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フロベール フロベール Gustave Flaubert

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デジタル大辞泉の解説

フロベール(Gustave Flaubert)

[1821~1880]フランスの小説家。精密な考証に基づく客観的描写を唱道し、写実主義文学の確立者とされる。作「ボバリー夫人」「サランボー」「感情教育」「聖アントワーヌの誘惑」など。フローベール。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

フロベール
ふろべーる
Gustave Flaubert
(1821―1880)

フランスの小説家。市立病院外科部長の高名な医師を父として、12月12日ノルマンディーのルーアンに生まれる。中学のころから小説創作を試み、『狂人の手記』『11月』などを書く。パリ大学では法学部に在籍したが、癲癇(てんかん)に似た神経症の持病がおこったのを機として文学に専心した。そして『感情教育』の初稿、『聖アントワーヌの誘惑』の初稿を書いたのち、ロマン派の影響に災いされた空想過剰で散漫な作風を克服し、確固たる文体と緊密な構成をもつ代表作『ボバリー夫人』(1857)によって一挙に当代最高の小説家としての名声を博した。この小説を書き始めたころからルーアン市外、セーヌ河畔のクロアッセに住み、独身の年金生活者として、母と早世した妹の遺児の姪(めい)と老女中との静かな蟄居(ちっきょ)生活を送ったため、しばしば彼は隠者になぞらえられるが、気晴らしや取材のための旅行に出かけることもあり、パリに出てゴンクール、ドーデ、ゾラ、ツルゲーネフらと会食するときには座談の雄でもあった。『ボバリー夫人』の克明な現代風俗の描写から一転して、古代カルタゴの叙事詩的喚起を意図した歴史小説『サランボー』(1862)、ふたたび自伝的要素の濃い現代小説『感情教育』(1869)、さらに三転して古代エジプトの苦行僧の幻想を描く対話形式の『聖アントワーヌの誘惑』(1874)と、フロベールの大作群は数こそ少ないが、いずれも独自の磨き上げた文体を誇っており、『三つの物語』(1877)はこれら多彩な文体の標本の観がある。この珠玉の短編集は、作者の家にいた老女中をモデルとして、その生涯を叙した『純な心』、中世の聖者伝に基づく『聖者ジュリアン伝』、および、サロメによって名高い古代史の一情景を描く『ヘロデ』よりなる。フロベール最後の小説『ブバールとペキュシェ』(1881没後刊)は、1880年5月8日、作者の急逝(きゅうせい)のため未完のままに残された。この遺作と関連のある作品として、1850年から企画、収集された愚劣な文章の見本『紋切型辞典』(未完、1911没後刊)がある。なお、フロベールの若き日の親友の妹を母とするモーパッサンは、晩年の彼にとって最愛の弟子であった。
 以上あげたフロベールの作品のなかには、すでに若いころ二度、三度試みた主題を再三、再四取り上げて改作を試みたものがある。その一つは『感情教育』である。その初稿と最終稿とを比較してみると、作者自身の幼き日の恋情の対象であった実在の某夫人が小説の女主人公マリー・アルヌーに昇華していく恋愛感情分析の深まりとともに、七月王政から二月革命にかけての歴史小説としての背景の広がりが認められる。『聖アントワーヌの誘惑』もまた四つの改作形態を示し、初期のスピノザ哲学の影響下にある虚無主義が、ハーバート・スペンサー流の不可知主義と宗教感情の総合へと発展していった過程をたどることができる。[山田 

評価と影響

文学史上、フロベールは本格的写実主義小説の創始者としてあまりにも名高い。事実、彼は綿密な資料収集、現地調査を怠らなかったし、作者の主観や先入観が作品に反映することをつとめて避け、没個性の態度を保持して客観に徹すべきことを旨とした。しかし、告白を禁じられた作者の自我は、かえっていっそう沈潜した真実の姿を作品のなかに現す結果となったのであり、「ボバリー夫人は私だ」と語ったと伝えられる彼のことばに嘘(うそ)はない。フロベールは単に上つらな風俗のさまざまな意匠を写すだけの作家にはけっしてなれなかった。彼の内部には夢多きロマネスクな自己を、あるいは調べ物の好きな勉強家の自己を滑稽(こっけい)なものとして眺める小説家の目がつねに光っていて、眺められた自己を普遍的な人間像として、ボバリー夫人やブバールやペキュシェの形で描かずにはいられなかった。
 こうした作者と作品との断絶即関連の微妙なあり方をわれわれに明かす貴重な文献が、死後に刊行された『書簡集』九巻(1926~33)、および補遺四巻(1954)である。「作家たるものは、自己の著作において、神が宇宙においてあるがごとく、いたるところに現前し、しかもいずこにも自らの姿を見せてはならぬ」と記したフロベールは、その著作のうちに何にもまして没個性を希求したが、彼の書簡集は誠意と感受性と愛情に満ちており、そのもっとも重要な部分は終生めとらなかった最愛の情婦ルイーズ・コレLouise Colet(1810―76)にあてられている。作者自身の意に反してこれを彼の最高傑作とみなす批評家もあるほどである。
 厳しい文体彫琢(ちょうたく)の作家としてのフロベール像も定着されて久しい。事実、フロベールはその書簡のなかで「韻文と同じように律動的でありながら、しかも同時に科学用語のように的確な」文体の完成を目ざすといい、「ことばが思想に密着すればするほど、その効果は美しい」とも記す。また、いわゆる同義語なるものは存在せず、作家は自らの思想を、いささかの歪曲(わいきょく)も虚飾もなく伝達すべき「唯一の正しい語」を絶えず模索し続けなければならぬと繰り返す。一方、第二次世界大戦後、いわゆるヌーベル・クリティック(新批評)派の批評家たちはさらに高い観点から、初めて決然と文学を言語の問題に還元した作家として、ヌーボー・ロマン(新小説)の源流にフロベールを位置させる。彼らにとってはもはや生活者フロベールは問題でなく、ただ作品が、しかも彼が理想とした「地球が何ものにも支えられずに大気中に浮かんでいるように、その文体の内的な力によって自ら浮かんでいる」ような書物の実在を、われわれに予感させる散文が、マラルメの詩歌と並んで、ここに達成されていることに注目するのである。[山田 
『『フローベル全集』八巻(1965~68・筑摩書房) ▽山川篤著『フローベール研究』(1970・風間書房) ▽戸田吉信著『ギュスターヴ・フロベール研究』(1983・駿河台出版社) ▽チボーデ著、戸田吉信訳『フローベール論』(1966・冬樹社)』

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