ハント(その他表記)Hunt, Helen

デジタル大辞泉 「ハント」の意味・読み・例文・類語

ハント(hunt)

[名](スル)狩りをすること。あさること。特に、異性の遊び相手をさがすこと。「ガールハント

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精選版 日本国語大辞典 「ハント」の意味・読み・例文・類語

ハント

  1. ( James Henry Leigh Hunt ジェームズ=ヘンリー=リー━ ) イギリスの評論家、詩人。兄ジョンとともに文芸週刊誌「エグザミナー」を創刊、ロマン派の詩人キーツやシェリーなどを世に出した。長編詩「リミニ物語」など。(一七八四‐一八五九

ハント

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] hunt ) あさること。特に、異性の遊び相手をさがし求めること。語素的にも用いられる。「ガールハント

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハント」の意味・わかりやすい解説

ハント
Hunt, Helen

[生]1963.6.15. カリフォルニア,カルバーシティー
アメリカ合衆国の女優。フルネーム Helen Elizabeth Hunt。演出家で演劇指導者だった父親の影響で演技の道に進んだ。9歳のとき『メアリー・タイラー・ムーア・ショー』The Mary Tyler Moore Showでデビュー。ドラマ『あなたにムチュー』Mad About You(1992~99)で 4度のゴールデングローブ賞(1994,1995,1997,1998),3度のエミー賞(1996,1997,1998)を受賞したのみならず,いくつかのエピソードで制作,監督も務めた。『ジェット・ローラー・コースター』Rollercoaster(1977)で映画デビューしたが順調な滑り出しとはいえず,その後の出演作もふるわなかった。転機となったのは,大ヒットを記録した『ツイスター』Twister(1996)だった。ジャック・ニコルソンと共演したラブコメディ『恋愛小説家』As Good as It Gets(1997)で人間味のあるユーモラスな演技で観客を魅了し,アカデミー賞主演女優賞のほか,ゴールデングローブ賞,全米映画俳優組合賞も受賞した。ウィリアム・シェークスピアの舞台『十二夜』Twelfth Nightでバイオラを演じたのち,2000年には『キャスト・アウェイ』Cast Awayで主演。2007年,主演した『いとしい人』Then She Found Meで監督デビューし,脚本,制作も担当した。

ハント
Hunt, Richard Morris

[生]1827.10.31. バーモント,ブラトルバラ
[没]1895.7.31. ロードアイランド,ニューポート
アメリカ合衆国の建築家。1843年,アメリカ人として初めてパリのエコール・デ・ボザールで学ぶ。1855年に帰国し,フランスのアカデミズムの伝統の移入に努め,アメリカ建築協会 American Institute of Architectsの設立に尽力。1888年会長となり,19世紀後期のアメリカの古典主義建築の代表者となった。ニューヨークのトリビューン・ビル (1873~76) はエレベータを備えた最初の高層建築。スタイベサント・フラット (1869~70) は,1880年代後半に流行をみるパリ風アパート建築の初期例。他の代表作に,レノックス図書館 (1870~77) ,ジョージ・W.バンダービルト邸(1888~95,ビルトモア),ブレーカーズ (1892~95,ニューポート) や,ニューヨークのメトロポリタン美術館ファサード (1894~1902) などがある。(→アメリカ建築

ハント
Hunt,R.Timothy

[生]1943.2.19. イギリス
イギリスの分子生物学者。 1964年ケンブリッジ大学卒業,同大学で 68年博士号取得。アメリカのアルバート・アインシュタイン医科大学,ケンブリッジ大学を経て,90年にインペリアル癌研究基金に入り,翌年主任研究員。細胞分裂という生物の最も基礎となる現象を分子生物学的に解明した。ウニを使った実験で,細胞の分裂プロセスが進むにつれどのような蛋白質が増減するかを詳しく調べるうちに,細胞の分裂周期とぴったり合って増減しているものを見つけ,サイクリンと名づけた。サイクリンは細胞周期を制御する蛋白質と結合してリン酸化の働きを持たせることで,いわば分裂の舵取りをする。こういうサイクリン依存性リン酸化酵素 CDKという蛋白質は,細胞周期を制御する最重要物質であることを突止めた。サイクリンの研究は,無限増殖する癌細胞の研究の最も本質的なところであり,その後の研究に大きな影響を与えた。 2001年細胞周期の制御機構の発見で,P.M.ナース,L.H.ハートウェルとともにノーベル生理学・医学賞を受賞。

ハント
Hunt, (James Henry) Leigh

[生]1784.10.19. ミドルセックスサウスゲート
[没]1859.8.28. ロンドン近郊パトニー
イギリスの詩人,批評家,ジャーナリスト。中心的な仕事は彼自身が創刊 (1808) ,編集した『エグザミナー』 The Examinerなどの雑誌に発表した多数の評論と『インディケーター』紙などに発表した随筆である。若いキーツに与えた影響はよく知られている。そのほかシェリー,バイロン,ラム,ハズリットらと広く交わった。晩年にはディケンズの小説『荒涼館』でスキンポールとして戯画化された。主著『リミニ物語』 The Story of Rimini (16) ,『バイロン卿とその時代の人々』 Lord Byron and Some of His Contemporaries (28) ,『自伝』 Autobiography (50) 。

ハント
Hunt, William Holman

[生]1827.4.2. ロンドン
[没]1910.9.7. ロンドン
イギリスの画家,ラファエル前派の創立者の一人。 1843年ロイヤル・アカデミーに入学し,同学の J.ミレーとともに同時代のアカデミズムに反逆。 54,69,73年にはシリア,パレスチナに旅行し,聖書的題材を忠実な細部表現で描く。彼は生涯ラファエル前派の信条に従った。主要作品『世界の光』 (1854,オックスフォード,ケーブル・カレッジ) ,『モードリン塔の五月の朝』 (89) 。著書『前ラファエル主義とラファエル前派』 Pre-Raphaelitism and the Pre-Raphaelite Brotherhood (1905) はなかば自伝的な著述であるが,この運動の基礎的な文献である。

ハント
Hunt, Hugh Sydney

[生]1911.9.25. キャンバリー
[没]1993.4.22. キルキース
イギリスの演出家。1935~38年アイルランド,ダブリンアビー劇場の演出家となる。以後 1945~49年ブリストルのオールド・ビック劇場,1949~53年ロンドンのオールド・ビック劇場,1955~60年オーストラリア,シドニーのエリザベス劇場など,多くの劇場で演出。1961~73年マンチェスター大学演劇科教授,1969~71年アビー劇場の芸術監督を務めた。著書『オールド・ビック序説-シェークスピアと演出家』Old Vic Prefaces: Shakespeare and the Producer(1954)など。

ハント
Hunt, James

[生]1833
[没]1869.8.29.
イギリスの人類学者。 1863年ロンドン人類学会を創設,"Anthropological Review"誌を創刊した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハント」の意味・わかりやすい解説

ハント(William Holman Hunt)
はんと
William Holman Hunt
(1827―1910)

イギリスの画家。ロンドンに生まれ、同地に没。1844年からロイヤル・アカデミーの美術学校に学び、在学中知り合ったJ・E・ミレイ、D・G・ロセッティらとともに1848年ラファエル前派を結成。ラスキンなどの影響から、忠実、精緻(せいち)な自然描写を通して高邁(こうまい)な理想を描こうとした。とくに信仰心に厚かった彼は、1854年から三度にわたって聖地エルサレムを訪れ、自らの宗教画に地理・歴史的な正確さを追究した。人間の魂の扉をたたくキリストを描いた『世界のともしび』(1853ほか)は、当時ヨーロッパでもっとも有名な宗教画の一つとなった。また著書『ラファエル前派主義とラファエル前派』2巻(1905)は、やや牽強付会(けんきょうふかい)なところもないではないが、同派を知るうえで基本的な文献となっている。

[谷田博行]


ハント(J. McVicker Hunt)
はんと
J. McVicker Hunt
(1906―1991)

アメリカの発達心理学者。イリノイ大学教授。初めフロイト説に関心をもち、初期経験と後の異常行動との関係を研究し、『人格と行動の障害』Personality and the Behavior Disorders(1944)2巻を編集した。のち知的発達や初期教育の問題に関心が移り、『知能と経験』Intelligence and Experience(1961)によりピアジェ理論をアメリカに紹介し、また内発的動機理論を唱えるなどの貢献を行った。

[藤永 保]


ハント(Sir Henry Cecil John Hunt)
はんと
Sir Henry Cecil John Hunt
(1910―1998)

イギリスの登山家。エベレスト初登頂に成功したイギリス隊の隊長として知られる。第一次世界大戦中戦死した父の志を継いで士官学校に入り軍人となる。15歳のときから登山を行い、1935年にはカラコルムのサルトロ・カンリを試登し、また37年にはカンチェンジュンガの偵察などを行っている。第二次世界大戦後の53年イギリス山岳界待望のエベレスト第七次隊の隊長となり、5月29日第二次アタック隊のヒラリーとテンジンにより初登頂が果たされた。ハントは隊長として世界最高峰を極め、イギリスの国威を高めた功績によりサーの称号を受けた。62年にはパミール遠征隊長となった。1956~58年はアルパイン・クラブ会長も務めた。著書に『エベレスト登頂』The Ascent of Everestなどがある。

[徳久球雄]

『J・ハント著、田辺主計・望月達夫訳『世界探検全集15 エベレスト登頂』(1977・河出書房新社)』


ハント(James Henry Leigh Hunt)
はんと
James Henry Leigh Hunt
(1784―1859)

イギリスの詩人、エッセイスト。『リミニ物語』(1816)ほか数巻の詩集、小説、戯曲がある。本領はエッセイの分野で、田園、ロンドン、演劇、書物などを対象にした軽妙な語り口で知られる。『自叙伝』(1850)はカーライルの絶賛を受けた。バイロン、シェリー、キーツとの交友が広く知られる。

[早乙女忠]

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改訂新版 世界大百科事典 「ハント」の意味・わかりやすい解説

ハント
James Henry Leigh Hunt
生没年:1784-1859

イギリスの批評家,詩人。リベラリストで議論家のハントは,1808年《エグザミナー》誌の編集長になると,議会の改革,民事・刑事法の改正などを論じたが,皇太子誹毀(ひき)のかどで2年間投獄された。彼は牢獄を〈詩人の部屋〉にして獄中から健筆をふるい,そのホイッグ党的な批評活動で青年層の熱い支持をうけ,J.キーツは〈ハント氏出獄の日のうた〉でその釈放を祝った。ジャーナリストの仕事は終生つづき,《インディケーター》(1819-21),《コンパニオン》(1821)などの雑誌を編集し,演劇論も書いた。気品と陽気さ,円満な知性が彼の散文の特質なら,詩も品位とやさしさにあふれていた。ダンテの《神曲》にテーマをかりた長編詩《リミニ物語》(1816)は,その優雅な空想力と新詩型で多くの賛美者を得た。《自叙伝》(1850)は,同時代の詩人たちの動向をよく伝え,〈ロンドン子派(コックニー・スクール)〉の長として若いロマン派の詩人たちを擁護した彼の功績の偉大さを物語っている。
執筆者:


ハント
Henry Cecil John Hunt
生没年:1910-98

イギリスの登山家。第1次大戦で戦死した父の志をついで士官学校に学んで軍人となり,インド,ビルマ(現,ミャンマー)にも駐在した。15歳のときから登山を行い,1935年にはカラコルムのサルトロ・カンリを試登し,また37年にはカンチェンジュンガの偵察などを行っている。第2次大戦後,1953年イギリス山岳界待望のエベレスト第7次隊の隊長となり,綿密な計画と強い統率力を武器に5月29日ヒラリーテンジンによる初登頂をもたらした。ハントは国威を高めた功績によりサーの称号を受けた。1956-58年アルパイン・クラブ会長,62年にはパミール遠征隊長となった。66年一代貴族を受爵。著書に《エベレスト登頂》(1953)がある。
執筆者:


ハント
William Holman Hunt
生没年:1827-1910

イギリスの画家。ロンドンに生まれ,1844年ローヤル・アカデミー・スクールに入り,48年J.E.ミレーらとともに〈ラファエル前派〉を結成。グループが自然消滅的に解散した後も,結成当時の理念〈自然への忠誠〉を生涯貫いた。信仰心に篤く,聖書を主題とする作品に地理的・考古学的正確さを期するため,54年以降3回にわたってパレスティナを訪れる。作風は細部にとらわれるあまり,しばしば描写が煩瑣(はんさ)にすぎ,色彩も対比が激しく洗練を欠く場合がある。著書《ラファエル前派とその仲間たち》2巻(1905)は,この運動を理解する基本的文献の一つである。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「ハント」の意味・わかりやすい解説

ハント

英国の登山家,軍人。1953年第9次エベレスト遠征隊長。第2次大戦による軍事科学の成果を装備・食糧に応用,南側ルートから登ってサウスコルに達し,5月29日エリザベス女王戴冠式の日,隊員ヒラリーシェルパのテンジンによる初登頂を成功させた。のちイギリス山岳会〈アルパイン・クラブ〉会長。著書に《エベレスト登頂》(1953年)がある。
→関連項目アルパイン・クラブ登山

ハント

英国の画家。ロンドン生れ。1848年,ミレーロセッティらとともにラファエル前派を結成,緻密(ちみつ)な写実性と中世的な象徴主義の混じり合った宗教画を残した。代表作は《世の光》(1851年―1853年,オックスフォード,キーブル・カレッジ蔵),《死の影》(1870年―1873年,マンチェスター市立美術館蔵)など。

ハント

英国の批評家。1808年進歩的週刊誌《エグザミナー》の編集長となり,キーツシェリーの詩才をいちはやく認めて同誌上で紹介した。ほかにも多くの新聞・雑誌を刊行。著作には詩論《想像と空想》(1844年),《自叙伝》(1850年)があり詩作もある。

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普及版 字通 「ハント」の読み・字形・画数・意味

【板】はんと

牆壁の長さ。板は一丈、は五板。〔公羊伝、定十二年〕雉(ち)とは何ぞ。五板にして(と)、五にして雉、百雉にしてなり。

字通「板」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内のハントの言及

【エベレスト[山]】より

…第2次大戦後にネパールは鎖国を解いた。53年春,J.ハントの率いるイギリス登山隊がネパールのクーンブ氷河にベースを設けた。南面の登山ルートである。…

※「ハント」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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