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ドミニコ会 ドミニコかいOrdo Fratrum Praedicatorum; OP

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ドミニコ会
ドミニコかい
Ordo Fratrum Praedicatorum; OP

1216年ドミニコアウグスチヌス修道会則にのっとってツールーズに創立したカトリック托鉢修道会清貧のなかでの説教と神学研究を主要理念とし,従来の大修道院の隠遁的要素と新しい宣教活動とを総合,選挙による民主制度を大幅に取入れ,会員を個々の修道院から切離して修道会全体に所属させて超国家的な機動性を発揮した。早くから各地に学院を経営し,アルベルツス・マグヌストマスアクィナスらを生んで 13世紀のスコラ哲学黄金期の一方の雄となった。 14世期には衰退するが,思想的にはドイツ神秘主義を開花させた。新大陸への植民時代には立直って各地に布教し,日本でも殉教者を出した。フランス革命の頃から再び衰退したが,19世紀後半から特にトミズム復興運動とともに学問研究の領域ですぐれた活動を展開している。

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百科事典マイペディアの解説

ドミニコ会【ドミニコかい】

托鉢修道会の一つ。英語でDominican Order,ラテン語でOrdo Fratrum Praedicatorumといい,〈説教者兄弟修道会〉とも称される。ドミニクスによりトゥールーズで創立され,1216年教皇の認可を得た。初期の目的はカタリ派の改宗事業(アルビジョア十字軍)にあった。清貧と研学を旨とし,特に托鉢により遍歴説教活動を行う。アルベルトゥス・マグヌストマス・アクイナスらの学者が輩出して,スコラ学の発展に寄与するとともに,エックハルト,シエナのカタリナら,優れた神秘思想家も出ている。日本へは1601年に伝わる。
→関連項目キリシタン版修道会ラス・カサス

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世界大百科事典 第2版の解説

ドミニコかい【ドミニコ会 Dominican Order】

托鉢修道会の一つ。〈説教者兄弟修道会〉ともいう。カスティリャの名門出身のドミニクスがオスマ司教ディダクスとともにトゥールーズで組織した修道者団体を起源とし,1216年教皇ホノリウス3世の認可によりアウグスティヌス律修参事会則を採用して正式修道会となった。〈清貧〉主義の実践と神学的内容の豊かな説教活動を使命とし,まず南フランスの異端アルビジョア派の改宗運動にとりくみ,当時フランス王権の南フランス進出に便乗してくりかえされていた北フランス諸侯による武力弾圧(アルビジョア十字軍)とは関係なく,プルイユ(トゥールーズ付近)の女子修道院と協力して平和的手段による説得につとめ,異端者の教会復帰に効果をあげた。

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大辞林 第三版の解説

ドミニコかい【ドミニコ会】

1215年にフランスでドミニクスが創始した托鉢修道会。清貧と説教活動を重視。学問的な貢献は著しく、トマス=アクィナスなどが輩出。1601年に初来日。説教者兄弟修道会。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ドミニコ会
どみにこかい
Ordo Praedicatorumラテン語
Order of DominicDominican Order英語

1216年に教皇ホノリウス3世の認可の下にドミニクスによって創立された修道会。正式会名は「説教者会」であり、フランシスコ会とともに托鉢(たくはつ)修道会ともよばれる。説教者会の精神は、「観想し、観想の果実を他の人々に伝えよ」ということばに表現される。共同生活、祈り、神学研究と三誓願(せいがん)(従順、清貧、貞潔)によってキリストの観想を深めつつ、同時に西欧全土を旅して説教を行い、またパリ、ボローニャ、ローマなどの大学を中心に神学的啓蒙(けいもう)運動を展開してきた。
 キリストの真理を伝えようとするこのドミニコ会の理想は、プリズムによって光が多彩に分割されるように無数のドミニコ会士によって歴史のうちに生かされてきた。トマス・アクィナスは神学を、エックハルト、H・スーゾーらは神秘的観想を、フラ・アンジェリコは宗教的美を生き伝え、他方シエナの聖女カタリナはアビニョンの教皇を動かし、サボナローラの弁舌は宗教改革の先駆ともなった。日本には17世紀初頭のキリシタン時代に伝来、今日では仙台、福島、東京、京都、愛媛、福岡などで布教している。学校は聖トマス学院(京都市)がある。[宮本久雄]
『J・G・バリエス編『星に輝く使徒』(中央出版社・中央新書) ▽今野國雄著『修道院』(岩波新書)』

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世界大百科事典内のドミニコ会の言及

【宗教改革】より

… 〈九十五ヵ条〉は,このように教皇庁財政の手段と化していた贖宥状販売への批判にとどまるものではなく,教皇権の本質とキリスト信仰の中核にかかわる重大な論点を含んでいたため,ルター自身の予想をはるかに超える広い反響を呼び起こした。当初ローマ教皇庁はこの事件をたいして問題にせず,ルターの側でも論題の真意を詳しく解説した書物を公にして,教皇の理解を求めたが,贖宥状販売に直接かかわっていたドミニコ会の神学者たちとの論争を通じて,双方の対立は時を追って厳しくなり,ドミニコ会の告発で,翌18年6月には,ルターに対する異端審理がローマで開始される。そして19年6~7月,教皇側の最も有力な正統神学者エックとの間に,ライプチヒで行われた討論会(ライプチヒ討論)において,ルターがついに教皇の至上権を明確に否認し,公会議も誤りを犯す可能性があり,フスの学説にも福音的なものがあると公言するにおよんで,ローマ教会との決裂は事実上とり返しのつかぬものとなった。…

【托鉢修道会】より

…13世紀初めの西ヨーロッパで革新的なキリスト教信仰生活をめざした新形式の修道会の総称。フランシスコ会ドミニコ会カルメル会アウグスティヌス会などがこれに属する。これらの修道会は,中世初期以来のベネディクト会系の修道院が民衆から隔絶した場所に定住し,しかも有力信者からの寄進を受けて富裕化,世俗化したのに対して,その生活方式を根本的に異にし,個人・共同体ともに財産を所有せず信徒からの喜捨にたよる〈清貧〉の精神を重視した。…

【ドミニクス】より

…説教者兄弟修道会(ドミニコ会)の創立者,聖人。ドミニク(英語,フランス語),ドメニコ(イタリア語),ドミンゴ(スペイン語)ともいう。…

【ラテン・アメリカ】より

…初期の熱っぽい宣教への意欲はその対象を失って後退し,代わって都市部を中心に司教または大司教を長とした教会の組織化が進んだ。この推移の中で初期宣教の主役を担ったフランシスコ会やドミニコ会などの修道士に代わって,司教以下の教区付聖職者がインディアス教会の主導権を握った。この間,両者は司牧権の移行をめぐって激しく対立したが,独立性の強い修道会を敬遠する王権が人事権をはじめ統轄のより容易な教区付聖職者に荷担したために,抗争の勝敗はおのずから明らかであった。…

※「ドミニコ会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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