ベルギーの詩人,劇作家。マーテルリンクあるいはマーテルランクともよばれる。1886年パリに出てバン・レルベルグらとともに《ラ・プレイヤード》誌に拠って詩壇に登場,89年には詩集《温室》を発表するが,彼の本領はむしろ劇作にあり,象徴主義悲劇の創造を目ざした。《闖入者》(1890),《盲人たち》(1891)上演ののち,1893年に発表した《ペレアスとメリザンド》がドビュッシー作曲の歌劇として成功を博して,彼の劇作家としての地位を決定づけた。彼の作品はいずれも,運命の糸に操られる人間の悲劇を神秘的な雰囲気の中に暗示的に描き出すのを特質とするが,これがリアリズム演劇にはない新風と世人に評価されて,世界各国の劇団が彼の作品を競って上演するようになった。《モンナ・バンナ》(1902)は作者円熟の傑作だが,《青い鳥》(1908初演,モスクワ芸術座)にいたって従来のペシミスティックな作風が完全に克服され,〈幸福は手の届くところにある。それは他人を幸福にすることだ〉と訓(おし)えるこの童話的夢幻劇は,最も有名な作品となった。日本では1920年,畑中蓼波の民衆座によって初演された。彼の最後の劇作は第1次世界大戦中に執筆された《スチルモンドの市長》(1919)だが,ここには象徴主義をかなぐり捨て,手堅いリアリズムの手法で,ドイツ軍に踏みにじられたベルギーの悲劇を世界に訴えようとする作者の姿がある。なお,彼はエッセイストとして,《貧者の宝》(1896),《知恵と運命》(1898)のほか,昆虫の世界を詩人の目で観察し記録した《蜜蜂の生活》(1901),《蟻の生活》(1930)などの著作を残している。
執筆者:松室 三郎
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…少年小説の古典《二年間の休暇(十五少年漂流記)》(1888)も彼の手になる。 20世紀にはいるとベルギーの詩人M.メーテルリンクが童話劇《青い鳥》(1908)を書き,1932年にはC.ビルドラックが《ライオンの眼鏡》を生んだ。同じころのショボーL.Chauveauは子どもの酷薄さと向きあった作家である。…
…A.ベルクの《ウォツェック》や《ルル》と並ぶ20世紀最大のオペラ作品の一つである。台本はメーテルリンクの同名の戯曲で,フランス象徴主義演劇の代表作とされるこの戯曲の上演を1893年に見たドビュッシーは,すぐに作曲に着手した。95年10月にメーテルリンクに会って作曲の許可を得,1902年,〈5幕12場からなるドラム・リリック〉を完成した。…
※「メーテルリンク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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