機器が46.7%、電子部品・デバイスが44.9%である。[岩田倫典]
民生用電子機器
日本は電子産業を、ラジオ、白黒テレビの時代からカラーテレビ、VTR(ビデオテープレコーダー)、CD(コンパクトディスク)、MD(ミニディスク)へと時代の変遷とともにリズミカルにリードしてきた。民生用電子機器の分野は、輸出が総生産の半分以上を占めるが、企業の生産拠点の海外移転と韓国・台湾などの追い上げが著しく、日本の国内生産高は低下傾向にある。1999年(平成11)のカラーテレビの日系海外メーカーの生産台数は国内生産の11倍、同じくVTRは3.4倍となっており、海外生産が多い。エレクトロニクスの世界のデジタル化がいっそう進み、VTR一体型カメラ、デジタルカメラ、MDやDAD(デジタルオーディオディスク)プレーヤー、DVD(デジタル多用途ディスク)やカーナビゲーションなどの新しい製品が現れているが、順調に国内生産高を伸ばしている。[岩田倫典]
産業用電子機器
産業用電子機器の約半分の生産高を占めるコンピュータとその関連機器では、スーパーコンピュータなどの大規模システムと、ネットワーク化に伴うワークステーションやパーソナルコンピュータ(パソコン)の小型システム(ダウンサイジング)への二極化が進んでいる。スーパーコンピュータには毎秒1兆を超える演算を処理するものも出現している。一方、ワークステーションでも毎秒数億命令を処理できるものが現れ、またパソコンでも64ビットの語長を処理し、かつての大型コンピュータに匹敵するものが出てきた。インターネットの登場によりパソコンの家庭への普及は加速され、2001年(平成13)3月には日本での世帯普及率50.1%に達し、国内出荷金額ではコンピュータ本体分野の6割以上と市場を広げている。
 無線通信において技術的進歩により大きく発展している分野は、携帯電話、PHS、移動体通信、衛星デジタル通信などのネットワーク対応の情報端末機器である。また、有線通信において進歩が著しい分野は、赤外光や無線をも利用した情報端末機器のほか、光ファイバーによるISDN、CATV、LAN(ラン)などの需要増大に伴う交換機、搬送装置、OA機器などのネットワーク対応機器である。
 画像処理技術の分野でも技術的進歩は著しく、とくに磁気共鳴断層撮像装置(MRI)や超音波診断装置など医療機器における画像の質が向上し、診断に役だっている。さらには二次元アレープローブ、面受信、リアルタイム三次元表示などが開発されている。走査プローブ顕微鏡は原子レベルの観察・加工を可能にし、エキシマレーザーメスは近視の矯正に役だってきた。エキシマレーザーリソグラフィー装置はギガビット半導体メモリーを出現させ、レーザー・レーダーは大気の監視を可能にしている。また、メカトロニクスは家電製品のほか、あらゆる製造機器に組み込まれ、産業用ロボットなど産業機器に知能をもたせるまでになっている。[岩田倫典]
電子部品・デバイス
2000年(平成12)の電子部品・デバイスの国内生産高は11.8兆円で、このうち半導体集積回路の生産高は4.6兆円となり、世界市場の23%を占めている。半導体集積回路の世界市場では、1994年の時点で北米系企業と日本系企業がほぼ4割ずつのシェアを占め、日米の勢力が拮抗(きっこう)していた。長年この分野の輸出問題は日米半導体摩擦の原因となっていたので、従来の政府間協定(日米半導体協定)にかわり、1996年には、民間主体の世界半導体会議(WSC)と政府主体の半導体主要連合が創立された。1997年に日本、アメリカ、ヨーロッパ連合(EU)、韓国が参加して第1回世界半導体会議をハワイで開催。1999年、半導体主要連合が廃止され、21世紀に向けて世界半導体会議は新世界半導体会議として再編された(WSCの組織名は継続して使用)。こうして、新たな体制と枠組みのもと半導体デバイスの生産が進められることになった。2000年現在WSCのメンバーを構成する事業団体の属する国および地域は、日本、アメリカ、EU、韓国、台湾である。
 メモリーは、4年で4倍となる集積度を上げ、2000年現在64メガビットメモリーが主流であるが、128および256メガビットメモリーの製品化が進み、21世紀はギガビットの時代となるとみられる。
 化合物半導体はレーザーダイオードにようやく青色発光をもたらし、さらには超高速デバイスや単電子メモリー、電子波デバイスなど新機能素子の実現を可能にしてきている。ブラウン管は、テレビ用がワイド化、コンピュータディスプレー用が高精細化とマルチメディア対応の大型化に向かっているが、日本での生産高は後者が前者の4倍と多い。携帯機器用のディスプレーには、液晶と有機エレクトロルミネセンスが用いられ、大画面壁掛けテレビ用には、液晶、プラズマ、発光ダイオード、真空マイクロ素子、有機エレクトロルミネセンスによる各種ディスプレーが開発にしのぎを削っている。[岩田倫典]

歴史と展望


 電子革命とまでいわれるようになったエレクトロニクスは20世紀の初頭に生まれ、人類史上にかつてみられないほど急速に発展、成長を遂げ、日本の基幹産業の一つとなった。現在では宇宙空間までその版図を広げ、われわれの生活を豊かにしている。[岩田倫典]
電子管の誕生
19世紀には有線電信が普及し、ベルによる電話、マルコーニによる無線通信が試みられるようになった。またこのころ、科学の分野でもようやく電子の研究が活発に行われるようになり、1897年キャベンディッシュ研究所のJ・J・トムソンは、クルックス管内部の陰極線が電子からなることを発見している。
 1901年にマルコーニ社の無線通信は大西洋を隔てた送受信に成功したが、検波器はまだコヒラーといわれる原始的な装置にすぎず、多くの課題があった。同社の顧問であったJ・A・フレミングはこの解決に取り組み、1904年に二極管を発明し、続いて1907年にド・フォレストが三極管を発明、電子管によるエレクトロニクスの時代の幕開けとなった。こうして生まれた電子管は、さらに高真空化されるとともに陰極にくふうが凝らされて安定し、ついで四極管、遮蔽(しゃへい)格子四極管、五極管が発明され、ラジオの普及に伴って1929年には100キロワットの送信管が製造された。
 1907年には無線電信に電話が取り付けられ、第一次世界大戦には航空機にも装備され、1920年になるとラジオ放送が開始されるようになった。ラジオ放送は初期のAMのほか、FM放送も40年に開始されている。このように無線通信が盛んになると、使用される周波数も高くなり、VHFからUHFへと進み、また新たに1934年にはパルスによるデジタル多重通信も行われるようになった。
 電子管も小型化が進み、1934年には金属製、1937年にはGT管、1941年にはサブミニアチュア管が登場するが、より高い周波数に使えるくふうも進められた。まずエーコン管、灯台管が発明され、1939年に岡部金治郎による多分割マグネトロン、同年バリアン兄弟によるクライストロン、1943年コンフナーRudolf Kompfner(1909―1977)による進行波管(特許提出1944年)などが考案されている。
 1930年に電波の新しい用途としてドップラーレーダーが、1935年にパルスレーダーが発明された。これらレーダーは、第二次世界大戦の軍事行動によるマイクロ波技術と電波航法の急速な進歩に伴って発展し、今日では平和的に広く利用されている。[岩田倫典]
第二次世界大戦後の発展
第二次世界大戦中に芽生えた多くのエレクトロニクス技術は、戦後一斉に花開くことになる。
(1)テレビジョン テレビジョンは「アラビアンナイトの魔法の玉」を実現すべく各種試みられ、戦前にすでに機械式のものが実現はしていたが、ツウォリキンは1933年に撮像管アイコノスコープを発明し、受像管にブラウン管を用いた全電子方式テレビを提唱していた。白黒テレビ放送は1941年にアメリカで開始され、カラーテレビの開発も進められていた。カラーテレビ放送が実現したのは1954年で、受像管にローHarold B. Law(1911―1984)によるシャドーマスク・ブラウン管を用い、白黒テレビとの両立性(コンパチビリティ)をもった今日のNTSC方式によるものが採用された。日本では白黒テレビ放送が1953年(昭和28)から、カラーテレビ放送が1960年から開始されている。ファクシミリ伝送はベインAlexander Bain(1810―1877)がすでに1843年に写真を電信で送ろうと試みたのが最初であるが、実用化されたのは1925年にベル研究所で開発に成功してからであり、VTRは1956年にアンペックス社が原理を開拓している。
(2)トランジスタと集積回路 第二次世界大戦中にマイクロ波の整流用に研究されたゲルマニウムを用い、1947年に点接触型トランジスタが、1950年には接合型トランジスタが、ショックレーらによって発明された。トランジスタは小型で低電圧・低電力で動作することから、携帯用ラジオに使用された。ついで、1957年にゲルマニウムから温度特性のよいシリコンに変わるとともに、1959年にはプレーナー技術とエピタキシャル技術が開発され、1960年には酸化シリコン膜を巧みに利用した正負いずれかの荷電粒子によるMOS(モス)トランジスタが発明された。
 これら一連のシリコン技術のもと、キルビーは各種半導体デバイスを1枚の基板の上に組み込む固体回路を1958年に発表し、翌年ノイスRobert Norton Noyce(1927―1990)が今日の形の集積回路にまとめあげた。このようにトランジスタなどの小型デバイスの集積化が可能になると、集積されるデバイスの数は年2倍の割合で進み、1980年には数ミリメートル角に10万個以上も集積化した超LSIまで実現し、電子システムを組み込んだワンチップマイコンが現れる。さらに高速・高集積化を目ざしてGaAs(ヒ化ガリウム)ICや超伝導効果を用いたジョセフソン素子などが開発され、注目されている。
(3)コンピュータ コンピュータは弾道計算や暗号解読を目標に開発が進められたが、全電子式のENIAC(エニアック)は戦後の1946年にアメリカで完成した。このコンピュータは80立方メートル、約2万個の真空管を用い、消費電力140キロワットという巨大なものであった。しかし、真空管は寿命が短く不安定なことから、トランジスタ、IC、LSIへと変わり、LSIが1個のマイクロコンピュータが実現されている。このコンピュータはENIACに比べると30万分の1という小容量のうえ、消費電力、重量とも6万分の1で、性能もはるかに優れたものになっている。
 ENIACに続いて、J・L・フォン・ノイマンによるプログラム内蔵方式のEDVAC(エドバック)が1952年に出現し、今日のコンピュータの基本がつくられた。さらに1956年にはFORTRAN(フォートラン)、1960年にはCOBOL(コボル)などのコンピュータ言語も完成し、機械効率、記憶装置および入出力装置などの改善が続けられ、現在では手軽で高性能なパソコン、毎秒数兆命令をも処理できるスーパーコンピュータが実現されている。
 これらコンピュータの能力を利用したコンピュータ・グラフィクス(CG)はバーチャルリアリティをもたらし、「人工知能」はチェスの世界チャンピオンを破り、「エキスパートシステム」は医療や生産現場など多くの場所で、「エージェント機能」はネットワーク上で活躍している。さらには「人工生命」「遺伝的アルゴリズム」も提唱されている。
 別の試みとして、神経の働きをまねたニューロコンピータがあり、光を利用する光コンピュータ、超伝導素子による超伝導コンピュータ、量子力学の原理を利用した量子コンピュータやDNA高分子を直接利用するDNAコンピュータなどが提案されて話題をよんでいる。
(4)通信システム 1950年からタウンズやウェーバーErnest Weber(1901―1996)、ショウロウArthur Leonard Schawlow(1921―1999)らによってレーザーが着想された。その後、これまで人類が見たことのない人工の光として、1960年にメイマンTheodore Harold Maiman(1927―2007)がその発振に成功すると、電波にかわる新しい電磁波が通信の世界に提供されることになる。1970年には林厳雄(いづお)(1922―2005)が半導体レーザーで室温発振に成功するとともに、コーニング社が低伝送損失の光ファイバーを発表し、この両者を組み合わせた光通信システムがくふうされた。これは、光の周波数が電波よりも数万倍以上と高く、大量の情報を運べることから考えられたもので、光ファイバーは10分の1ミリメートル径ときわめて細く、すでにコンピュータ・ネットワークや公衆通信などの幹線、海底ケーブルに利用されている。
 1952年にはシリコンやゲルマニウムによる発光ダイオード、1957年にはシリコン太陽電池、1959年にはアモルファス半導体によるスイッチング素子、1970年には半導体撮像素子CCDがそれぞれ発明された。液晶の発見は古いが、時計・電卓用に実用化されたのは1973年からである。
 このほか、光エレクトロニクスといわれるものに、レーザーを利用したレーザー・レーダー、長さの標準器、形状検査器、測距器、位置決め装置、レーザーメス、細孔加工機などがあり、情報機器としてはファクシミリ、ITV(工業用テレビジョン)、胃カメラなどの受光・撮像装置と、1972年フィリップス社の開発した光ビデオディスクがある。光ビデオディスクは音楽用のCDやパソコン用のCD-ROM、さらに大容量のDVDへと発展した。光ディスクを書換え可能にした半導体レーザーを用いた光磁気ディスクは国際電信電話(現KDDI)によって1980年に開発されている。
 1876年に電話が発明されたのち、種々な音電変換装置がくふうされた。1877年には炭素板を利用するエジソン送話機がつくられた。第10回オリンピックの前年1931年に可動コイル型マイクロホンが出現し、ロサンゼルスのオリンピック放送に使われた。さらに誘導子型マイクロホン、リボンマイクロホン、速度リボン型マイクロホン、コンデンサーマイクロホン、ロッシェル塩マイクロホンと相次いで開発された。スピーカーはラジオ開始のころはマグネチックスピーカーであったのが、1925年にはダイナミックスピーカー、1928年には硬いアルミ合金による金属高音スピーカーが現れている。1885年にベルの考案した蝋管(ろうかん)式蓄音機は、1890年には円盤レコードに、1924年には電気式に変わり、音質は大幅に改善された。テープレコーダーの原型はオーストリアで1932年に出現し、LPレコードは1948年にアメリカのCBS研究所で、ステレオは1957年に同じくRCA社で、またレーザー光を用いたコンパクトディスクは1982年にソニー、日立製作所、日本コロンビアで商品化された。一方LSIの進歩とともに、小さい半導体チップに音声を特殊な方法で分解して記憶させ、音を合成する音声合成LSIなど音声を認識する装置も開発されている。[岩田倫典]
超音波と電子線の利用
超音波の利用は第一次世界大戦中、イギリス海軍の潜水艦研究所で生まれ、潜水艦探知・測深に利用された。第二次世界大戦中この技術はソナーに高度化され、戦後は魚群探知機にも使われている。超音波は光と違って物体の中にも容易に入ることから、人体内部の動き、生体組織、物質内部などの観察に威力を発揮する。
 1895年にレントゲンが高速電子を物質に衝突させてX線を発見し、1914年には電子X線管が発明された。X線とコンピュータを連動した断層像撮影装置(CT)は1972年にハウンズフィールドGodfrey N. Hounsfield(1919―2004)らにより発明され、続いて水分子の核磁気共鳴を利用した磁気共鳴断層撮像装置(MRI)が開発され、診断に有効であることから普及をみている。
 1931年にルスカE. Ruska(1906―1988)によって電子線を直接利用してミクロの世界を見る透過型の電子顕微鏡が発明された。1938年には走査型電子顕微鏡も現れ、光学顕微鏡をしのぐようになった。格子分解能が1オングストローム(1オングストロームは1000万分の1ミリメートル)以下のものがつくられている。また、1979年に日立製作所によって実現された電子線ホログラフィーは、物質の立体情報のほか磁気情報を集めることに役だっている。ノーベル賞に輝く走査トンネル顕微鏡は1983年に発明されたが、原子1個1個の観察を可能にし、さらには原子・分子レベルで加工する走査プローブ顕微鏡へと進展する。
 このほか、物質の構成を知る質量分析計は1918年にデンプスターA. J. Dempster(1886―1950)が、X線回折は1912年にラウエが、電子線回折は1928年にG・P・トムソンがそれぞれ考えている。原子変換用のサイクロトロンはE・O・ローレンスが1932年に発明し、1936年にはベータトロンが、1945年にはシンクロサイクロトロンが開発されている。[岩田倫典]
応用範囲の拡大
エレクトロニクスは宇宙にも羽ばたいている。1958年にアメリカは録音中継衛星スコアを打ち上げ、アイゼンハワー大統領のメッセージを中継放送し、1962年に通信衛星テルスターによる大西洋横断のテレビ中継、1963年にはリレー1号による太平洋横断のテレビ中継、1964年には静止衛星シンコム3号によるテレビ中継がなされ、東京オリンピックを世界に放送している。船舶の航行を支援するトランシット衛星、気象観測衛星タイロスは1960年に、資源探査衛星ランドサットは1972年にそれぞれ打ち上げられ、その後別の衛星で続けられている。商業衛星通信は1965年のインテルサット1号からである。
 ロボットはSFの世界とは違った形で登場し、産業界に大きな衝撃を与え、その後生産ラインなどに組込まれ利用されてきたが、その種類には人間搭乗型、単純繰返し作業型、人工知能ロボットなどがある。人間搭乗型は人間が機械の手足を動かすもので、1960年にイタリアで開発され、1962年には砂漠内の原子力研究用として精巧な機械手をもって動き回るいわゆる「カブトムシ」が評判となった。その後も、海洋、宇宙など人間にとっての悪環境下で作業用に開発されている。単純繰返し作業用には、1964年にまずユニメートUuimateが、1967年にバーサトランVersatranが開発された。人工知能ロボットは視覚や触覚を機械にもたせ、コンピュータに判断機能をもたせたもので、1970年代から、塗装、ねじ締め、トランジスタなどの組立て用に普及し、さらに人間に近づいた知能ロボットへと進化してきた。20世紀末には、自律型の二足歩行ロボットやペットロボットがつくられるまでになった。
 事務機械の電子化も進められ、電子複写機(商品名ゼロックス)は1960年に完成、発売され、カラー式ゼロックスは1968年に開発された。電卓は、電子管のものが1960年にイギリスで開発されたが、1964年に早川電機(現在のシャープ)が全トランジスタ化するとともに普及し、IC化、LSI化されてきている。マイクロコンピュータは、日本のメーカーの依頼を受けたアメリカのインテル社が1971年に4ビット型をつくったのが最初で、その後一括して取扱う語長を8ビット、12ビット、16ビット、32ビット、64ビットと大きくして処理能力を上げてきている。
 自動販売機は、機械式のものが古くからあったが、電気式となったのは20世紀に入ってからである。1925年にはたばこ販売機、1926年には冷却機付きの飲料販売機、1928年には両替機、1929年にはキャンディーの選択販売機、1961年には光電式を用いた紙幣両替機が現れている。1970年代には、これらにIC、LSIなどの集積回路が組み込まれるようになった。日本で紙幣両替機が使われたのは、1973年に国鉄(現JR)が乗車券発売に用いたのが初めである。
 1年の誤差が数秒という、機械式時計では考えられない高精度で安価なエレクトロニクス装置に電子時計がある。交流駆動のものはすでに1918年に、トランジスタと音叉(おんさ)を用いたものは1952年に開発された。日本のシチズンは1966年にてんぷ調速式ウォッチを、翌1967年に今日の形の水晶時計にまとめており、セイコーは水晶腕時計クオーツを1969年に発売した。
 電動式タイプライターは1920年代に現れ、1964年には磁気テープ利用のワードプロセッサーがIBMで開発された。ワードプロセッサーはその後フロッピーディスクを用いて普及しているが、1978年には日本語のワードプロセッサーの第一号(630万円)が東芝によって発売されている。1981年にソニーはフィルム不用の電子式カメラを開発、発表し、今日のデジタルカメラの先駆けをなした。
 1970年代から始まったデジタル・エレクトロニクス化の波は家庭にも普及し、カラーテレビやステレオの選局、電子レンジ、自動食器洗い機、電気洗濯機の自動制御を可能にし、そのほかエアコンの監視装置、ミシン、血圧計、自動点火装置、自動編機などあらゆる装置が電子化された。さらには、これらを電子的に結んで一括管理できるいわゆる「白ものネット家電」(白いボディカラーが定番の家庭用電気製品と制御機器をネットワークで結びホームオートメーション化し、有効かつ安全に稼動させるシステム)が製品化されるようになった。[岩田倫典]
ネットワーク化社会の形成と発展
光ファイバーが世界を覆うネットワークに進展し、人工衛星によるデジタル・ネットワークも形成されつつある。技術的進歩もさることながら、各国政府レベルでのネットワーク化促進への取組みも見逃せない。1993年アメリカの大統領クリントンが発表した「情報スーパーハイウェー構想」は、マルチメディアを活用したネットワーク化社会への流れを加速した。
 1970年代からのエレクトロニクスの分野におけるキーワードはデジタル化、マイクロ化、知能化であった。これらの発展によって育てられた個人メディアおよびマス・メディアの技術はデジタル・ネットワークによって統合されることになった。たとえば、分散型の計算機システムはネットワークを単なるデータ伝送だけでなく、あたかも本体内にあるコンピュータバスのように使用している。ここでは、データの蓄積のほか、積極的に数値計算、画像処理といったそれぞれの計算用に適した複数のコンピュータをネットワークで結合したほうが効率がよいことが明らかになり、ダウンサイジング化の流れをつくった。
 一方、パソコンによる個人メディアはインターネットによって結ばれ、他人のパソコンとデータの交換が可能になっている。インターネットは、コンピュータ・ネットワークを結ぶ交換局が破壊されても、生き残った回線を伝わってデータ交換ができるようにする目的で1969年にアメリカ国防総省がスタートさせた方式から生まれたもので、環境変化に対応した動作をする。インターネットが一般に開放されて利用が進むと、ネット上の情報の安全を確保する必要が生じ、ハッカー対策のワクチン、守秘性の強い公開鍵方式(PKS)や電子透かし技術などが提案されるようになった。
 マルチメディアを構成する映像、音楽、その他種々のデータがネットワーク上で機能するためには、デジタル化された大量の情報の蓄積・処理、高速の伝送媒体、高品質な表示手段が必要となる。大量情報の蓄積のためのCD-ROMやDVDなどの媒体では、レーザー光の波長を短くすると現在の数倍の容量が得られるので、MPEG(エムペグ)など映像の効率のよいデータ圧縮技術が必要となる。情報の処理には1チップに数百万から数千万個ものトランジスタを組み込んだプロセッサが活躍している。
 情報の高速伝送としては、光を波として取り扱い一括して送る波長多重伝送方式が開発され、実験的ではあるが光のパルスを用いる方法の数十倍の伝送速度が得られている。また、移動体からもデータ交換が手軽にできるように、無線LAN(ラン)、無線ネットワークを利用する携帯用情報端末が普及し、デジタル衛星網の構築も検討されている。
 人間に接するディスプレー装置としては、マルチメディア対応の17インチ型の高精細ブラウン管のほか、多機能テレビ受像機用の大型ブラウン管の高精細化も進められている。ほかに、大型壁掛けテレビをねらった液晶(LCD)、プラズマ(PDP)、有機エレクトロルミネセンス(EL)、マイクロ真空管(FED)によるディスプレーの開発が進んでおり、すでに40インチおよび42インチ型のプラズマディスプレーが製品化されている。携帯用には液晶が、簡単な表示には蛍光表示管がそれぞれ市場を伸ばしている。
 日本では1989年には放送衛星(BS)を使ったNHKの衛星テレビの本放送が始まり、ハイビジョン放送も行われている。通信衛星によるCS放送(1992)、デジタル放送(1996)も開始され、パソコン向けデータ放送も計画されている。[岩田倫典]
『オーム社編・刊『エレクトロニクス用語事典』(1991) ▽仙石正和編著『電気の不思議』(1995・コロナ社) ▽スヴェン・バーカーツ著、船木裕訳『グーテンベルクへの挽歌』(1995・青土社) ▽若山芳三郎他著『くらしのエレクトロニクス』(1995・日本理工出版会) ▽鈴木清・藤森充之著『エレクトロニクスの基礎』(1996・日本理工出版会) ▽岩田倫典著『テクノこぼれ話』(1996・日刊工業新聞社) ▽平田康夫他著『衛星通信の基礎と応用』(1996・培風館) ▽笹山隆生監修『自動車エレクトロニクス』(1997・山海堂) ▽富田康生著『光波エレクトロニクス』(1997・培風館) ▽電子情報通信学会編『電子情報通信ハンドブック』(1998・オーム社) ▽桑野幸徳著『デジタル革命時代』(1998・オーム社) ▽栖原敏明著『光波工学』(1998・コロナ社) ▽常深信彦著『画像エレクトロニクス』(1998・オーム社) ▽城阪俊吉著『エレクトロニクスを中心とした年代別科学技術史』(1998・日刊工業新聞社) ▽時田澄男監修『エレクトロニクス関連色素』(1998・ジーエムシー) ▽田頭功著『エレクトロニクス入門』(1998・共立出版) ▽郵政省通信総合研究所編『情報通信研究の最前線』(1999・オーム社) ▽谷光太郎著『半導体産業の系譜』(1999・日刊工業新聞社) ▽牧野昇監修、三菱総合研究所編著『21世紀の先端技術』(1999・PHP研究所) ▽長嶋洋一著『コンピュータサウンドの世界』(1999・CQ出版) ▽小野瀬一志著『わかりやすいマルチメディア情報通信』(1999・オーム社) ▽手島昇次・電波新聞社編『最新エレクトロニクス用語辞典』(1999・電波新聞社) ▽通商産業省編『電子工業年鑑 2000』(2000・電波新聞社) ▽荒谷孝夫著『電気通信概論』(2000・東京電機大学出版局) ▽小川英一著『マルチメディア時代の情報理論』(2000・コロナ社) ▽菅井秀郎編著『プラズマエレクトロニクス』(2000・オーム社) ▽南敏・中村納著『画像工学』(2000・コロナ社) ▽高橋寛監修『絵ときでわかるパワーエレクトロニクス』(2001・オーム社) ▽濱川圭弘・西野種夫著『光エレクトロニクス』(2001・オーム社) ▽黒川隆志・滝沢國治編著『光情報工学』(2001・コロナ社) ▽貞重浩一著『情報記録のエレクトロニクス』(2001・コロナ社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

エレクトロニクスの関連キーワード電子工学熱電子管アビオニクスシリコントランジスタ双極性トランジスターバイポーラトランジスター薄膜トランジスターフォトトランジスターMOSトランジスタートランジスタ技術

今日のキーワード

パラチオン、パラチオンメチル

パラチオンは無色で油状の液体、パラチオンメチルはコハク色の液体。ともに毒性が強く、有機リン系殺虫剤として使用された。50年代以降、稲の害虫被害を防ぐことが確認され、広く導入された。しかし、農民の中毒死...

続きを読む

コトバンク for iPhone

エレクトロニクスの関連情報