パドバ(読み)ぱどば(英語表記)Padova

デジタル大辞泉 「パドバ」の意味・読み・例文・類語

パドバ(Padova)

イタリア北東部、ベネト州の都市。バッキリオーネ川沿いに位置し、運河が多い。交通の要地であるほか、機械、金属化学などの工業が盛ん。古代ローマ時代より栄え、13世紀に自治都市となり、以降、ベネチアオーストリア支配を受けてイタリアに統合された。ボローニャ大学に次ぐ歴史をもつ、13世紀創設のパドバ大学には、世界遺産に登録された世界最古の植物園オルトボタニコがある。また、聖アントニオを祭る13世紀創建のサンタントニオ聖堂ジョット壁画で知られるスクロベーニ礼拝堂をはじめ、中世からルネサンス期にかけての歴史的建造物が数多く残っている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パドバ」の意味・わかりやすい解説

パドバ
Padova

イタリア北東部,ベネト州の都市。英語名パドゥア Padua,ラテン語名パタウィウム Patavium。ベネチアの西方,バッキリオーネ川に臨む。古代ローマの都市パタウィウムは,伝説によると,トロイの英雄アンテノールによって建設されたとされ,またパタウィウム出身の歴史家リウィウスによると,前302年には最初の記述があるとされる。都市は繁栄し,11~13世紀にはイタリアを代表するコムーネ(自治都市)となった。詩人ダンテが暮らし,聖アントニウスが埋葬された。1318~1405年にはカラーラ家が統治し,その後,1797年までベネチア共和国に支配された。1815~66年はオーストリアの支配下にあり,その間の 1848年2月には市民が蜂起し,リソルジメント(イタリア統一運動)へと発展した。第2次世界大戦では激しい空爆にさらされ,エレミターニ教会のアンドレア・マンテーニャフレスコ画がほぼ完全に破壊された。
聖アントニオ大聖堂(1232~1307)には聖アントニウスの墓所があり,主祭壇にはドナテロ作の彫刻や浮彫レリーフ)が飾られている。また,聖堂前広場には同じくドナテロ作で,ベネチアの傭兵隊長エラズモ・ダ・ナルニ(通称ガッタメラータ)をかたどったブロンズ像『ガッタメラータ騎馬像』(1447~50。1453年設置)が据えられている。1552年再建のパドバ大聖堂にはロマネスク様式の洗礼堂がある。そのほか,パラッツォ・デラ・ラジョーネ(1218~19。1306年再建),パラッツォ・デル・カピターノ(1532),16~17世紀建造のパラッツォ・デル・ボーは,ボローニャ大学に次いで世界で 2番目に古い 1222年創立のパドバ大学の中核施設である。
スクロベーニ礼拝堂(1303~05)にはジョットの,スクオーラ・デル・サント(中世の職人ギルドの建物)にはティツィアーノのそれぞれ有名なフレスコ画が納められている。なお,ジョットおよびジョッテスキ(ジョット派)と呼ばれる画家たちが手がけたフレスコ画を収蔵している,スクロベーニ礼拝堂,エレミターニ教会,パラッツォ・デラ・ラジョーネを含む 4地区,8件の建築群は 2021年,「パドバの14世紀フレスコ作品群」として世界遺産文化遺産に登録された。1545年創設の植物園はヨーロッパ最古(それより少し先に開園したピサの植物園は 2度移転しており,原位置を維持している植物園としてヨーロッパ最古)とされ,1997年に世界遺産の文化遺産に登録された。植物園の西側には運河に囲まれた楕円形の広場プラート・デラ・バッレがあり,周囲にはパドバの著名人の銅像が並んでいる。
鉄道と道路が分岐するパドバは,農業,工業,商業の中心地でもある。電気機器,農業機械オートバイ,化学薬品,合成繊維などが製造される。人口 21万4198(2011推計)。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「パドバ」の意味・わかりやすい解説

パドバ
ぱどば
Padova

イタリア北東部、ベネト州パドバ県の県都。人口20万3350(2001国勢調査速報値)。英語名パドゥアPadua。バッキリオーネ川沿いに位置し、高速道路や鉄道の幹線が通る交通の要地である。工業も発達し、とくに機械、金属、化学、食品、繊維などの工業が盛んである。1222年に創設されたパドバ大学は、イタリアではボローニャ大学に次いで歴史が古く、1592年から1610年にかけてガリレイが数学教授を務めた。聖アントニウスの墓があるサンタントニオ教会(13世紀)は重要な巡礼地となっている。ほかに、聖母マリアとイエスの生涯を描いたジョットの壁画で知られるスクロベーニ礼拝堂(14世紀)、ドナテッロによるブロンズ像の傑作『ガッタメラータ将軍騎馬像』(1453)など、市内には中世からルネサンス期にかけての美術や建築が多数存在する。

[堺 憲一]

歴史

紀元前4世紀に建設され、ローマと関係を保ちつつ発展した。帝政期に農・工業の中心地となり、ことに羊毛と織物の産地として有名であった。またローマの歴史家リウィウス誕生の地でもある。ゴート人やフン人による破壊ののち、カロリング朝期には多くの特権を得て再興され、12世紀に自由都市となるが、1318年カッラーラ家の支配下に入った。しかしその間も毛織物と絹織物が盛んで、この時期はパドバの最盛期にあたり、現在の中心街はこのころに建造されている。1405年ベネチアの勢力圏に編入されるが、繁栄は続いた。短いフランス統治時代を挟み、1797年よりオーストリア領となったのち、1866年イタリア王国に統一された。

[在里寛司]


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百科事典マイペディア 「パドバ」の意味・わかりやすい解説

パドバ

イタリア北部ベネト州の都市。ベネチアの西約35kmにあり,ベネト州で最も重要な商工業都市。農業機械,蒸溜酒,製糖,化学繊維の生産が行われる。ガリレイが教えたパドバ大学(1222年創立),マンテーニャの作品のあるエレミターニ教会,ジョットの壁画で有名なスクロベーニ礼拝堂,ミケランジェロが設計した聖ユスティヌス礼拝堂がある。古代ローマの植民市で,12世紀後半自治都市となり,カラーラ家の支配下で繁栄。15―18世紀ベネチア領。1797年ナポレオンに征服され,1866年イタリアに統一。なお,1545年創立の植物園(世界で最初とされる)は,1997年世界文化遺産に登録された。20万6192人(2011)。
→関連項目パバーヌ

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世界大百科事典 第2版 「パドバ」の意味・わかりやすい解説

パドバ【Padova】

イタリア北部,ベネト州の都市。人口23万1337(1981)。ベネト州で最も重要な農業・商業・工業都市で,農業機械,蒸留酒,製糖,化学繊維の生産が行われている。古代ローマ時代,すでに産業が発達し,自治を享受していたパドバ(古称パタウィウムPatavium)は,ローマに次ぐ第2の富裕な都市に発展した。蛮族の侵攻を境にローマ帝国と同じ運命をたどり,経済活動は衰えた。ランゴバルド時代に封建領主と司教に市政権が移動した。

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