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クロムウェル クロムウェル Cromwell, Henry

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

クロムウェル
クロムウェル
Cromwell, Henry

[生]1628.1.20. ハンチンドン
[没]1674.3.23. ケンブリッジ
イギリス清教徒革命期の軍人。 O.クロムウェルの4男。 1654年アイルランド派遣軍の部将となり,55年以降は事実上のアイルランド統治者。 59年護国卿政権の崩壊によって本国に召喚され,辞任して引退。

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クロムウェル
クロムウェル
Cromwell, Oliver

[生]1599.4.25. ハンチンドン
[没]1658.9.3. ロンドン
イギリスの軍人,政治家。イングランド共和国およびスコットランド,アイルランドの護国卿 (在任 1653~58) 。清教徒革命の指導者として知られる。清教徒ジェントリーの家に生れ,ケンブリッジ大学に学ぶ。

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クロムウェル
クロムウェル
Cromwell, Richard

[生]1626.10.4. ハンチンドン
[没]1712.7.12. ハーフォードシャー,チェスアント
イギリス,清教徒革命期の政治家。 O.クロムウェルの3男。護国卿政権下に議員,国務会議員をつとめ,父の指名によってその没後護国卿に就任 (1658.9.) 。穏和な人柄であったが政治力に乏しく,議会と軍隊の対立の板ばさみになって8ヵ月で辞職し,護国卿政権は崩壊。

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クロムウェル
クロムウェル
Cromwell, Thomas

[生]1485頃.ロンドン
[没]1540.7.28. ロンドン
イギリスの政治家。宗教改革の立案実行者。鍛冶屋兼縮絨業の家に生れたが,前半生には不明な点が多い。若いうちに大陸に渡り諸国で兵士,貿易商,金貸しなどを経験した。帰国後 T.ウルジーに認められ法律を学び,1523年議会に入りウルジーの側近として活躍したが,29年の彼の失脚後も巧みに立回って国王ヘンリー8世の信頼を得,短期間にめざましい昇進をとげ,ウルジーに代って事実上の筆頭顧問になった。

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デジタル大辞泉の解説

クロムウェル(Cromwell)

(Oliver~)[1599~1658]英国の軍人・政治家。ピューリタン革命の指導者として、議会軍を率いて王軍を破り、1649年チャールズ1世を処刑。1653年、護国卿となって軍事的独裁政治を行った。また、アイルランド・スコットランドを制圧したほか、航海法を発布、オランダ海軍に勝ち、英国の海上制覇の基礎を固めた。
(Richard~)[1626~1712]英国の政治家。の子。共和国時代、父の後を継いで第2代護国卿となったが、軍隊と議会との対立の中で辞任。王政復古とともにパリに亡命。

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百科事典マイペディアの解説

クロムウェル

英国の軍人・政治家。幼時からピューリタニズムの影響を受けた。1628年下院議員となり,1640年長期議会にも選出された。ピューリタン革命が起きると自ら鉄騎隊を率いて戦闘に参加。
→関連項目アイアトンアイルランドアイルランド問題クロムウェルシドニースコットランドニューモデル軍ノッティンガムモンクルパート

クロムウェル

英国の政治家,オリバークロムウェルの三男。リンカン法学院で学び,父の護国卿政権下の議会に1654年以降議席を占め,国務会議議員,オックスフォード大学総長などの要職についた。

クロムウェル

英国の宗教改革の立役者となった政治家。青年時代にはヨーロッパ大陸で軍人・商人をしていたが,1514年に帰国して大法官ウルジーの秘書となり,1531年には枢密顧問官に昇進した。

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デジタル大辞泉プラスの解説

クロムウェル

1970年製作のイギリス映画。原題《Cromwell》。オリバー・クロムウェルの生涯を描く。監督:ケン・ヒューズ、出演:リチャードハリス、アレック・ギネス、ロバート・モーリーほか。第43回米国アカデミー賞衣裳デザイン賞受賞。

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世界大百科事典 第2版の解説

クロムウェル【Oliver Cromwell】

1599‐1658
イギリスの軍人,政治家,ピューリタン革命の指導者。イングランド東部ハンティンドンの,T.クロムウェルの末裔にあたるジェントリーの家系に生まれる。母親からピューリタンの信仰を受けつぎ,ケンブリッジのシドニーサセックスカレッジに学ぶ。ロンドンに出て法学院に席をおいたが,商人の娘と結婚して帰郷し,1628年下院議員に選出される。翌年議会が解散されたのちは,東部の各地で所領の経営にあたるとともに,この地方の干拓を進めようとする貴族に抵抗して農民の利益を守り,〈干拓地の王者King of the Fens〉の異名を奉られた。

クロムウェル【Richard Cromwell】

1626‐1712
イギリスの政治家,O.クロムウェルの三男。リンカン法学院に学び,父の護国卿政権下の議会に1654年以降議席を占め,オックスフォード大学総長,国務会議員の要職についた。58年,父の死後2代目の護国卿になったが,軍隊と議会の対立の激化するなかで事態を収拾できず,翌年軍隊により解任され大陸に亡命。王政復古期にはパリで匿名で暮らしたが,80年ごろ帰国し,以後隠遁生活を送った。【今井 宏】

クロムウェル【Thomas Cromwell】

1485?‐1540
イギリスのヘンリー8世期の政治家。青年期に外国で兵士,商人の経験をもち,帰国後トマス・ウルジーに仕え,庶民院議員(1523)となる。ウルジー失脚後も,枢密顧問官(1531),秘書官長(1534),宗務代官(1535),王璽尚書・男爵(1536),エセックス伯(1540)と栄進する。しかし1540年反対派の策謀によって失脚・処刑された。クロムウェルは議会法制定に尽力し,なかでも主権国家の宣言を行った〈上訴禁止法〉(1533)が有名である。

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大辞林 第三版の解説

クロムウェル【Oliver Cromwell】

1599~1658) イギリスの政治家。ピューリタン革命で議会軍を指揮して国王軍を破り、チャールズ一世を処刑し共和制を樹立。1651年航海条例を発し、英蘭戦争を起こす。53年護国卿となり軍事独裁を行なった。

出典|三省堂
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世界大百科事典内のクロムウェルの言及

【イギリス】より


[軍事政策]
 イギリスの常備軍は,ピューリタン革命中の1645年議会側が創設した〈新型軍(ニューモデル軍)〉に始まり,王政復古後は国王の正規軍として発達した。しかしクロムウェルが〈新型軍〉によってクーデタを起こし,軍事独裁をしいた苦い経験から,議会側は常備軍の動向をたえず警戒し,議会による軍隊の統制に配慮してきた。89年オラニエ公ウィレム(ウィリアム3世)に認めさせた〈権利章典〉では,議会の承認なく平時に国内で常備軍を徴集することが禁止された。…

【キリスト教】より

… 信仰義認論に始まり聖書原理に従ってサクラメントと教皇権とを否定するにいたるルター的な宗教改革の概念が,英国国教会についてもいえるかどうかは,やや疑問である。ここでは以前から教権と王権の対立が深く,ローマに対して地方教会的性格をもっていたが,ウィクリフのような反教皇主義をかかげる先駆者もいてアングリカニズムが強化され,1531年以後,T.クロムウェルの献策でヘンリー8世をイギリス教会の首長とし,その至上権を認めてローマ教皇からの独立がはたされた(国王至上法,1534)。王と教会の関係はその後も長く整わなかったが,1688年の名誉革命により,ブリテン王国はアングリカニズムを国教会とし,非国教徒には信仰の自由を認めて自由教会をつくることを許した。…

【晒首】より

…〈もの〉によるコミュニケーションである。1660年,ピューリタン革命のあと王政復古したイギリスのチャールズ2世が,父チャールズ1世処刑の責任者として,すでに死んでいるクロムウェル,アイアトンらの墓をあばき,首を矛(ほこ)に刺して晒したことは,すでに死んでいる者の首に意味をこめておりその典型である。 日本の近世には,晒首は中国にならって梟首(きようしゆ)とよばれ,また梟首した首を獄舎の門に懸けたので獄門ともよばれた。…

【スコットランド】より

…41年国王が譲歩して契約派は勝利を収めたが,その勝利を強化するため,イングランドの議会派と提携して内乱(ピューリタン革命)に介入した。しかし独立派の台頭のため逆にO.クロムウェルらのスコットランド支配を引き起こした(1651‐60)。短期間とはいえクロムウェルによるイングランドとの合併は,西部の商人層とアメリカ新大陸との接触をもたらし,伝統的な封建的支配層の力は弱まった。…

【ピューリタン】より

… しかしイングランドではチャールズ1世の即位後ピューリタンに対する弾圧は激化し,ついに40年長期議会召集を機にピューリタン派が多数を占めた議会と国王とが衝突,ピューリタン革命が起こった。43年からウェストミンスター教会会議が開かれ国教会を長老教会体制に改革する計画が進められたが,戦争の推移の中で独立派が優勢となり,49年チャールズ王を処刑しO.クロムウェルによる独立派主流の共和政が敷かれた。 革命がチャールズ1世の処刑によって最高潮を迎えたころ,ピューリタンの内部分裂はいちだんと激しくなり,数多くのセクトが活動を開始し,なかには千年王国説に立って〈神の王国〉の実現を訴えるものも出て,ピューリタンの神秘主義への傾斜がみられた。…

【ピューリタン革命】より

…その原因は,軍事的経験を積んだ貴族に率いられた国王軍と,地方の民兵隊,義勇軍を主力とした議会軍の質的な差にあった。このような議会軍の弱点を見ぬき,革命遂行のためには軍隊の改革が不可欠であると認識し,その改革を実現させて議会軍の勝利に寄与したことが,O.クロムウェルをしてこの革命の指導者たらしめた最大の理由である。内乱開始直後から熱心なピューリタンから成る騎兵隊を率いて議会軍に参加したクロムウェルは,1643年,劣勢の議会軍がスコットランドの軍事援助を求めたのを契機にして議会派内部で生まれた〈長老派〉と〈独立派〉の対立において,後者の中心人物と目されるようになった。…

【宗教改革】より

…この時期の国教会の教義は〈十ヵ条〉(1536),《主教の書》(1537)にみられ,保守・改革両派の対立の結果,カトリック,プロテスタント両要素が混在している。他方,トマス・クロムウェルによって2回にわたって出された〈国王指令〉(1536,38)では,ルター的宗教改革とエラスムス的教会・社会改革が併用され,国教会のよりいっそうの改革をめざした。これに対し,すでに1521年教皇から〈信仰の擁護者〉という称号を得たほどの反ルター主義者ヘンリー8世は宗教改革の進展を好まず,ノーフォーク公,ガードナー主教と組んで39年〈六ヵ条法〉を通過させ,化体説・一種聖餐communion in one kindの確認,聖職者の結婚禁止など保守化を強め,翌年にはクロムウェルを処刑した。…

【ヘンリー[8世]】より

…王妃との間には男子が育たず,アン・ブーリンとの恋愛によってキャサリンとの結婚解消の認可を教皇に求めたが,教皇クレメンス7世はキャサリンが神聖ローマ帝国皇帝カール5世の伯母に当たることから承認を引き延ばし,最終的に拒絶した。ここに責任者である大法官ウルジー枢機卿は失脚し,大法官職はトマス・モアによって引き継がれたが,政務はトマス・クロムウェルによって行われ,イギリスにおけるローマ教皇権のすべてを取り除くことによって離婚問題の決着が図られることになった。すなわち1533年の〈上訴禁止法〉によって主権国家の宣言と外国からの司法権独立の表明を行い,翌年の〈国王至上法〉によってイギリスの教会をローマ教皇の支配から解放し,イギリス国教会を成立させた(宗教改革)。…

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