マイアー(その他表記)Meyer, Eugene

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マイアー」の意味・わかりやすい解説

マイアー
Meyer, Eugene

[生]1875.10.31. カリフォルニアロサンゼルス
[没]1959.7.17. ニューヨーク,マウントキスコ
アメリカ合衆国の銀行家,新聞経営者。アメリカの政治と社会に影響力をもった指導者であり,『ワシントン・ポスト』の発行人や国際復興開発銀行(世界銀行)の初代総裁を務めた。1895年にエール大学を卒業したのち,ヨーロッパの諸都市で 2年間勤務して銀行業務を学ぶ。帰国後まもなく投資銀行を立ち上げて成功を遂げる。資本家として名をなし,1917年ウッドロー・ウィルソン大統領から非鉄金属担当政府顧問に指名される。その後,ウィルソン大統領のもとで戦争財政委員会委員長となり,さらに 6人の大統領のもとで種々の要職を歴任。フーバー政権下では,1932年に復興金融公社の設立を起草し,初代総裁となる。1946年の世界銀行の設立に際し,初代総裁に就任した。また,1933年に『ワシントン・ポスト』を買収し,妻のアグネス・エルンストを副社長にした。当時,アグネスは作家およびジャーナリストとして活躍し,特に医療,教育,社会情勢の分野で知られていた。マイアーは 1933~46年に『ワシントン・ポスト』の発行人を務め,1940~46年は編集長も兼任した。その監督下で同紙は発行部数を 3倍以上に伸ばし,優れた論説と責任あるジャーナリズムの伝統を築いた。1947年,同紙の経営を,娘キャサリン・グラハムの夫であるフィリップ・L.グラハムに譲り渡した。

マイアー
Mayr, Ernst

[生]1904.7.5. ドイツ,ケンプテン
[没]2005.2.3. アメリカ合衆国,マサチューセッツ,ベッドフォード
ドイツ生まれのアメリカ合衆国の生物学者。フルネーム Ernst Walter Mayr。鳥類分類学の研究を通しての概念を確立,「20世紀のダーウィン」と称された進化生物学者。1940年代に「種は相互交配する自然集団の集合体であり,他の同様のグループから生殖的に隔離されている」という説を発表し,新たな種の起源に地理的隔離が果たす役割の重要性を示した。1926~32年ベルリン大学の準学芸員,1932~44年アメリカ自然史博物館の準学芸員を経て 1944~53年同博物館の学芸員を務め,鳥類の皮膚の大規模な標本を作成した。1953~75年ハーバード大学の動物学教授,1961~70年同大学比較動物学博物館館長を歴任。1970年ナショナル・メダル・オブ・サイエンス,1994年国際生物学賞,1999年スウェーデン王立科学アカデミーのクラフォード賞を受賞した。

マイアー
Mayr, Georg von

[生]1841.2.12. ウュルツブルク
[没]1925.9.6. バイエルン,トゥツィンク
ドイツの統計学者,経済学者。 19世紀末~20世紀初頭にドイツで成立した社会統計学の確立者。ミュンヘン大学卒業後バイエルン統計局へ入り (1869同局長) ,その後も官界に在職したが,退官後はストラスブール大学員外教授を経て,1898年ミュンヘン大学教授。社会現象を数量的集団観察の領域として注目し,悉皆 (しっかい) 集団観察の手法と統計素材の加工により,社会生活の一般的合法則性を究明することによって統計学を官房学から解放するとともに,ケトレー流の自然科学的統計学を批判し,社会現象に関する統計学を独自の方法で実質的科学として体系化しようとした。主著『社会生活における合法則性』 Die Gesetzmässigkeit im Gesellschaftsleben (1877) ,『統計学と社会科学』 Statistik und Gesellschaftslehre (3巻,95~1917) 。

マイアー
Meyer, Conrad Ferdinand

[生]1825.10.11. チューリヒ
[没]1898.11.28. キルヒベルク
スイスの小説家,詩人。母親から憂鬱症,神経衰弱の気質を受継ぎ,1852年にはしばらく精神病院に入院。 57~58年パリ,ローマなどに旅行し,芸術的雰囲気に接し文学的職分に目ざめたが,執筆を始めたのは比較的遅かった。 92年まで作家活動を続けたが,再び精神病の兆候が現れ,精神の闇のなかで生涯を閉じた。小説家としては好んで枠物語の形式を用い,詩人としては歴史物語詩や彫琢を凝らした象徴詩を書いている。物語詩『フッテン最後の日日』 Huttens letzte Tage (1871) ,小説『ユルク・イェーナッチュ』 Jürg Jenatsch (76) ,『聖者』 Der Heilige (80) ,『ペスカラの誘惑』 Die Versuchung des Pescara (87) など。

マイアー
Meyer, Viktor

[生]1848.9.8. ベルリン
[没]1897.8.8. ハイデルベルク
ドイツの化学者。ハイデルベルク大学で,R.ブルセン,E.アーレンマイヤー,G.キルヒホフらに学ぶ。 1867年学位取得。 71年 23歳でシュツットガルト工業大学で講じ,翌年チューリヒのスイス連邦工科大学でも講義した。ゲッティンゲン大学教授 (1885) を経て,ハイデルベルク大学教授 (89) 。高温における無機物質の蒸気密度測定法 (ビクトル=マイアー法) の考案 (71) ,ハロゲン分子の高温分解,脂肪族のニトロ化合物の発見 (72) で知られるほか,分子の立体構造に注目して,諸種オキシムの発見 (78) ,それら相互の立体異性の証明,芳香族カルボン酸のエステル化反応における立体障害の研究,チオフェンの発見 (82) とその構造研究など,立体化学の基礎を築いた。

マイアー
Meyer, Eduard

[生]1855.1.25. ハンブルク
[没]1930.8.31. ベルリン
ドイツの歴史家。 1884年ライプチヒ大学,85年ブレスラウ大学,89年ハレ大学,1902~23年ベルリン大学の古代史教授を歴任。実証主義的な立場をとり,史料批判にすぐれ,特にエジプト,ヘブライ,ギリシア,ローマなどの古代政治史・宗教史研究における先駆者的業績は高く評価されている。政治的には国粋主義者で,第1次世界大戦に際してドイツの立場を正当化することに努めた。主著『古代史』 Geschichte des Altertums (5巻,1884~1902) ,『キリスト教の起源と初期』 Ursprung und Anfänge des Christentums (3巻,21~23) ,『小論集』 Kleine Schriften (2巻,10~21) 。

マイアー
Meyer, (Julius) Lothar

[生]1830.8.19. オルデンブルク,バーレル
[没]1895.4.11. テュービンゲン
ドイツの化学者。ハイデルベルク大学で R.ブンゼンや G.キルヒホフに化学を学ぶ。ブレスラウ大学物理および化学講師 (1859) 。カルルスルーエ工科大学 (68) ,テュービンゲン大学 (76) 化学教授。血液色素と酸素の親和力を実証。さらに人体の生み出す熱と仕事の考察から,エネルギー保存則の提唱にいたった。 S.カニッツァーロの分子説を認め (60) ,原子量と原子容の関係から周期律を発見した (69) が,公表で D.メンデレーエフに遅れをとった。

マイアー
Meyer, Adolf

[生]1866.9.13. チューリヒ,ニーダーウェニンゲン
[没]1950.3.17. ボルティモア
スイス生れのアメリカの精神病学者。チューリヒ大学で医学を学び,1892年に渡米。 1902~10年ニューヨーク州立病院病理研究所所長。 10~41年ジョンズ・ホプキンズ大学精神病学教授兼ヘンリー・フィップス精神病診療所所長。心理学的に統合された生物学的単位としての人間という立場から,精神生物学または生物学的心理学を唱えた。精神衛生は彼の造語であり,精神衛生全米委員会の創設に力を尽した。主著『論文集』 Collected Papers (4巻,1950~52) ,『心理生物学』 Psychobiology (57) 。

マイアー
Mayer, Max Ernst

[生]1875.7.2. マンハイム
[没]1923.6.24. バードホンブルク
ドイツの法学者。ライプチヒ,ベルリン,ハイデルベルクの各大学に学ぶ。刑法,法哲学を専攻し,彼の構成要件の理論,文化規範論は日本の刑法学に多大の影響を与えた。 1900~16年ストラスブール大学の刑法,法哲学の講師。その後,第1次世界大戦終了まで軍事裁判官をつとめた。 19年フランクフルト大学の教授となり,法哲学,法思想史,刑法を講義。 20~21年同大学法学部長。主著『法規範と文化規範』 Rechtsnormen und Kulturnormen (1903) ,『法哲学』 Rechtsphilosophie (22) 。

マイアー
Mayer, Johann Tobias

[生]1723.2.17. マールバハ
[没]1762.2.20. ゲッティンゲン
ドイツの天文学者。ほとんど独学で数学を学び,1746年にニュルンベルクの地図製作法研究所に入所し,『ニュルンベルク宇宙形状誌学会報』に月の秤動と赤道の傾斜に関する計算を発表。その名声によって 51年にゲッティンゲン大学の数学と経済学の教授となり,54年には同大学天文台台長となった。彼が 55年に作成した月表は,経度を誤差 0.5度で決定しうるに十分な精度をもっていた。また大気による屈折から生じる誤差の修正法も述べている。数学者の L.オイラーと親しく,多くの往復書簡が残されている。

マイアー
Mayer, Hans

[生]1879.2.7. ウィーン
[没]1955.10.28. ウィーン
オーストリアの経済学者。オーストリア学派第3世代の指導的人物の一人。ウィーン大学で学び,プラハ,グラーツ各大学教授を経て,1923年にウィーン大学教授となった。伝統的オーストリア学派の立場に立ち,その理論的基礎を確立した。またこの学派の『国民経済学雑誌』 Zeitschrift für Nationalökonomieの編集に死の直前までたずさわった。主著『現代の経済学理論』 Die Wirtschaftstheorie der Gegenwart (2巻,1932) 。

マイアー
Maier, Heinrich

[生]1867.2.5. ブレンツ
[没]1933.11.28. ベルリン
ドイツの哲学者。 1900年チューリヒ,02年テュービンゲン,11年ゲッティンゲン,18年ハイデルベルク,22年ベルリンの各大学教授。思考における感情,意志の働きを重視し,情緒的思考に注目した。また批判的実在論の立場に立ち,「現実の哲学」を主張した。主著『現実の哲学』 Die Philosophie der Wirklichkeit (3巻,1926~35) ,『心的・精神的現実』 Die psychisch-geistige Wirklichkeit (30) 。

マイアー
Mayer, Otto

[生]1846.3.29. ヒュルト
[没]1924.8.8. ハイデルベルク
ドイツ行政法の父と呼ばれる公法学者。ストラスブール大学およびライプチヒ大学教授。ドイツの行政法学を従来の行政学的解説から脱却させ,純粋に抽象的な法学的理論に構成することに努め,初めて法学的体系としての行政法学を樹立した。主著『ドイツ行政法』 Deutsches Verwaltungsrecht (1895~96) ,『フランスの行政法理論』 Die Theorie des französischen Verwaltungsrechts (86) 。

マイアー
Mayer, Julius Robert von

[生]1814.11.25. ハイルブロン
[没]1878.3.20. ハイルブロン
ドイツの医師,物理学者。医学を修め船医としてインドネシアにおもむいたとき,熱と運動との関係の考察を開始し,1842年に熱の仕事当量の大きさとエネルギー保存の考えを含む論文を発表。このエネルギー保存の法則は J.ジュールより5年先んじたが世に認められなかった。さらに生物体内のエネルギー代謝の問題 (1815) ,太陽エネルギーの起源を論じた (48) が,それらの先駆的研究の価値が認められるようになったのは 60年頃のことであった。

マイアー
Meyer, Hannes

[生]1889. バーゼル
[没]1954. ルガーノ近郊クロチフィッソディサボサ
スイス生れのドイツの建築家,著述家。 1927年にバウハウスの教授となり,28~30年は W.グロピウスの後任として学長に就任。 30~36年はソ連で活躍。のちスイスに戻り,39~49年はメキシコで活躍。主作品はベルナウの労働組合学校校舎 (1928~30) 。また定期刊行誌『バウハウス』,その他の出版に協力した。

マイアー
Maier, Norman Raymond Frederick

[生]1900.11.27. ミシガン,シバーワイング
[没]1977
アメリカの心理学者。ミシガン大学教授。推理,フラストレーション,実験神経症,動物心理,産業心理の研究など,その研究領域は広い。主著『動物心理学原理』 Principles of Animal Psychology (1935,T.シュネイルラと共著) ,『産業心理学』 Psychology in Industry (46) ,『フラストレーション』 Frustration (49) 。

マイアー
Meyer, Adolf

[生]1881
[没]1929
ドイツの建築家,家具デザイナー。ジュッセルドルフ工芸学校卒業後,1919~25年バウハウスで教え,1926~29年はフランクフルトの建築を指導。主作品はワルター・グロピウスに協力したファーグス工場(1911),イェナのツァイス工場プラネタリウム(1925~26)。

マイアー
Meyer, Armin Henry

[生]1914.1.19. インディアナ,フォートウェイン
[没]2006.8.13.
アメリカの外交官。キャピタル大学卒業。外交官となり,国務省顧問,レバノン駐在大使などを歴任して,1969~72年日本駐在大使。在任中にニクソン・ショックや円切上げ問題などが発生した。 72~73年国務長官特別補佐官,テロリズム対策委員会議長。 75年ジョージタウン大学外交問題講師に就任。

マイアー
Meyer, Kuno

[生]1858.12.20. ハンブルク
[没]1919.10.11. ライプチヒ
ドイツのケルト学者。エディンバラとライプチヒ両大学に学び,リバプール大学のドイツ語講師をつとめたのち,1911年にベルリン大学ケルト学教授に就任。アイルランド文学の紹介者として知られた。主訳書『ブランの旅』 The Voyage of Bran (1895~97) 。

マイアー
Meyer, Erich

[生]1897.10.29. ベルリン
[没]1967.2.4. ハンブルク
ドイツの美術史家。ベルリン大学で美術史を専攻。特に中世美術を研究し,1914年以来ベルリン国立美術館に勤務。 47年ハンブルクの美術工芸博物館館長。主著『中世のブロンズ作品』 Mittelalterliche Bronzen (1960) 。

マイアー
Meyer, (Marie-) Paul (-Hyacinthe)

[生]1840.1.17. パリ
[没]1917.9.7. パリ
フランスの言語学者,文学史家。エコール・デ・シャルトで学び,国立図書館文献部員を経て,1876年コレージュ・ド・フランス教授。南フランスの言語と文学の権威として知られた。

マイアー
Meyer, Johann Heinrich

[生]1755
[没]1829
スイスの画家。版画家の父の教えを受け,銅版画,木版画を制作,また風景画家,肖像画家としても活躍した。ゲーテと交遊があり 1792年にワイマール美術学校教授,1807年に同校校長となった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「マイアー」の解説

マイアー(ローベルト)
Robert Mayer

1814~78

ドイツの医師。「エネルギー不滅の法則」の発見者の一人。人間の血液の色が熱帯においては鮮紅色を呈することから,仕事と熱の関係に着想し,1842年その所説を公表したが,一般の注意をひくには足りなかった。


マイアー(テーオドール)
Theodor Mayer

1883~1972

ドイツの中世史家。ギーセン,フライブルク,マールブルク各大学教授を歴任。1952年以来コンスタンツの学会を指導,国王自由人学説を提唱して中世史の古典学説を批判した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

367日誕生日大事典 「マイアー」の解説

マイアー

生年月日:1796年5月9日
ドイツの出版業者,実業家
1856年没

マイアー

生年月日:1883年8月24日
ドイツの経済史家
1972年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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