コンプトン(英語表記)Compton, Arthur Holly

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

コンプトン
Compton, Arthur Holly

[生]1892.9.10. ウースター
[没]1962.3.15. バークリー
アメリカの物理学者。ウースター・カレッジ,プリンストン大学に学び,1916年同大学より学位取得。シカゴ大学教授 (1923) ,セントルイスのワシントン大学総長 (45) ,同大学自然史教授 (53~61) 。兄の K.コンプトンとともに象限電位計の改良を行い (19) ,23年X線の散乱に関する「コンプトン効果」を発見。その解釈にアインシュタインの光量子説を適用して成功,電磁波が波動性と粒子性をあわせもつことを示した。X線の研究を続けたが,のち宇宙線の研究に転じた。 27年ノーベル物理学賞受賞。第2次世界大戦中,シカゴ大学「冶金研究所」で行われた原子炉開発の指導者の1人であった。

コンプトン
Compton, Henry

[生]1632. ウォリックシャー,コンプトンウィニーエイトス
[没]1713.7. ミドルセックス,フラムハウス
イギリスの聖職者。2代ノーサンプトン伯スペンサー・コンプトンの子。初め軍隊に入り,1660年近衛騎兵になったが,66年聖職者に転じ,74年オックスフォード主教。 75年ロンドン主教,王室礼拝堂付き牧師に任じられ,ヨーク公の娘メアリー (のちのメアリー2世 ) とアンの宗教教育も担当。 76年枢密顧問官。 86年ジェームズ2世の意に反する説教を行なった聖職者 J.シャープ (のちのヨーク大主教) を権限停止処分にすることを拒否したため,停職された。名誉革命に際し,オランニェ公ウィレム (のちのウィリアム3世) への招請状に署名し,ロンドン主教に復職するとともに,軍隊を指揮して王女アンをノッティンガムに護衛し,オックスフォードに進軍,89年ウィリアム3世とメアリー2世に戴冠した。晩年は慈善事業や植物の研究,収集に没頭。

コンプトン
Compton, Spencer, Earl of Wilmington

[生]1673頃
[没]1743
イギリスの政治家。3代ノーサンプトン伯の3男。 H.コンプトンの甥。 1698年下院議員となり,1715~27年にはその議長となる。翌年ウィルミントン男爵位を受け,枢密院議長,大蔵総裁などを歴任。ホイッグ党に属したが,晩年は R.ウォルポールに反対した。 30年伯爵。

コンプトン
Compton

アメリカ合衆国,カリフォルニア州,ロサンゼルス南郊の都市。初めスペイン人の牧場の一部であった。次いで 1867年にメソジスト教徒の村として発足した。 1933年の地震によって商業地区が破壊され,のちに市域が近代化された。現在はロサンゼルス郊外の住宅都市で,商業都市。周辺には多種類の工場がある。 27年創立のコンプトン・ジュニアカレッジがある。人口9万 454 (1990) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディアの解説

コンプトン

米国の物理学者。1923年シカゴ大学教授,1945年ワシントン大学総長。1919年兄Karl Taylor Compton〔1887-1954〕とともに象限電気計を改良。1923年コンプトン効果を発見,1927年ノーベル物理学賞。宇宙線の強度分布を世界各地で測定してそれが緯度により変化することを確認。第2次大戦中は原子爆弾製造計画の指導者の一人となり,戦後も原子力開発研究の指導的立場にあった。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

コンプトン【Arthur Holly Compton】

1892‐1962
アメリカの物理学者。オハイオ州ウースターの生れ。ウースター・カレッジを卒業後,プリンストン大学大学院に学ぶ。ウェスティングハウス社にいた1918年からX線散乱の研究を始め,19年イギリスのキャベンディシュ研究所にわたりγ線散乱の研究をした。20年,帰国してセントルイスのワシントン大学の物理学教授となり,単色X線を使用して再びX線散乱の実験を開始した。彼は散乱X線の波長が散乱角に依存して規則正しく変化すること,すなわち散乱角の増大に伴って散乱X線の波長が長くなることを発見,22年,散乱γ線の現象とともにこの散乱X線の現象(コンプトン効果と呼ばれる)を量子論的に解明した。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

コンプトン【Arthur Holly Compton】

1892~1962) アメリカの物理学者。1923年コンプトン効果を発見し、光の粒子性に対する認識を促し、量子論の発展に寄与。宇宙線の研究、原子爆弾の開発にも従事。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

コンプトン
こんぷとん
Arthur Holly Compton
(1892―1962)

アメリカの物理学者。9月10日オハイオ州ウースターに生まれる。ウースター・カレッジ(父エリアス・コンプトンElias Compton(1856―?)が哲学教授で学長であった)、プリンストン大学大学院で学び、ミネソタ大学物理学講師、ウェスティングハウス研究所研究員を経て、国立研究会議研究員としてケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所のラザフォードのもとで研究(1919~1920)。1920年セントルイスのワシントン大学の物理学教授となり、X線散乱現象を研究。1922年「コンプトン効果」を発見、A・アインシュタインの光量子仮説を土台として理論的解明に成功、有名なコンプトン散乱式を与えた。これは、X線の粒子性を明示するとともに、1920年代後半以降に展開、形成された今日の量子力学理論の実験的基礎の一つとなるものである。コンプトン効果の発見により1927年、35歳でノーベル物理学賞を受賞した。
 1923年シカゴ大学物理学教授となり、物理学科主任、理学部長を務め、X線の全反射、偏光現象を研究、電子密度・電子電荷の精密な決定などを行った。また宇宙線の研究に従事、「緯度効果」を明らかにし、宇宙線と地球磁場との相互作用の研究の契機をつくった。この間、アメリカ物理学会、アメリカ科学者協会などの会長を歴任した。1941年原子爆弾計画を進める科学研究開発局の科学部門責任者となり、1942~1945年マンハッタン計画のもとに、フェルミらと共同してシカゴ大学「冶金(やきん)研究所」(機密保持のための暗号名。コンプトンが所長)における核分裂原子炉開発、およびハンフォードのプルトニウム生産原子炉(長崎原爆のプルトニウムを製造)建設の統括指導にあたり、原子爆弾の開発に尽力した。また対日原爆使用についての政府決定に兄のテーラーKarl Taylar(1887―1954)(MIT学長)とともに参画した。以上のことは、広島、長崎の凄惨(せいさん)な結果と、今日の核戦争の危険を考えるとき、科学者の社会的責任について、人類の将来にかかわる根源的問題を提起する。
 第二次世界大戦後、ワシントン大学総長(1945~1953)としてセントルイスに戻り、自然哲学の特別名誉教授を務め(1953~1961)、多くの学会や委員会に奉仕した。1962年3月15日カリフォルニア州バークリーで死去。[大友詔雄]
『A・H・コンプトン著、仲晃他訳『原子の探求』(1959・法政大学出版局) ▽中村誠太郎・小沼通二編『ノーベル賞講演物理学4』(1979・講談社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典の解説

コンプトン

(Arthur Holly Compton アーサー=ホリー━) アメリカの実験物理学者。シカゴ大学教授。X線散乱に関する「コンプトン効果」を発見、量子理論の新展開に貢献。第二次世界大戦中、原爆開発計画に参加。一九二七年ノーベル物理学賞受賞。(一八九二‐一九六二

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

世界大百科事典内のコンプトンの言及

【X線】より

… 一方,X線の発見およびその研究は物理学の進歩に大きな波及効果を及ぼした。例えば,X線の発見に刺激を受けたA.H.ベクレルは,蛍光物質の中にはX線を放射するものがあるのではないかと考え,種々の物質を用いての実験を行ったが,1896年ウラン塩からX線とは異なる放射線が出ていることを発見しているし,また1922年,A.H.コンプトンによる散乱X線のコンプトン効果の発見は,電磁波(光)の粒子性の直接の証拠となったものとして有名である。
[基本的性質]
 X線の最大の特徴は,物質を透過する力(透過能という)が大きく,物質に吸収されにくいことである。…

※「コンプトン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

コンプトンの関連情報