ドイツ帝国(読み)ドイツていこく(英語表記)Deutsches Reich

  • Deutsches Reich ドイツ語
  • ドイツ帝国 Deutsches Reich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ドイツが帝制をとった時代の名称。第1は神聖ローマ帝国,第2はビスマルクドイツ統一によって成立した帝国である。ヒトラーナチス国家第三帝国と称したが,これは狭義の帝国ではない。一般には 1871~1918年のドイツ帝国をさす。この帝国の国制は,1871年4月公布の「ドイツ帝国憲法」によって定められている。帝国は 22の君主国 (王国4,大公国6,公国5,その他7) と3つの自由都市から成る連邦で,各邦はそれぞれ従来の政治制度と法律をもち,行政権もほとんどその手に握っていた。各邦を代表する連邦参議院上院,全国民の男子普通選挙による帝国議会下院を構成したが,連邦参議院がドイツ帝国の事実上の最高機関をなした。しかし最大の領域と経済力,軍事力をもつプロシアの権利はきわめて大きく,プロシア王はドイツ皇帝を兼ね,帝国宰相を任命し,帝国宰相もプロシア首相がこれを兼ね,しかも帝国宰相は,皇帝に対してのみ責任をもち,議会には責任を負わなかった。 1918年のドイツ革命によって崩壊

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デジタル大辞泉の解説

1871年、普仏(ふふつ)戦争勝利の結果成立した統一ドイツ国家。22の君主国と3自由市からなる連邦制をとったが、プロイセンが名実ともに帝国を支配し、プロイセン国王が皇帝、プロイセン首相が宰相を兼ねた。神聖ローマ帝国に次ぐものとして、ドイツ第二帝国ともいった。1918年、第一次大戦の敗北と、これと前後して起こったドイツ革命によって崩壊。

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百科事典マイペディアの解説

1871年普仏戦争の結果成立したドイツ統一国家。4王国,6大公国,5公国,7侯国および3自由市からなる連邦国家だが,実質はプロイセンの主導下にあり,連邦首長はドイツ皇帝の名を帯びるプロイセン国王。神聖ローマ帝国に対し第二帝国と称した。国家成立に際しビスマルクの果たした役割は大きい。連邦諸国は各自固有の首長,政府,憲法を保持するが,主権は帝国政府に委譲され,帝国政府は皇帝が任命する帝国宰相が組織した。帝国の立法機関として男子普通選挙に基づく帝国議会と連邦諸国の代表からなる連邦参議院があったが,議会の権限はきわめて弱く,総じてドイツ皇帝(プロイセン国王)の権力が絶対的であった。1918年ドイツ革命で崩壊。→小ドイツ主義
→関連項目エーベルト北ドイツ連邦ドイツドイツ連邦ユンカー

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世界大百科事典 第2版の解説

ドイツで帝制をとった国家は史上2度あり,第1は神聖ローマ帝国(962‐1806),第2がビスマルクのドイツ統一により実現したドイツ帝国(1871‐1918)で〈第二帝国〉ともいう。ヒトラーのナチス国家(1933‐45)もこれに次ぐものとして〈第三帝国〉を称した。しかし日本でドイツ帝国というとき,普通第二帝国をさす。
[ドイツ統一]
 ドイツ帝国は,普仏戦争最中,1871年1月,フランスのベルサイユ宮殿における皇帝戴冠によって誕生した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ドイツで帝制がとられたことは史上二度ある。最初はオットー1世(大帝)の創始した神聖ローマ帝国(第一帝国、962~1806)で、次がビスマルクのドイツ統一により実現した帝国(第二帝国、1871~1918)である。わが国では普通、後者を「ドイツ帝国」とよぶ。この帝国は1871年、プロイセン・フランス戦争の勝利のあと、北ドイツ連邦に南ドイツ四か国が参加して成立した。プロイセン以下22の君主国と三自由都市からなる連邦で、帝国の元首、すなわち皇帝の位にはプロイセン王がつき、政府を代表する帝国宰相はたいていプロイセン首相が兼ねた。プロイセンは面積、人口、経済力、軍事力で他の邦国を圧倒する実力をもっていた。宰相は憲法上皇帝の任命する一大臣にすぎなかったが、その権限は大きく、ビスマルクがその地位にある間、事実上彼の独裁が行われた。しかし彼のあと、歴代の宰相の力は弱く、皇帝の意のままになって、内政に混乱が生じた。一方、立法府である帝国議会の議員は普通選挙で選ばれ、民意をよく反映したが、その権限は予算審議などに限られ、政治を左右する力をもたなかった。しかし時がたつにつれ、社会民主党のような批判勢力が目覚ましく進出し、帝国議会も政治的影響力を増大させた。この時期、ドイツ資本主義は飛躍的な成長を遂げ、工業の生産力は20世紀初めイギリスを追い抜き、アメリカに次いで世界第二位になった。また、学問や文化でもドイツは当時の世界をリードした。このような実力を背景に、ドイツ帝国は対外膨張に努め、世界の強国を目ざした。このため、イギリスはじめ帝国主義列強との対立が激化し、1914年第一次世界大戦に突入した。4年の戦いののち敗れ、革命(ドイツ革命)が勃発(ぼっぱつ)、皇帝が退位して、ドイツ帝国は崩壊した。

 なお、ヒトラーのナチス国家(1933~45)も、これに次ぐものとして「第三帝国」を称した。

[木谷 勤]

『木谷勤著『ドイツ第二帝制史研究』(1977・青木書店)』

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精選版 日本国語大辞典の解説

第一帝国(神聖ローマ帝国)と第二帝国(一八七一年、プロイセンを中心として形成された帝国)、特に後者をさす。ナチスの支配した第三帝国を含めることもある。

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旺文社世界史事典 三訂版の解説

【第二帝国】ビスマルクの統一事業によって1871年に成立し,22君主国と3自由市からなるホーエンツォレルン家の帝国
【第三帝国】1933年1月から45年にかけて,ナチスの支配したドイツ帝国の通称
【第一帝国】⇨ 神聖ローマ帝国
連邦制をとるが,プロイセン王がドイツ皇帝を,プロイセン首相が帝国宰相を兼ねた。国会は連邦参議院と帝国議会の二院制をとるが,プロイセンの指導性が強い。ユンカーが軍部と官僚を独占し,近代的改革はおくれたが,近代工業の発展は労働運動や社会主義運動を成長させた。第一次世界大戦の敗北により,1918年に解体した。
ヴァイマル共和国を否定し,第二帝国の伝統を継承するとして,このように称した。1945年,第二次世界大戦の敗北により解体。

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世界大百科事典内のドイツ帝国の言及

【プロイセン】より

…プロイセンという呼称は,最も広い意味では,1871年以来ドイツ帝国の中核を形成したプロイセン王国を指す。しかし,行政区域としては,この王国の北東部,すなわちポンメルン州とブランデンブルク州の東方,ワイクセルWeichsel川(ビスワ川)を越えてメーメルMemel川(ネマン川)に至る,バルト海沿いの地域について用いられる。…

※「ドイツ帝国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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