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スハルト スハルト Suharto

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

スハルト
スハルト
Suharto

[生]1921.6.8. オランダ領東インド,ケムスアルガムルジャ
[没]2008.1.27. インドネシアジャカルタ
インドネシアの軍人,政治家。下級中学校イスラム学校を卒業。 1940年オランダ領東インド軍に入隊。日本軍政下でペタ (祖国防衛義勇隊) に転じた。 1945年 10月人民保安隊 (のちの国軍) 副大隊長。

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デジタル大辞泉の解説

スハルト(Suharto)

[1921~2008]インドネシアの第2代大統領。中部ジャワの出身。第二次大戦では宗主国オランダの兵士として戦うが、日本に敗れると日本が組織した軍に入隊。戦後は独立戦争で活躍。1965年、軍部左派将校らによる九・三〇事件を鎮圧し、スカルノに代わって全権を掌握。1968年大統領に就任して、反共民族主義政策を推進。開発独裁政権として工業化・経済成長を達成したが、親族らへの利益供与・不正蓄財への不満から、1998年に辞任に追い込まれた。

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百科事典マイペディアの解説

スハルト

インドネシアの軍人,政治家。西イリアン解放軍方面司令官,戦略予備隊司令官を歴任。1965年九月三〇日事件後,陸相,陸軍司令官として事件処理の中心人物となり,1967年大統領代行,1968年正式に大統領となる。
→関連項目インドネシア東ティモール

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世界大百科事典 第2版の解説

スハルト【Suharto】

1921‐
インドネシア共和国の政治家,大統領。国軍(陸,海,空,警察4軍)の総司令官イスラム教徒ジョクジャカルタ市西方のゴデアン村の中農の出身で,1940年以来職業軍人としての経歴をたどった。第2次大戦前はオランダ領東インド軍,日本軍政中はペタ(祖国防衛義勇軍)に投じ,ひき続き独立戦争に参加した。中部ジャワ管区陸軍ディポネゴロ師団参謀長(1956),西イリアン解放司令官(1962),陸軍戦略予備軍司令官(1963)等を歴任後,65年の軍内左派のクーデタ事件(九月三〇日事件)の制圧とこれに続く共産党の鎮圧の過程で,陸軍内の指導者として急激に頭角を現し,66年3月以降は実質的に政権を掌握した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

スハルト
すはると
Suharto
(1921―2008)

インドネシアの軍人、政治家。中部ジャワのジョクジャカルタ出身。1940年帝国蘭印(らんいん)軍での基礎軍事訓練、1943年日本軍政下の義勇軍(ペタ)を経て、1945年独立インドネシアの国民保安隊(国軍の前身)入隊。1956年中部ジャワでディポネゴロ師団長代行、1963年陸軍戦略予備軍司令官に昇進。1965年の「九月三〇日事件」に際し負傷した国防相ナスティオンにかわり陸軍を臨時指揮、共産党に壊滅的打撃を与え事態を収拾した。1966年3月スカルノから事実上の全権移譲を受け、1967年大統領代行、1968年第2代大統領に就任。軍の力に立脚した秩序維持と日米欧など先進諸国との協調による経済開発を推進、急進民族主義的スカルノ体制との決別を強調して「新体制」と称した。カリスマ性には欠けるものの堅実な指導性には定評があり、ASEAN(アセアン)(東南アジア諸国連合)内でも強大な発言力をもった。
 1990年代に入ると、健康不安説や家族がらみの不正蓄財のうわさと相まって体制不安が懸念され始めた。1997年、タイの金融・財政破綻(はたん)が波及する形で表面化した経済危機を乗り切るため国際通貨基金(IMF)から3300万ドルに及ぶ支援を受ける条件として、一族郎党が関与する独占企業の廃止や、非生産的な大プロジェクトの撤回を迫られた。1998年3月、7選を果たしたが、緊縮財政を理由とする石油の大幅値上げ反対に端を発する激しい国民的不満を触発し、5月21日、側近の副大統領ハビビに後事を託して大統領を辞することを余儀なくされた。イスラム勢力や学生を中心とする反スハルト勢力により、30年に及ぶ不正蓄財の調査を求めるデモが繰り広げられるなど、スハルトは退陣後のインドネシアにも大きな影を落とした。[黒柳米司]
『ヘミッシュ・マクドナルド著、増子義孝・北村正之訳『スハルトのインドネシア――伝統と近代化のジレンマ』(1982・サイマル出版会) ▽安中章夫・三平則夫編『現代インドネシアの政治と経済――スハルト政権の30年』(1995・アジア経済研究所) ▽村井吉敬・佐伯奈津子・久保康之・間瀬朋子著『スハルト・ファミリーの蓄財』(1999・コモンズ) ▽吉村文成著『スハルト「帝国」の崩壊』(1999・めこん) ▽宮本謙介著『開発と労働――スハルト体制期のインドネシア』(2001・日本評論社)』

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20世紀西洋人名事典の解説

スハルト
Suharto


1921.6.8 -
インドネシアの軍人,政治家。
インドネシア第2代大統領。
ジョクジャカルタ生まれ。
陸軍指揮幕僚課程に学ぶ。
1943年日本軍政中、祖国防衛義勇軍を経て、’45年独立インドネシア国民保安隊に入隊し、’56年中部ジャワ・ディポネゴロ師団長代行となり、’63年陸軍戦略予備軍司令官に昇進する。’65年軍内左派のクーデター事件の際、陸軍を臨時指揮し、事態を収拾し、’66年スカルノから全権移譲を受け、’67年大統領代行となり、’68年インドネシア第2代大統領となる。スカルノ体制に代わる「新体制」を掲げ、国軍の支持を基盤とした秩序維持と経済開発政策を推進する。

出典|日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)
(C) 1995 Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
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世界大百科事典内のスハルトの言及

【インドネシア】より

…他の法領域の一元化をはかる前提として,アダットの体系的編纂も企てられたが,オランダ法学者の反対もあり果たされなかった。近年の同様の趣旨の試みとしては,スハルト政権下における婚姻法の制定や,村落行政機構の一元化への動きがあげられる。けだし国是〈多様性の中の統一〉は,インドネシアの社会が直面する現実と理想を象徴している。…

【九月三〇日事件】より

…革命評議会は中央放送局,中央郵便局,電電公社などを占領し,同日早朝〈九月三〇日運動宣言〉を布告した。クーデタは一時成功したかにみえたが,陸軍戦略予備軍司令官スハルト少将の機敏な指揮により政府軍は反乱軍を夕刻までに粉砕した。このクーデタの起因は明らかでなく,(1)同年6月に予定されていた第2回アジア・アフリカ会議流会以後,政界上層部の右傾化とスカルノ大統領の病気悪化説に焦慮した共産党が,蜂起するか軍部に圧殺されるかという二者択一を迫られ決起した,(2)スカルノの唱えるナサコム(民族主義,宗教,共産主義を一体化した統一戦線)体制に協力し人民革命によって政権を狙う共産勢力に危機感を抱いた将軍評議会が挑発した,(3)〈アメリカのCIAの陰謀である将軍評議会〉が企てているクーデタに対し,革命評議会が〈スカルノを守る〉ためにしかけた〈先制攻撃〉である,などの諸説がある。…

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