フィリップ4世(英語表記)Philippe Ⅳ

改訂新版 世界大百科事典 「フィリップ4世」の意味・わかりやすい解説

フィリップ[4世]
Philippe Ⅳ
生没年:1268-1314

カペー朝末期第11代のフランス王。在位1285-1314年。〈美男王le Bel〉とよばれる。フィリップ3世の子。即位当初,フランドルギュイエンヌ王権を浸透させようとして,イギリス王エドワード1世と争ったが(1294-98),初期の目的は達成できなかった。この戦争による多額の財政出費に対処するため,貨幣改鋳,聖職者課税,テンプル騎士団の解散などが行われた。聖職者に対する課税は教皇ボニファティウス8世との間に激烈な衝突を引き起こし,王はフランス身分制議会の始まりとされる三部会召集(1302),聖俗諸侯や都市の支持を得て教皇に対抗,顧問官ノガレは兵を率いてアルプスを越え,教皇をアナーニ別荘に急襲した。ボニファティウスの死後,新教皇クレメンス5世はフランス王に服従し,アビニョンに居を移した(1309)。テンプル騎士団は当時フランスに本拠を移していたが,十字軍時代に各国の王侯寄進によって富裕になるとともに,教皇によって特権を与えられ,フランス王権の外に立つ存在になっていた。この騎士団を解散させ,その所領財産を没収することにより,国庫の補充を図り,あわせて集権政治障害を除こうとし,教皇クレメンス5世の抵抗を押し切って,団長モレー以下の団員異端として,火刑に処した(1314)。彼の政治は中世から近世への過渡期にある強力な中央集権の試みといえる。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「フィリップ4世」の解説

フィリップ4世(ル・ベル,美王)(フィリップよんせい(ル・ベル,びおう))
Philippe Ⅳ (le Bel)

1268~1314(在位1285~1314)

フランス国王。国家統一を最初に実現,絶対主義を準備。婚姻,相続を通じシャンパーニュ,ナヴァール,フランシュ・コンテその他を獲得。フランドル(フランデレン),ギュイエンヌ王領化の試みは成功せず,この間王女エリザベートとイングランド王子(のちのエドワード3世)との結婚を取り決め(1299年),百年戦争の原因となった。戦費調達を目的とする教会財産課税の問題を発端に,教皇ボニファティウス8世と争ってアナーニ事件を引き起こし(1303年),全国三部会を創設・開催して(02年,03年)国王の意志を全国に伝達,のち教皇のバビロン捕囚(09~77年)を始めた。またテンプル騎士団を解散させ,その国内所領,財産を没収した(07~14年)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フィリップ4世」の意味・わかりやすい解説

フィリップ4世
フィリップよんせい
Philippe IV, le Bel

[生]1268. フォンテンブロー
[没]1314.11.29. フォンテンブロー
フランス王 (在位 1285~1314) 。長身の容姿から「美男王」とも呼ばれた。 P.フロート,G.ノガレらの法曹家に守られ集権体制を強化した。 1284年のジャンヌ・ド・ナバールとの結婚によりナバール,シャンパーニュ地方を合併。経済要地であるフランドルおよびギュイエンヌ征服を企てイングランドと対戦した (1294~99) が,1302年のブルーヘ (ブールジュ) 虐殺事件やクールトレーの戦いにいたるフランドル住民の抵抗を受けるなど,目的を達しなかった。この戦費調達のため,国内聖職者課税,テンプル騎士団 (神殿騎士修道会) 解散によるその巨大財産没収 (1307~14) などを実施,そのためローマ教皇と対立した。王は 02年,全国三部会を招集して国内有力者の支持を取付けると同時に,03年アナーニに教皇ボニファチウス8世を襲い幽閉 (→アナーニ事件 ) ,09年教皇クレメンス5世をアビニョンに移し,フランス王のもとに教皇を制圧した。

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世界大百科事典(旧版)内のフィリップ4世の言及

【アナーニ事件】より

…ローマ教皇ボニファティウス8世とフランス王フィリップ4世との間の政治的事件。アナーニAnagniはローマの南東約60kmの所にあり,教皇ボニファティウス8世の生地であり,彼の別邸があった。…

【カペー朝】より

…いま一つは諸侯,貴族の国王に対する封建的な忠誠義務であるが,血統に由来する正統性を主張できない初期のカペー王権としては,この点ではせいぜい道徳的な臣従礼を要求できたにとどまる。ただ歴代国王は男子に恵まれたこともあって,在世中に王子を諸侯に選立させて共同王位につけ,事実上の世襲化をはかり,徐々にカペー朝の合法性をつくりあげ,フィリップ2世の時代には名実ともに世襲王制を確立することに成功した。
[王権の覚醒と集権化過程]
 ルイ6世(肥満王,在位1108‐37)は,王権理念を最初に意識した国王で,カペー家直轄領の内部または周辺部に割拠する城主たちを国王の直臣層として掌握し,権力の真空地帯を埋めるとともに,王領の管理,行政を固めていった。…

【キリスト教】より

…もちろん,二つの剣は真っ向からぶつかるのではなく,世俗の権威もまた創造者たる神によって与えられているゆえに矛盾はないと考えているが,けっきょく教皇が失敗して世俗の権威を放棄せざるをえなくなるまで,教皇は世俗のことに介入しすぎたのである。実際この教書はフランス王フィリップ4世(在位1285‐1314)の反抗をおさえるためのものであって,その結果国交が断絶しただけでなく,教皇は捕らえられて死を迎えることとなった。この王はテンプル騎士団員の大虐殺(1312)で有名である。…

※「フィリップ4世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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