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ダライ・ラマ ダライ・ラマDalai Lama

翻訳|Dalai Lama

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ダライ・ラマ
Dalai Lama

チベット仏教 (ラマ教) の法王の地位にある人。達頼喇嘛とも書く。観音の化身として,衆生救済のためにこの世に現れ,歴代のラマはその転生であると信じられている。ゲルク派開祖ツォンカパの弟子の一人ゲンドゥン・トウプ (1391~1474/5) が1世ダライ・ラマとされている。第2世ゲンドゥン・ギャツォ (75~1542) の名は「活仏」として中国まで聞え,明の武宗は莫大な贈り物をして招請使を送っている。実際にダライ・ラマの名称が使用されたのは,第3世ソナム・ギャツォ (43~88) がモンゴルアルタン・ハンから尊称として贈られて以来で,ダライ (モンゴル語で「海」) というのはギャツォすなわち「海」を意味する。特に重要なのは第5世ロサン・ギャツォ (1617~82) で,チベット全土の政権をオイラートのクシ汗から受けて以来,歴代のダライ・ラマは事実上チベットの政治と宗教の両権を掌握する最高権力者となった。第6世ツァンヤン・ギャツォ (83~1706) は詩歌にすぐれ,『恋愛歌集』の作者として知られる。第7世ケサン・ギャツォ (08~57) は学問に秀で,チベット大蔵経を刊行,そのほか著述も多い。現在のダライ・ラマ 14世テンジン・ギャツォ (1935~ ) は,1959年のチベットの反乱事件以来インドダルムサーラに亡命している。 89年ノーベル平和賞受賞。

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百科事典マイペディアの解説

ダライ・ラマ

漢字では達頼喇嘛。チベットのラマ教(チベット仏教)法王(転生活仏)の尊称。黄帽派に属し,開祖ツォンカパの後継者。パンチェン・ラマと並ぶ最高権力者。ラサのポタラ宮に住み,30万〜40万人のラマ僧を統率し,解放前まではチベットの政治と宗教を支配した。
→関連項目アルタン・ハーン活仏セラ寺タシルンポ寺中印国境問題ヤングハズバンドラサラマ教ロブリンカ

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ダライ・ラマ
だらいらま
Dalai Lama

達頼喇嘛とも書く。チベット仏教(ラマ教)において聖俗両権を掌握してきた活仏(かつぶつ)の最高者の称号。ダライはモンゴル語で「大海」を意味し、チベット語のギャツォに相当する。bla maはチベット語で「無上の師」「上人(しょうにん)」を意味し、あわせて「大海のごとく広大な徳の所有者である高僧」の意と考えられる。この称号はおもに中国、モンゴル、インドなどの外地で用いられ、チベット人自身は「ギェルワリンポチェrgyal ba rin po che(宝石のごとき勝者)」とか「イシンノルブyi bshin nor bu(如意宝珠(にょいほうじゅ))」などとよんで、直接「ダライ・ラマ」とよぶことを避けようとする。
 ゲルクパ派dge lugs pa(黄帽派、ゲルク派)の開祖ツォンカパの五高弟の一人ゲンドゥントゥプdge dun grub(1391―1474)はツァン地方にタシルンポ寺院を建立したが、学識・高徳の誉れ高く、観音菩薩(かんのんぼさつ)の化身として人々の信仰を集めた。彼の法系を転生して継承した第3代ソナムギャツォbsod nams rgya mtsho(1543―88)はトゥメトのアルタン・ハン(汗)の招請によりモンゴル諸地方を巡錫(じゅんしゃく)して厚い帰依(きえ)を受けた。ダライ・ラマの称は、1578年アルタン・ハンが彼に贈った尊称を始めとし、以後彼の法系の転生活仏がこの称でよばれ、現在で14代を数える。ゲンドゥントゥプを初代、ゲンドゥンギャツォdge dun rgya mtsho(1475―1542)を第2代とさかのぼらせて数えることものちに確立された。また座牀(ざしょう)地はレプン寺に移された。第4代ヨンテンギャツォyon tan rgya mtsho(1589―1616)はアルタン・ハンの曽孫(そうそん)であり、内モンゴル地方の黄教化を促進した。第5代ガワンロサンギャツォag dba blo bza rgya mtsho(1617―82)は英邁(えいまい)な法主で、青海モンゴルのグシ・ハンの協力を得て旧来の仏教勢力を追放して、チベット全土を統一し、1642年チベット国王の身分と黄帽派チベット仏教全体の法主の地位をあわせもち、初代チベット王ソンツェンガンポの城砦(じょうさい)跡にポタラ宮を構築して冬の居所とした。以後、摂政(せっしょう)サンギェギャツォの指導でダライ・ラマ政権が確立する。
 第6代ツァンヤンギャツォtshas dbyas rgya mtsho(1683―1706)は恋愛詩をよくする詩人として知られ、第7代ケサンギャツォbskal bzargya mtsho(1708―57)は学徳兼備の高僧であり、ナルタン寺版チベット大蔵経を開版した。その後、宗主権の確立を企てる清(しん)朝とその駐蔵大臣、チベット人貴族の摂政、宗派内外の確執、外国列強の勢力抗争のなかで、国情は不安定となり、犠牲となって夭折(ようせつ)するダライ・ラマが続出した。第13代トプテンギャツォgrub bstan rgya mtsho(1875―1933)は清朝・イギリス・ロシアの勢力拡張の渦に巻き込まれながらもチベットの国権の保持と近代化に腐心した。
 現在の第14代テンジンギャツォbstan dsin rgya mtsho(1935― )の代に中華人民共和国軍隊のチベット進駐(1950)が行われ、チベット解放政策が進行した。ダライ・ラマは一度は「チベット自治区準備委員会」に参画したが、1959年3月ラサでの動乱を機にインドに亡命、北インドのダラムサラに亡命政権を樹立して現在に至っている。1989年ノーベル平和賞を受賞。世界各地を積極的に訪問し、講演や説法をはじめ、要人との会談なども行っている。2007年10月アメリカ議会より議会名誉黄金勲章を授与された。訪日は10回以上を数える。[川崎信定]
『日高一輝訳『わがチベット――ダライ・ラマ自叙伝』(1963・講談社) ▽山口瑞鳳著『チベット』上下(1987~88・東京大学出版会) ▽ダライ・ラマ著、木村肥佐生訳『チベット わが祖国』(1989・中央公論社) ▽ダライ・ラマ著、山際素男訳『ダライ・ラマ自伝』(1992・文芸春秋) ▽田中公明著『活仏たちのチベット――ダライ・ラマとカルマパ』(2000・春秋社) ▽G. Schulemann Geschichte der Dalailamas(1958, Leipzig)』

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