ソヴィエト社会主義共和国連邦(読み)ソヴィエトしゃかいしゅぎきょうわこくれんぽう(英語表記)Soyuz Sovetskikh Sotsialisticheskikh Respublik(略称SSSR) 英語ではUnion of Soviet Socialist Republics(略称USSR)

旺文社世界史事典 三訂版の解説

ソヴィエト社会主義共和国連邦
ソヴィエトしゃかいしゅぎきょうわこくれんぽう
Soyuz Sovetskikh Sotsialisticheskikh Respublik(略称SSSR) 英語ではUnion of Soviet Socialist Republics(略称USSR)

社会主義を掲げる15の共和国からなり,約70年にわたり存続した連邦国家。ヴィエト連邦・ソ連と通称される。首都モスクワ
1917年11月(ロシア暦では10月)のロシア革命後,全ロシア−ソヴィエト大会の下に,レーニン議長に人民委員会議を組織。翌年議会を解散し,ソヴィエト政府を組織してプロレタリア独裁を確立した。3月,ブレスト−リトフスク条約でドイツと単独講和を結び,第一次世界大戦から離脱,7月の大会でロシア−ソヴィエト連合社会主義共和国(RSFSR)が成立した。1919年にはコミンテルンを結成し,世界革命を指導。この間,戦時共産主義体制により反革命と外国の干渉戦争を克服し,1921年以後ネップ(新経済政策)に転じて生産力回復に成功した。1922年12月にはウクライナほかソヴィエト制国家が合流してソヴィエト社会主義共和国連邦が発足し,24年新憲法を制定した。同年のレーニンの死後はトロツキー派を追放したスターリンが政権を握り,1928年五か年計画に着手し,工業の社会主義化,農業の集団化(コルホーズ・ソフホーズ),血の粛正を強行して一国社会主義建設を推進。1934年国際連盟に加入。1936年スターリン憲法を制定し,ソヴィエト連邦最高会議を最高統治機関として社会主義国家体制を完成した。第二次世界大戦中ドイツの侵入を受けたが,1943年スターリングラードの戦いで勝利後反撃に転じ,ドイツの敗北を決定づけた。ついで1945年対日戦争に参加。戦後の世界は米・ソを中心に二大陣営に分裂した。1953年スターリンの死後,集団指導制を採用し,56年にはスターリン批判が行われた。1958年からフルシチョフ首相は平和共存政策を展開し,中・ソの対立が明確化した。1986年からゴルバチョフ書記長のもとでペレストロイカが始まり,89年にはブッシュ米大統領との間で冷戦終結宣言が出され,中ソ関係も改善された。しかし,共和国の自立の動きが高まり,1991年12月ソ連は崩壊した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

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