デジタル大辞泉 「ネアンデルタール人」の意味・読み・例文・類語
ネアンデルタール‐じん【ネアンデルタール人】
[補説]近年の研究で、非アフリカ系の現代人のゲノムに、ネアンデルタール人に由来するDNAの断片が数パーセント含まれていることがわかり、約6万年前にアフリカを出たホモ‐サピエンスとネアンデルタール人などの間で交雑があった可能性が指摘されている。
旧人の地域集団の一つで、分布域はヨーロッパを中心とし、一時期、西・中央アジアから南シベリア方面まで広がっていた。その名は1856年にドイツのデュッセルドルフ近郊のネアンデル谷(タールは谷の意)で発見された1体の化石人骨に由来する。もっともよく知られた化石人類の一つだが、その理由は、学史上最初にみつかった化石人類であること、骨の保存条件がよい地中海周辺の石灰岩洞窟から、他の遺物とともに多数の化石が発見されていること、古くからヨーロッパの研究者によって詳しく研究されていることなどによる。同時代のアジアやアフリカには別の旧人集団がおり、「旧人=ネアンデルタール人」とするのは誤りである。ホモ・ネアンデルターレンシスという種名があるが、独立の種とみなすかどうかは研究者によって意見が異なる。
[海部陽介・太田博樹 2023年8月18日]
適度に発達した眼窩(がんか)上隆起や高さの低い脳頭蓋などの原始的特徴を示すほか、以下に例示するような独特の形態特徴をもつことが知られている。
(1)顔面の鼻から口元までの部分が前方に突き出ていること。
(2)下あごの歯列の後方に大きな空隙があること。
(3)脳は現代人と比べてもかなり大きめであること。
(4)脳頭蓋は後方からみると現代人のように角張らず丸みを帯びていること。
(5)上あごの第一大臼歯が特殊な形をしていること。
(6)背は高くないが非常にがっしりした体型をしていたこと。
ヨーロッパでは、ネアンデルタール(ドイツ)のほか、スピー(ベルギー)、クラピナ(クロアチア)、ラ・シャペル・オ・サンおよびラ・フェラシー(フランス)など多数の地点から化石がみつかっている。西アジアでは、東京大学のチームが発掘したアムッド(イスラエル)とデデリエ(シリア)、およびシャニダール(イラク)などが代表的な遺跡である。南シベリアのアルタイ地方においては、オクラドニコフ記念洞穴を含む三つの洞窟からの化石が知られ、その多くはゲノム解析によってネアンデルタール人と同定された。
[海部陽介・太田博樹 2023年8月18日]
ヨーロッパでは、40万~30万年前以降にネアンデルタール的な特徴を示す化石が出現することが広く認められているが、どの時点からネアンデルタール人とするかについては専門家の意見がまとまっていない。2010年以降にネアンデルタール人のゲノム解読が完了したことにより、他の人類との系統関係がかなり明らかになってきた。ドイツの研究グループによる研究では、現代人の系統とは60万年ほど前に分岐し、その後、仮称として「デニソワ人」とよばれる別の旧人集団と40万年ほど前に分岐したと推定されている。ただしこれらの系統分岐がどこで生じたのかは不明で、分岐した当時の人類がどのような姿をしていたのかも、まだわかっていない。
ネアンデルタール人は、5万年前以降に、アフリカ由来のホモ・サピエンスがユーラシアへ大拡散していった時期に姿を消す。最新の年代測定結果によれば、それは4万年前ころのことであったようだが、最終的な絶滅がいつ起こったのかはまだよくわかっていない。古代ゲノム解析によれば、ユーラシアに広がったホモ・サピエンスはネアンデルタール人の一部集団から、交雑によってゲノムの一部を受け継いでおり、したがってその絶滅は完全なものではなかったと考える研究者もいる。
[海部陽介・太田博樹 2023年8月18日]
ヨーロッパや西アジアは骨などの遺物の保存状態がよい遺跡の存在に恵まれ、ネアンデルタール人の行動についてもかなり多くのことがわかっている。たとえば、ネアンデルタール人は、火を日常的に制御し、中~大型の動物を捕える狩猟技術を有し、簡単な毛皮の加工を行い、アスファルトなどを使って道具の接着を行い、死者を埋葬するなど、かなり進歩的な技術と文化をもっていた。脳のサイズは現代人と大差なく、寒冷な氷期のヨーロッパで長期間存続したことからみても、そうであって不思議はない。末期のグループは装飾品をも製作していたようだが、それはホモ・サピエンスの文化の模倣であるとの見解もある。ネアンデルタール人の行動能力が、ホモ・サピエンスとどれだけ違っていたのかについては、研究者間で意見の違いがある。少なくとも非常に大きく違っていたととらえる見方は、最近では少数意見となってきている。
[海部陽介・太田博樹 2023年8月18日]
2010年にネアンデルタール人の全ゲノムドラフト配列が報告され、2014年には現生人類(ヒト)ゲノム参照配列と引けを取らない高精度の配列決定がなされた。これらの解析結果から、ネアンデルタール人とヒトは約60万年前に分岐したと推定された。そして、非アフリカ人のゲノム中、1~4%がネアンデルタール人由来であった。この結果は、ヒトが出アフリカ後、西アジアあたりにすでに住んでいたネアンデルタール人と交雑したことを示唆する。また、アルタイ山脈の洞窟から発見されたネアンデルタール人骨の高精度全ゲノム配列は、かなり近親婚が進んだ集団であったことを示した。
さらに同じくアルタイ山脈のデニソワ洞窟から発掘された小さな指の骨から得られたDNA(デオキシリボ核酸)の塩基配列を解読した結果、それが「デニソワ人」とよばれる、別の旧人であったことが示されたが、ゲノム解析の結果は、これら旧人どうし、および旧人と新人(ホモ・サピエンス)との交雑が複数回起こっていたことを示している。
[海部陽介・太田博樹 2023年8月18日]
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(馬場悠男 国立科学博物館人類研究部長 / 2007年)
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ヨーロッパから西アジアにわたり200体分以上の化石から知られている化石人類。年代は約20万~3万年前,ホモ・サピエンスの亜種もしくは独自の種ホモ・ネアンデルターレンシスとされる。ドイツ,ネアンデルタールの谷で1856年に発見された部分骨格標本が名称の由来であり,いわゆる旧人として従来から広く知られてきた。今では,アフリカ起源の新人の拡散により,ほとんど交雑することなく絶滅したとする説が有力である。
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狭義には,ドイツのデュッセルドルフに近いネアンデル谷の洞窟で1856年に発見された旧人の化石をさす。発見当時はダーウィンの進化論の発表以前であったため,更新世人類としてなかなか認められなかった。しかしその後ヨーロッパや西アジアの各地で同類の化石人類が多数発見されるようになり,現在ではこの地域の旧人の総称としても用いる。
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…更新世およびそれ以前の化石骨によって知られる人類,すなわち猿人,原人,旧人,新人の総称。化石人類として最初に認められたのは,ドイツのデュッセルドルフに近いネアンデル谷の石灰岩洞窟で1856年に発見されたネアンデルタール人である。この人骨は,頭蓋冠が低く,眼窩上隆起が強い点で原始的であったが,頭蓋腔容積は現代人に勝るとも劣らない大きさをもっていた。…
…一口に旧人といっても生存期間が長いだけに早期の人類と晩期のものでは骨の形がちがっている。ヨーロッパの旧人でウルム氷期に由来するものを古典的ネアンデルタールまたは単にネアンデルタール人類といい,それより以前の人類を早期ネアンデルタールまたはプレネアンデルタール人類,さらにヨーロッパ以外の旧人(ソロ人,馬壩人,ローデシア人など)をネアンデルターロイドと呼ぶ。
[古典的ネアンデルタール人類]
最後の氷期であるウルム氷期の初期に限ってヨーロッパに生活していた人類で,いわゆるネアンデルタール人類として引き合いに出される有名なものはこの群に属している。…
…一方,ハンド・アックス文化はアフリカからヨーロッパ,中近東からインド南部にかけて広大な分布圏を形成した。
[中期旧石器時代]
約8万年前から約3万5000年前まで続いた旧人(ネアンデルタール人)の時代であり,地質学上では最終氷期の前半に相当する。ヨーロッパにはネアンデルタール人によって残されたムスティエ文化の遺跡が広く分布している。…
…原人,旧人,新人の系統的関係,すなわち現生人類の出現に関しては,プレ・サピエンス説,プレ・ネアンデルタール説,ネアンデルタール説が提唱されているが,すべての旧人もしくはその一部の絶滅を前提とする前の2説よりも,原人から旧人をへて新人へ移行したとするネアンデルタール説が有力である。旧人の文化は,剝片石器を主体とする中期旧石器文化であるが,ヨーロッパ全域,西アジア,北アフリカでムスティエ文化を発達させた旧人の一群を,とくにネアンデルタール人と呼ぶ。彼らはヨーロッパが亜北極的気候にあったウルム第1亜氷期においてもその地にとどまり,過酷な自然環境に身体的・文化的適応をとげた結果,他地域の同時代人とは異なる独自の形態特徴を獲得するにいたった。…
…オデュッセウスの従者を豚に変えた魔女キルケ(チルチェ)の神話で知られ,海の浸食によってできた洞穴のひとつにもその名が冠せられている。それらの洞穴ではしばしば先史時代の人間の居住の形跡が見つかり,1939年にネアンデルタール人の骨が発見された。【萩原 愛一】。…
…西アジアでは,ルバロア技法を指標として従来ルバロア文化とされたものが,文化の実体が明確にされなかったので,今日ではルバロア・ムスティエ文化と総称される。ムスティエ文化はネアンデルタール人によるものである。骨角器はほとんど認められないが,木器は多く用いられたと想像される。…
※「ネアンデルタール人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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