百科事典マイペディア 「ロストロポービチ」の意味・わかりやすい解説
ロストロポービチ
→関連項目チェロ
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アゼルバイジャン出身のチェロ奏者、指揮者。首都バクーの生まれ。父はチェロ奏者、母はピアノ奏者の音楽一家に育ち、モスクワ音楽院でチェロ、作曲、指揮を学ぶ。ソ連、東欧のコンクールをいくつか制覇したあと、1955年アメリカ楽旅、チェロをバイオリンのように楽々とこなす驚異的な技巧に加え、豊かな響きと豪壮な表現によって、カザルス以来の名手と評価された。同年、ソプラノ歌手ガリーナ・ビシネフスカヤと結婚。58年(昭和33)初来日、以来たびたび来日し、日本の子供たちの音楽教育にも携わっている。68年にモスクワで指揮者としてデビュー、ボリショイ劇場の指揮者を務めるかたわら、外国にしばしば客演した。
彼は1964年にレーニン賞を受けるなど多くの栄誉を授けられたが、70年、ソ連の反体制作家とされるソルジェニツィンを擁護して当局と対立、長期の国外旅行を禁止された。しかし74年5月、2年間の海外旅行が許可され、のち夫人、娘も出国を認められて75年からアメリカのワシントンに定住。77年ワシントンのナショナル交響楽団音楽監督に就任(94年まで。91年以後は桂冠(けいかん)指揮者)。78年一家はソビエト市民権を剥奪(はくだつ)され、以後アメリカを本拠に世界各地で活躍。89年に名誉回復された。90年2月、16年ぶりに故国を訪れ、モスクワなどでコンサートを開いた。
[岩井宏之]
『ロストロポーヴィチ、ヴィシネフスカヤ著、田中淳一訳『ロシア・音楽・自由』(1987・みすず書房)』
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ソ連邦出身のチェロ奏者,指揮者。ソルジェニーツィン擁護にまわって当局と対立,1974年に国外に出たまま帰国せず,75年以来アメリカのワシントンに定住している。78年ソ連の市民権を剝奪され,作曲家同盟も除名されたが,89年2月には同盟会員として復権された。チェロ奏者としては,演奏技術に傑出した能力を示し,20世紀後半の世界のチェロ界の演奏水準を大きく引き上げる役割を果たした。1943-46年モスクワ音楽院でチェロと作曲を学び,卒業後ただちに母校でチェロを教えた。56年にイギリス,フランス,アメリカに演奏旅行,大成功を収めて一躍世界的な存在になった。指揮者としては,68年モスクワのボリショイ劇場でデビュー,77年以来ワシントン・ナショナル交響楽団の音楽監督を務めている。ピアノも堪能で,名歌手で夫人のビシネフスカヤGalina Pavlovna Vishnevskaya(1926- )の伴奏をしばしば受け持ち,息の合った演奏を聴かせる。1958年初来日。
執筆者:岩井 宏之
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