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サンダーランド(伯) サンダーランド[はく]Sunderland, Charles Spencer, 3rd Earl of

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

サンダーランド(伯)
サンダーランド[はく]
Sunderland, Charles Spencer, 3rd Earl of

[生]1674
[没]1722.4.9. ロンドン
イギリスの貴族,政治家。2代伯ロバート・スペンサーの子。 1695年下院議員となり,熱烈なホイッグ党員として台頭。 1700年マールバラ (公) の娘アンと結婚。 02年3代伯を継ぐ。 06年国務卿に任じられたが,トーリー党や国教会右派に嫌われ,10年辞職に追いやられた。アン女王の晩年からハノーバー家と連絡を取って同王朝の実現に尽し,12年アイルランド総督,15年国璽尚書。 17年 R.ウォルポールを失脚させ,代って大蔵長官として政治の実権を握ったが,南海泡沫事件で会社との関係を疑われ,21年辞任。少年時代から古書に関心をもち,膨大な古書収集家としても知られる。

サンダーランド(伯)
サンダーランド[はく]
Sunderland, Robert Spencer, 2nd Earl of

[生]1641.9.5. パリ
[没]1702.9.28. ノーサンプトンシャー,オールソープ
イギリスの貴族,政治家。初代伯ヘンリー・スペンサーの子。母は,詩人 E.ウォラーの恋人で,作品『サカリッサ』のモデルであるドロシー。 1643年父の爵位を継ぐ。 71~73年マドリード,パリなどへの特命大使。 79年金で国務卿の地位を手に入れたが,81年王位継承排除法案を支持して解任された。ホイッグ党との関係を否認し,ヨーク公 (のちのジェームズ2世 ) への支持を誓って,83年復職。 85年カトリック教徒ジェームズ2世の即位後はカトリックに改宗し,審査法の撤廃問題や七主教裁判事件などで常に王を支持して有力側近者の地位を保ったが,名誉革命の際女装してオランダに亡命。この地で再び新教に改宗し,ウィリアム3世に手紙で自己弁護したのち帰国し,王に仕えてホイッグ党単独政府の任命などを進言。 97年宮内卿に任命されたが,議会と国民の非難と反感を受けて辞任。当代最大の無節操な政治家とされている。

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