フランシュコンテ(その他表記)Franche-Comté

デジタル大辞泉 「フランシュコンテ」の意味・読み・例文・類語

フランシュ‐コンテ(Franche-Comté)

フランス中東部、ブルゴーニュ‐フランシュ‐コンテ地方の東半を占める地域。古くはブルゴーニュ公家やスペイン系ハプスブルク家などの所領だったが、18世紀までにフランス領となった。機械部品や精密機械工業が盛ん。

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改訂新版 世界大百科事典 「フランシュコンテ」の意味・わかりやすい解説

フランシュ・コンテ
Franche-Comté

フランス東部の地方,旧州名。ソーヌ川上流域の丘陵を主とし,南はジュラ山脈の北西斜面,北はボージュ山地南西斜面を含む。歴史的に形成された地域であり,現在のドゥージュラ,オート・ソーヌの3県とベルフォール地区にあたる。中心都市はブザンソン(ドゥー県の県都)。経済活動の盛んなフランス東半部の中では開発のやや遅れた農村地域で,近年は人口流出が続き,1km2あたり人口密度は68人(1993)となって同国の平均(106人)をかなり下回る。ほぼ西へ傾く丘陵を刻んでソーヌ川の本流および支流のドゥー川などが南西へ流れており,東縁部に連なるボージュ山地とジュラ山脈が西風をさえぎって比較的雨が多い。二つの山地の接合部は,ベルフォール(またはアルザスブルゴーニュ)狭隘(きようあい)部とよばれる所で,標高が340mにとどまるため交通が便利であり,古代以来諸勢力の侵入路,中世には遠距離通商路となり,1784-1833年にはドゥー川とライン川とを結んで長さ320kmのローヌ・ライン運河がそこに開削された。居住の歴史は古く,紀元前にはケルト系の部族が住んでいたが,カエサルの率いるローマ軍によって占領された。5世紀以降,東からゲルマン諸族の侵略・支配を受けたのち,11世紀前半にブルゴーニュ伯領が形成された。これはほぼソーヌ川以東の地域を含み,同以西のブルゴーニュ公国に対するものであった。地名は〈フランク族の伯領〉を意味しており,14世紀ごろから地域全体を指すようになる。なお伯領は1384年にブルゴーニュ公国に統一され,さらにハプスブルク家の支配を受けたりしたのち,1678年にフランス王国に統一された。

 ジュラ山脈やボージュ山地の斜面は広く森林に覆われるが,これを除いた丘陵地では小麦や飼料作物が栽培されている。酪農が盛んであるが,ブドウ園はブルゴーニュに近い南西部に若干みられるにすぎない。小作経営がやや目だつ。もともと土地の生産性が高くないうえに,17世紀前半の三十年戦争による荒廃の傷あとが長く残り,19世紀中葉に人口増加は一つの低い頂点を迎えたが,その後は再び減少傾向をたどった。第2次大戦後,工業化の波がこの地域にも押し寄せ,南のブザンソン,北のベルフォールおよびモンベリアールを中心として,機械,電気,自動車,化学,食品の諸工業が発達した。そのうえジュラの時計,ボージュの繊維というような伝統工業も依然として行われている。その結果ドゥー県やベルフォール地区は人口増加がやや目だち,工業都市は都市圏を広げはじめている。かつてJ.J.ルソーは中心都市のブザンソンをしばしば訪れたが,落ち着いた雰囲気をもつ農村や避暑向きの山地は,近年しだいに多くの保養客を集めつつある。
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百科事典マイペディア 「フランシュコンテ」の意味・わかりやすい解説

フランシュ・コンテ

フランス東部の旧州名,および現在の行政地域圏では,ほぼ同域のドゥー県,ジュラ県,オート・ソーヌ県,ベルフォール地区を指す。中心都市はブザンソン。北はボージュ山地の南西斜面から,南はジュラ山脈の北西斜面までの高原を中心とする。二つの山地に挟まれたベルフォール狭隘部は,古代・中世以来の侵略・通商の要路。西にはソーヌ川,ドゥー川が流れるソーヌ平野の一部が広がり,東にはスイスと国境を隔てるジュラ山脈をひかえる。森林地帯が多い。開発のやや遅れた農村地域で,大量の人口流出をみた。高原地帯は酪農が盛んで,コンテチーズは有名。南西部ではブドウ酒醸造が行われる。第2次大戦後,工業化がすすみ,ブザンソン,モンベリアール,ベルフォールを中心に,自動車・機械・金属・木工・鋳造などの工業が発達。とくにソショーのプジョー自動車工場,ベルフォールのTGV用部品製造は有名。紀元前にケルト系民族が住んでいたが,カエサルによって占領。ブルグント王国,フランク王国の支配を受け,11世紀前半にブルゴーニュ伯領として形成。ブルゴーニュ公国に統合(1384年)後,スペイン王領を経て,フランス王国に吸収(1678年)。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「フランシュコンテ」の意味・わかりやすい解説

フランシュ・コンテ
ふらんしゅこんて
Franche-Comté

フランス東部の歴史的地域名、旧州名。中心都市ブザンソン。現在も行政地域名として用いられ、オート・ソーヌ、ドゥー、ジュラの3県の範囲に相当する。面積1万6202平方キロメートル、人口111万7059(1999)。セーヌ川、ソーヌ川、ドゥー川上流の高地地方で、ジュラ山脈を境としてスイスと接する。ケルト時代にスクァニイ人が居住していたが、ローマの支配下に入り、ついでゲルマン民族移動の影響を受け、ブルグント王国、さらにフランク王国に吸収された。9世紀にブルゴーニュ公の管理するブルゴーニュ伯領となり、915年、ブルゴーニュ公の二男ユーグ・ル・ノアールHugues le Noir以来、ブルゴーニュ伯家が当地方を領有した。名称は、公家に対する上納金を「免除された伯領」の意味で、14世紀に文書に現れる。1477年ハプスブルク家領となり、1548年スペイン王領に継承された。フランスは三十年戦争期の10年間(1635~44)、フランドル戦争(1668)、オランダ戦争(1674)の3回にわたって占領し、1678年のナイメーヘンの和約によって、最終的にその領土に吸収された。この地方は山林地方で、中世以来、製材、家具製造と酪農を主産業とし、岩塩を特産とするが、近代に入って精密機械工業、19世紀末からはプジョーの自動車工業がおこった。

[千葉治男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フランシュコンテ」の意味・わかりやすい解説

フランシュコンテ
Franche-Comté

フランス東部の地域 (レジオン) 。 1790年にジュラ,ドゥー,オートソーヌの3県に分割。かつては北をロレーヌ,西をシャンパーニュ,ブルゴーニュ,南をブレス,ビュジェー,東をアルザスおよびスイスで限られる広大な地域に及び,首都はブザンソンであった。ベルダン条約によってロートリンゲンの一部となり,879年アルル王国,次いで 1034年神聖ローマ帝国に併合された。 1382年からバロア朝下ブルゴーニュ公国に併合されたが,1477年ブルゴーニュ公シャルル (豪胆公)が戦死するやシャルルの娘マリとマクシミリアン・ドートリッシュ (のちの神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世 ) との結婚によってハプスブルク家に移り,1674年ルイ 14世が征服,78年ナイメーヘンの講和により,フランス王国に併合された。面積1万 6202km2。人口 109万 7300 (1990) 。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「フランシュコンテ」の解説

フランシュ・コンテ
Franche-Comté

フランス東部の州。中世末ハプスブルク家の所領となりスペイン・ハプスブルク家がこれを相続したが,16世紀以後,フランスの侵攻を受け,1678年オランダ戦争の結果フランス領に併合された。

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