コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ハリス Charis, Petros

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ハリス
Charis, Petros

[生]1902.8.26. アデン
ギリシアの小説家。本名 Ioannis Marmariadis。 1933年からギリシアの代表的な文芸誌『ネア・エスティア』の編集長をつとめる。短編小説にすぐれ,代表作に『地上最後の夜』I teleutaia nychta tis gis (1924) ,『遠い世界』 Makrinos kosmos (44) などがある。ほかに『子供の対話』 Paidikoi dialogoi (24) などの児童文学,『自由なる知識人』 Eleutheroi Pneumatikoi anthropoi (47) などのエッセーも多い。

ハリス
Harris, Benjamin

1673~1716年に活躍したイギリスの書籍商,作家。非国教徒でホイッグ党員であったが,ロンドンで発表したパンフレットに対する官憲の追及から免れるため 1686年ボストンに逃れ,書店とコーヒー店を経営。アメリカ最初の新聞となった"Publick Occurances Both Forreign and Domestick"を発刊 (1690.9.25.) したが1号でボストン官憲から発禁処分を受けた。しかし彼の書いた『ニューイングランド初歩読本』 The New England Primerは1世紀の間教科書として愛用された。 95年ロンドンに帰り,99年から 1706年まで『ロンドン・ポスト』 The London Postを定期的に発行した。

ハリス
Harris, Frank

[生]1856.2.14. ゴールウェー
[没]1931.8.26. ニース
アメリカの文筆家,法律家。アイルランドに生れ,1870年アメリカに渡り,カンザス大学で学んだのち帰化。 90年代にイギリスに渡って,『フォートナイトリー・レビュー』『サタデー・レビュー』『バニティ・フェア』などの雑誌を編集。かたわらワイルド,ショー,H. G.ウェルズらと親交を結び,彼らの私生活を暴露してしばしば問題を引起した。主著『人間シェークスピア』 The Man Shakespeare (1909) ,『ワイルド伝』 Oscar Wilde: His Life and Confessions (2巻,20) ,大胆な性愛描写で発禁となった自伝『わが生涯と愛』 My Life and Loves (3巻,23~27) 。

ハリス
Harris, George Washington

[生]1814.3.20. ペンシルバニア,アリゲニー
[没]1869.12.11. テネシー,ノックスビル
アメリカのユーモア作家。テネシー川の汽船の船長を経て,1840年頃から,さまざまな新聞,雑誌にユーモラスな物語を寄稿し好評を博した。南部独特のほら話を方言で綴った短編集『サット・ラビングッドのお話』 Sut Lovingood's Yarns (1867) など。

ハリス
Harris, Joel Chandler

[生]1848.12.9. ジョージア,イートントン
[没]1908.7.3. アトランタ
アメリカの小説家。 24年間にわたって『アトランタ・コンスティテューション』誌の編集にたずさわり,賢い黒人の老僕リーマスじいやが動物の話をする形式の物語を書いて大好評を博した。それは『リーマスじいや-その歌とお話』 Uncle Remus: His Songs and Sayings (1880) 以下の作品集にまとめられた。南部黒人の方言を忠実に記録した黒人民話の集成として高く評価される。

ハリス
Harris, John

[生]1666頃
[没]1719.9.7.
イギリスの著作家,事典編集者。オックスフォード大学に学び,のちに聖職についた。イギリス最初の百科事典『英語学術事典』 Lexicon Technicum (1705) を出した。

ハリス
Harris, Louis

[生]1921.1.6. ニューヘーブン
アメリカの世論分析家,コラムニスト。ノースカロライナ大学卒業。 1956年ルイス・ハリス世論調査研究所を創設し,世論調査や市場調査の分野で活躍,またコラムニストとして『ワシントン・ポスト』『ニューズウィーク』その他に寄稿。 74年『オーガスタ・クロニクル・アンド・ヘラルド』紙副社長兼編集長就任。

ハリス
Harris, Merriman Colbert

[生]1846.7.9.
[没]1921.5.8.
アメリカのメソジスト監督教会宣教師。 1873年来日して函館で伝道し,内村鑑三新渡戸稲造に授洗。 78年東京に移って伝道,一時帰米して (86) サンフランシスコを中心とする在米邦人に伝道したが,のち再び日本および朝鮮宣教監督として赴任。日本で没した。

ハリス
Harris, Roy

[生]1898.2.12. オクラホマリンカーン
[没]1979.10.1. カリフォルニア,サンタモニカ
アメリカの作曲家。カリフォルニア大学で哲学,経済学を修める。楽は A.ファーウェルに学んだのち,パリに留学し,N.ブーランジェ師事。同世代のアメリカの作曲家と同様に,新古典的,折衷的手法をとり,10曲の交響曲,交響序曲『ジョニーが帰ってくるとき』 (1935) などが代表作。ほかに『ピアノ五重奏曲』 (36) ,室内楽などがある。

ハリス
Harris, Townsend

[生]1804.10.4. ニューヨーク,サンディヒル
[没]1878.2.25. ニューヨーク,サンディヒル
アメリカの外交官。幕末の駐日公使。兄とともに陶磁器輸入商を営み,社会事業に奉仕。ニューヨーク市教育委員長となり,のちのニューヨーク市立大学を設立した。次いで清国に渡り,商業活動に従事。安政1 (1854) 年ニンポー (寧波) 領事となった。同2年 M.ペリーが結んだ日米和親条約を実施,拡大する使命を帯びて駐日総領事として同3年7月下田へ着任。幕府通商条約の調印を迫り,同5年6月条約の締結に成功した。同年 12月公使に就任。文久2 (62) 年4月解任されて帰国。著書『日本滞在記』。

ハリス
Harris, William Torrey

[生]1835.9.10. コネティカット,ノースキリングリー
[没]1909.11.5. プロビデンス
アメリカの教育家。 19世紀後半の最も著名な公立学校行政官,哲学者。エール・カレッジに学び,ミズーリ州セントルイスで教師をつとめたのち 1868~80年教育長に就任。カリキュラムに美術,音楽,理科,工作などを導入し,教員養成における教育学の専門的研究を奨励した。セントルイスの公立ハイスクールの拡充,幼稚園の正規の学校体系への編入などにも努めた。 89~1906年連邦政府教育局長官に就任。哲学者,心理学者としてはドイツ観念論,アメリカ超絶主義,キリスト教,性相学,精神陶冶説などを信奉した。著述家としては多作で,数百に及ぶ哲学的,教育的論文を発表し,『思弁哲学雑誌』 Journal of Speculative Philosophy,『アプルトン国際教育叢書』,ウェブスターの『新国際辞典』などの編集にも関与した。主著『哲学研究入門』 Introduction to the Study of Philosophy (1889) ,『初等教育』 Elementary Education (1900) 。

ハリス
Harris, Zellig Sabbetai

[生]1909.10.23. バルタ
[没]1992.5.22. ニューヨーク
ロシア生れのアメリカの言語学者。ペンシルバニア大学教授。アメリカ構造主義言語学の方法論に反省を加え,それを精密化する一方,変形の概念を導入することによって N.チョムスキー変形文法の先駆の役割を果した。主著『構造言語学の方法』 Methods in Structural Linguistics (1951,改訂増補版『構造言語学』 Structural Linguistics〈60〉) ,『構造・変形言語学論集』 Papers in Structural and Transformational Linguistics (70) など。

ハリス
Harris, Wilson

[生]1921.3.24.
ガイアナの小説家,詩人,文明批評家。 17歳で土地測量士となり,ジャングル奥地での測量に従事,これがのちの小説の背景となった。 1945年から『キク』誌に詩を発表,59年以降イギリスに定住し,創作活動のかたわら,アメリカ,イギリスなどの大学で教えた。詩集『井戸と土地』 The Well and the Land (1952) ,小説『孔雀の宮殿』 Palace of the Peacock (60) ,比較文化論集『宇宙の子宮』 The Womb of Space (83) などがある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディアの解説

ハリス

米国の作家。ジョージア州生れ。黒人の伝説をアンクル・リーマスの口を通して語る《アンクル・リーマスの歌とことば》(1880年)など,一連の児童文学で有名。ジョージアの人びとを描いた小説もある。

ハリス

米国の作曲家。カリフォルニア大学で哲学と経済学を専攻したのち音楽を正式に学び,《弦楽のためのアンダンテ》(1925年)がコンクールに入賞。1926年―1928年パリでN.ブーランジェに師事。

ハリス

幕末,米国の外交官。1856年初代駐日総領事として伊豆(いず)下田に着き,玉泉(ぎょくせん)寺を総領事館とした。1857年下田条約,1858年日本最初の包括的通商条約日米修好通商条約の締結に成功し,翌年公使に昇任,江戸麻布(あざぶ)善福寺公使館を置いた。
→関連項目オールコック開国(日本史)下田[市]ヒュースケンペリー堀田正睦

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

ハリス Harris, Merriman Colbert

1846-1921 アメリカの宣教師。
1846年7月9日生まれ。明治6年(1873)メソジスト監督教会から派遣されて来日。翌年函館に赴任し,プロテスタント教会を設立。内村鑑三,新渡戸稲造らに札幌で授洗した。一時帰国後,37年日本・朝鮮宣教監督として再来日。大正10年5月8日東京の青山学院構内のハリス館で死去。74歳。オハイオ州出身。

ハリス Harris, Townsend

1804-1878 アメリカの外交官。
1804年10月4日生まれ。安政3年(1856)初代駐日総領事として伊豆下田に来航,玉泉寺を総領事館とする。幕府に通商条約を強要,4年下田条約,5年日米修好通商条約を締結した。のち公使に昇格し,江戸麻布(あざぶ)善福寺を公使館とした。文久2年帰国。日記に「ハリス日本滞在記」がある。1878年2月25日死去。73歳。ニューヨーク州出身。

ハリス Harris, Flora Lydia Best

1850-1909 アメリカの宣教師。
1850年2月14日生まれ。明治6年(1873)夫のM.C.ハリスとともに来日。女子教育の必要性をうったえ,函館の遺愛女学校(現遺愛女子高)の設立につくす。また「土佐日記」などを英訳した。明治42年9月7日東京で死去。59歳。ペンシルベニア州出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

ハリス

没年:1878.2.25(1878.2.25)
生年:1804.10.4
幕末のアメリカの外交官。ニューヨーク州サンディ・ヒルに帽子商の5男として生まれる。14歳でニューヨーク市の繊維商に奉公,1820年に兄が営む陶磁器輸入商に加わって小売店を担当した。その傍ら語学修得など勉学に努め,敬虔なキリスト者として日曜学校の教師を引き受けていたほか,廉潔な性格を買われて貯蓄銀行の評議員にも選ばれている。民主党員としては社会奉仕に力を尽くし,なかでも教育委員としての活動は特筆される。41年ニューヨーク市の教育委員となり,46年6月には同委員長に選出された。47年1月,授業料免除の高等教育機関フリー・アカデミー(ニューヨーク市立大学)の創設を提案,市民の賛同が得られるや建設実行委員会の委員長として尽力した。47年に母を失い,48年1月には教育委員会委員長を辞任,その後まもなくして店が倒産した。 49年5月ニューヨークを去り,船主となってサンフランシスコ,太平洋,東南アジア,インド洋を股にかけた貿易活動に従う。54年8月,寧波のアメリカ領事に任命されるが赴任せず帰国。来たるべき初代駐日総領事に任ぜられるよう運動し,55年8月に大統領命令の形で拝命(正式な任命は56年6月)。安政3(1856)年7月21日(8月21日),下田に到着した。同5年6月19日(7月29日)念願の日米修好通商条約を結び,同年末駐日公使に昇任,文久2(1862)年4月に日本を離れた。<著作>『ハリス日本滞在記』(坂田精一訳)<参考文献>中西道子『タウンゼンド・ハリス』

(内海孝)

ハリス

没年:明治42.9.7(1909)
生年:1850.2.14
明治期のアメリカ・メソジスト監督派の婦人宣教師。アレガニー大学でM.A.取得。明治6(1873)年同学のM.C.ハリスと結婚,12月夫と来日。翌1月より函館に居住し,夫の開拓伝道を補佐。自宅に日本人子女を集め,英語,手芸,作法などを教えるとともに,バイブル・クラスを行う。メソジスト監督派婦人伝道局の機関誌『異教徒の女性の友』に日本での女子教育の必要性を説いたところ,C.R.ライト夫人が共感,同15年遺愛女学校(遺愛学院)創立の資金を献金した。同11年東京に転任,同19年健康を害し帰国。在米邦人のなかで働く。同38年夫と再来日。東京で没。賛美歌343番の作詞,『土佐日記』など日本文学の英訳,内村鑑三との親交でも知られる。<著作>新谷武四郎編訳『ハリス夫人遺稿集』,同訳『ハリス夫人詩集』<参考文献>『遺愛百年史』

(小檜山ルイ)

ハリス

没年:大正10.5.8(1921)
生年:1846.7.9
明治期のアメリカ・メソジスト監督派の宣教師。南北戦争に参加,大学卒業後の明治6(1873)年12月夫人のF.L.B.ハリスと来日。翌年より函館に居住,同8年に北海道初のプロテスタント受洗者2人を得た。キリスト教式の埋葬や聖書講義の集会で検挙される事件が起こるなかで函館教会の基礎を築く。同10年札幌で,W.S.クラークの薫陶を受けた札幌農学校の学生に授洗したが,内村鑑三ら中心人物がやがて教派主義に反発,同15年札幌基督教会(札幌独立基督教会)を設立するにおよび,ハリスに始まった札幌伝道は中断した。同11年東京に転じ,美会神学校,耕教学舎(いずれも青山学院の源流)などで教えた。同19年一時帰国後,同37年日本および韓国のメソジスト監督教会の監督に選出され,翌年再来日。東京で没。函館教会にはハリス監督記念礼拝堂がある。<参考文献>『日本基督教団函館教会100年史』

(小檜山ルイ)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)の解説

ハリス

アメリカ合衆国の作曲家。序曲の《ジョニーの凱旋》(1934)や《交響曲 第3番》(1937)が代表作である。ピアノを編成に含む作品としては、《ピアノ協奏曲》や《ピアノ5重奏曲》(1936)がある。音 ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ハリス【Joel Chandler Harris】

1848‐1908
アメリカの小説家。ジョージア州に生まれ,1862‐66年週刊新聞も発行していたプランテーション経営者のもとで働き,この間黒人奴隷の民話,習慣,方言に親しむ。その後《アトランタ・コンスティチューション》紙の編集員(1876‐1900)を務め,同紙に〈アンクル・リーマスUncle Remus物〉を連載,これらは《アンクル・リーマスの歌と言葉》(1880)など数冊にまとめられた。奴隷出身の老召使アンクル・リーマスが主人の息子に聞かせるという設定で,人間のように行動するウサギやキツネなども登場する黒人民話が,黒人の方言を用いてユーモアをまじえて語られる。

ハリス【Roy Harris】

1898‐1979
アメリカの作曲家。1926‐28年パリでN.ブーランジェに師事した。アメリカ最大の交響曲作曲家として知られ,没する年に《交響曲第16番》を完成した。なかでも《交響曲第3番》(1937)はアメリカ精神を抽象的に高揚した名作として知られている。《民謡交響曲》(第2番。合唱付き),《ゲティスバーグ演説交響曲》(第6番),《サンフランシスコ交響曲》(第8番),《エーブラハム・リンカン交響曲》(第10番)のような標題交響曲もある。

ハリス【Townsend Harris】

1804‐78
アメリカの初代駐日総領事,公使。ニューヨーク州生れ。13歳から働き始め,正規には初等教育しか受けなかったが,独学で数ヵ国語を習得。1846年ニューヨーク市教育委員会委員長として,無料の高等教育機関(現,ニューヨーク市立大学)設置に貢献した。49年から貿易に従事し,インドシナ,清国方面に遠征。55年駐日総領事に任命され,56年8月(安政3年7月)下田に来航,玉泉寺を総領事館とした。57年6月下田条約(日米協定)を調印するものの幕府は通商交渉を渋り,ハリスは15ヵ月間,下田で孤立した生活を送ったが,57年12月将軍徳川家定に謁見

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

ハリス【Harris】

〔James H.〕 (1709~1780) イギリスの哲学者・古典学者。イギリス経験論とケンブリッジ-ネオプラトニズムの言語観を批判的に継承、言語を精神エネルギーの表出としてとらえる独自の言語哲学を展開した。著「ヘルメス」など。
〔Townsend H.〕 (1804~1878) アメリカの外交官。1856年初代駐日総領事として下田に着任。下田条約・日米修好通商条約を締結。59年公使となる。62年帰国。著「日本滞在記」 → 唐人とうじんお吉
〔Zellig H.〕 (1909~1992) ロシア生まれのアメリカの言語学者。構造主義言語学の理論を追究した。チョムスキーの師でもある。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

現代外国人名録2012の解説

ハリス
Harisu


国籍
韓国

専門
歌手;女優;モデル

別名
漢字名=河/莉秀

経歴
元男性のセクシー歌手。思春期のころから性同一性障害に悩み、1997年性別適合手術を受けた。その後、モデル、歌手、女優としてアジアや米国で活躍。韓国語中国語、英語、日本語の4ケ国語を話す。韓国で初の戸籍変更者で、2007年韓国人ラッパーのミッキーと結婚。2008年美容本「ハリス・ビューティー」を出版、話題を呼ぶ。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2012」(2012年刊)現代外国人名録2012について 情報

世界大百科事典内のハリスの言及

【児童文学】より

…バーネットF.H.Burnettの《小公子》(1886),ウィギンK.D.Wigginの《少女レベッカ》(1903)はこの明るい精神の所産である。この国の昔話は黒人やインディアンの民話の粋をとりこんで,ハリスJ.C.Harrisの動物民話集《リーマス物語》(1880)に結実した。 20世紀にはいってアメリカの児童文学は,児童図書館の発達によって多彩となった。…

【児童文学】より

…バーネットF.H.Burnettの《小公子》(1886),ウィギンK.D.Wigginの《少女レベッカ》(1903)はこの明るい精神の所産である。この国の昔話は黒人やインディアンの民話の粋をとりこんで,ハリスJ.C.Harrisの動物民話集《リーマス物語》(1880)に結実した。 20世紀にはいってアメリカの児童文学は,児童図書館の発達によって多彩となった。…

【開国】より

…以来,幕府は,イギリス,ロシア,オランダとも和親条約を結び,外国船の寄港と補給のために下田,箱館,長崎などを開港したが,なお自由な通商貿易を認めてはいなかった。しかし,日米和親条約にもとづいて56年(安政3)に来日した日本駐在総領事T.ハリスは,幕府との執拗な交渉の結果,58年7月29日(安政5年6月19日),あらためて日米修好通商条約を締結した。この条約は,天皇の勅許を待つということでその調印をひきのばしていた幕府が,第2次アヘン戦争(アロー戦争)で中国(清朝)を屈服させたイギリス,フランスの大艦隊がそのまま日本に転進して新条約の締結をせまるという情報をハリスからうけて,勅許を待たずにあわてて調印にふみきったものであり,ひきつづき幕府は同年中に,オランダ,ロシア,イギリス,フランスとも同様な修好通商条約の締結を余儀なくされた。…

【領事館】より

…外国にあって自国の通商促進と国民保護にあたる官署。日本に置かれた最初は下田にアメリカ領事ハリスが開いたものであるが,日本が外国に領事館を設置したのは,幕府が1867年(慶応3)9月サンフランシスコにおいてアメリカ人チャールズ・ウォルコット・ブルークスを雇い入れて領事事務を委任したのと,それと前後してパリでフランス人フルーリー・エラールに総領事の事務を委任したのがはじめであるという。69年(明治2)に政府はエラールに代わりフランス人モンブランを雇い入れ総領事とし,70年10月には清国の上海に仮領事館を置き品川忠道を勤務させた。…

※「ハリス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

ハリスの関連キーワードエドワーズ:右手のための3つのピアノ小品集/piano soloシューマン(William Howard Schuman)ヒッチコックのファミリー・プロットスタンレイ キューブリック天才少年ドギー・ハウザーアンクル・リーマス物語ハンニバル・ライジングトゥルーマン・ショーリロイ ウイリアムスニードフル・シングス国松さまのお通りだいビンセント マッシーママと恋に落ちるまでロス・クロマーティジョン ウィンダム福島県白河市愛宕町ブラック・サンデー特捜隊長エバースハリストス正教会ウエストワールド

今日のキーワード

テロ支援国家

国際的なテロリズム組織を資金や物資などの面から援助している国家。[補説]特に、米国国務省が作成する報告書で指定を受けた、イラン・スーダン・シリアの3か国のこと。北朝鮮は1988年1月に指定、2008年...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

ハリスの関連情報