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ルニョー ルニョーRegnault, Alexandre-Georges-Henri

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ルニョー
Regnault, Alexandre-Georges-Henri

[生]1843.10.30. パリ
[没]1871.1.19. ビュザンバル
フランスの画家。父は著名な化学者,物理学者。 1860~65年パリ美術学校で A.カバネルに師事。 66年ローマ大賞を受賞してローマに留学,69年マドリードベラスケスの作品を研究。 F.ドラクロアの影響もみられる。人物画,肖像画,風景画にすぐれた才能を示したが普仏戦争で戦死。主要作品『プリム将軍騎馬像』 (1860) ,『スペインの服装をしたバルク伯爵夫人』 (ルーブル美術館) ,『サロメ』 (70,メトロポリタン美術館) 。

ルニョー
Regnault, Henri-Victor

[生]1810.7.21. アーヘン
[没]1878.1.19. パリ
フランスの化学者,物理学者。ギーセン大学の J.リービヒのもとで学び,リヨン大学化学教授,エコール・ポリテクニク教授 (1840) を経て,コレージュ・ド・フランスの化学教授 (41) 。セーブル磁器製造所所長 (54) 。物質,特に気体の比熱測定の技術的改良に貢献,理想気体定圧比熱に関するルニョーの法則を導出 (62) 。また温度計に用いる水銀の真の膨張率を決定したほか,温度計の改良,水蒸気の蒸気圧測定など,熱学の発展に重要な貢献をなした。有機化学の実験的研究にも活躍し,四塩化炭素の合成 (39) などが知られる。ほかに J.レーセと共同で各種動物の酸素消費量を研究し,「呼吸商」の概念を用いて貴重な結果を得た (49) 。

ルニョー
Regnault, Jean-Baptiste

[生]1754.10.19. パリ
[没]1829.11.12. パリ
フランスの画家。新古典主義の画家で,主として歴史画,神話的・風俗画的題材を描いた。 1769年にローマにおもむき修業。パリに帰り,75年ローマ大賞第2位,76年第1位に入賞。 83年王立アカデミーの会員,95年同教授,1819年男爵。主要作品『キリストの洗礼』 (1776) ,『三美神』 (85) ,『ジェローム・ボナパルト王子の結婚』 (1810) 。

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百科事典マイペディアの解説

ルニョー

フランスの物理学者,化学者。1847年エコール・ポリテクニク,コレージュ・ド・フランス教授。熱学に関する各種の実験・測定を行い,気体が厳密にはボイルの法則に従わないこと,理想気体の定圧比熱は圧力に無関係であること(ルニョーの法則,1862年)を明らかにした。

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大辞林 第三版の解説

ルニョー【Henri-Victor Regnault】

1810~1878) フランスの化学者・物理学者。気体の熱的な性質の研究で、定圧比熱・蒸気圧などを測定し、後の熱力学の発展に寄与。精密な実験技術を駆使した測定にすぐれた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ルニョー
るにょー
Henri Victor Regnault
(1810―1878)

フランスの実験科学者。1830年から理工科大学校(エコール・ポリテクニク)に学び、ついで鉱山学校に学ぶ。1836年理工科大学校のゲイ・リュサックの助手、1840年化学教授となった。助手時代に有機化学の実験的研究で高い評価を受け、1839年からは多くの固体、液体の比熱を従来以上の精度で測定し直した。1842年からは政府の資金により、蒸気機関の改良のためのより正確なデータを目的に、水蒸気や多くの種類の気体の比熱、膨張係数ボイルの法則からのずれ、などについて丹念に実験データを積み上げた。1850年代に熱力学を建設したランキン、W・トムソンケルビン)、クラウジウスは、いずれもルニョーのデータを詳細に検討し、水蒸気について知られていたワットの法則が成り立たないことを知り、熱素説によらない蒸気機関や一般の熱学の理論建設の方向を選択したが、ルニョー自身はそうした理論研究の流れに加わることはなかった。[高山 進]

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