改訂新版 世界大百科事典 「ミュジックセリエル」の意味・わかりやすい解説
ミュジック・セリエル
musique sérielle[フランス]
1950年代に,第2次世界大戦後の前衛音楽の一技法として盛んに用いられた作曲技法。〈全面的セリー音楽〉(セリー・アンテグラルsérie intégral(フランス語),total serialism,total organized music)とも呼ばれ,また,この技法で書かれた音楽は〈点描音楽〉〈ポスト・ウェーベルン・スタイル〉とも呼ばれる。1個の音はそれ自身,音高(音の高さ),音価(長さ),音色,音強(強さ)の四つの構成要素から成る。ミュジック・セリエルとはこの構成要素それぞれを単位として〈列(セリー)〉化(用いる単位の順序を一定の列として規定すること)し,そのセリーに従って作曲する技法である。
音高のセリー化はシェーンベルクの十二音音楽(1921)において行われたが,音価,音色,音強のセリー化は,それが独立した単位として認識されるまで持ち越された。音高以外の要素への関心は,ストラビンスキーの《春の祭典》(1913)におけるリズム(音価)の強調,シェーンベルクの《五つの管弦楽曲》(1909)における音色旋律などに早くからみられており,ウェーベルンの《管弦楽のための変奏曲》(1940)における音価のセリー的処理,メシアンの《アーメンの幻影》(1943)におけるリズム・カノンなどでしだいに明確化されてきた。しかし,それらの要素の決定的な意識化はメシアンのピアノ曲《リズムの四つのエチュード》の第2曲《音価と強度のモード》(1949)においてであった。ここでは36種の音高,24種の音価,12種のアタックの仕方(音色),7種の音強が一覧表として置かれ,曲はそれらの組合せ(たとえば音は常に付点2分音符の音価,フォルテの音強,テヌートのアタックでのみ現れる)で構成された。この曲において,これらの要素にセリーは用いられなかったが,こうした各要素をセリー化し,ミュジック・セリエルの技法を確立したのはブーレーズの2台のピアノのための《ストリュクチュールⅠ》(1951)である。その先例としてM.バビットの《四つの楽器のためのコンポジション》(1948)があるが,決定的影響力はブーレーズの作品にあった。
ミュジック・セリエルの技法による作品としては,これをより自由に用いたブーレーズの《ル・マルトー・サン・メートル》(1954)があるが,最も厳格に,しかも多彩なくふうをこらして作曲したのはノーノLuigi Nono(1924-90)で,彼の《イル・カント・ソスペーソ》(1956)はその代表作である。しかし,ミュジック・セリエルの技法は,音のすべての面をセリー化するという点で,音楽の自由な運動性,表現性に適さず,50年代終りにはその力を失った。今日この技法は楽曲の一部に用いられることはあるが,全体に用いられることはほとんどない。
執筆者:佐野 光司
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報