キュリー(読み)きゅりー(英語表記)Pierre Curie

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

キュリー(Pierre Curie)
きゅりー
Pierre Curie
(1859―1906)

フランスの物理学者。科学を愛好する医師を父にパリに生まれる。子供のころ彼は学校へ通わず自宅で勉学し、16歳で大学入学資格試験に合格、パリ大学理学部に入った。当時、兄のジャックPaul Jacques Curie(1855―1941)がソルボンヌ大学(パリ大学)の鉱物学研究室で実験助手をしており、ピエールは学生時代およびその後のソルボンヌ大学の実験助手の時代(1882~1904)に兄との共同実験を続けた。1880年、二人は、水晶や電気石の、ある方向に切った薄板を圧縮すると、圧力に比例する量の、等しく反対の電気が帯電する現象、すなわちピエゾ電気(圧電気)を発見した。この直後、リップマンが電場の作用の下で結晶に張力が働くことを理論的に予測し、二人は1881年にそれを実験的に確かめた。また二人はピエゾ電気を利用した精密測定装置を発明した。
 1882年、パリ市立物理化学学校の実験主任となり、結晶の対称性に関する研究にとりかかり、1890年ごろからさまざまな物質の磁気的性質についての実験に没頭した。きわめて鋭敏なねじり秤(ばかり)を用い、数多くの物質について広い温度範囲にわたって磁化率の変化を確かめた。その結果、ビスマス以外の反磁性体(水、岩塩、いくつかのカリウム塩、水晶、いくつかの非金属元素)の磁化率は、温度変化にかかわらず一定であった。それに対し、常磁性体(酸素、パラジウム、プラチナ、マンガンなど)の磁化率は絶対温度に逆比例した。また強磁性体(鉄、ニッケルなど)の磁性は、物質特有の温度(キュリー点)で急激に減少した。以上の結果は1895年出版の論文「物質のさまざまな温度における磁気的性質」にまとめられ、この論文で学位を得た。
 1894年、ポーランドからソルボンヌに留学中のマリー・スクロドフスカと出会い、翌1895年結婚した。折から1896年にベックレルの放射能の発見があり、1898年にはマリーが行っていた放射能の研究にピエールも合流し、二人での共同研究が始まった。すでにウランの鉱石ピッチブレンドのなかから、ウランやトリウムはみつけられていたが、二人は、それ以外に強い放射能をもつ物質が含まれていることを予想し、化学分析を進めた。そして1898年、はるかに放射性の強いポロニウムとラジウムを発見し、苦闘のすえ分離精製にも成功した。1903年、この研究により夫妻とベックレルはノーベル物理学賞を受賞し、ピエールはラジウムが戦争や犯罪のために使われてはならないと警鐘を鳴らす受賞記念講演を行った。[高山 進]

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