ワトソン(読み)わとそん(英語表記)Thomas John Watson

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワトソン」の意味・わかりやすい解説

ワトソン(James Dewey Watson)
わとそん
James Dewey Watson
(1928― )

アメリカの分子生物学者。シカゴに生まれる。1962年、M・H・F・ウィルキンズ、F・H・C・クリックとともに、「核酸の分子構造および生体における情報伝達に対するその意義の発見」に関する業績によりノーベル医学生理学賞を受けた。彼らの仕事は、遺伝という生物現象のなかでも、もっとも基本的とされるものを、分子生物学的に解明するうえで画期的な成果をあげた。まさに20世紀最大の科学上の業績といえる。

 1947年シカゴ大学動物学科卒業後、インディアナ大学大学院で、S・E・ルリアの指導下に、バクテリオファージの増殖に及ぼす放射線の効果について研究し、1950年博士号を取得。その後、デンマークコペンハーゲンの細胞生理学研究所のカルカーHerman Moritz Kalckar(1908―1991)のもとに留学、核酸の代謝について研究するが、カルカーとナポリに行き、ここでのシンポジウムに出席の折、ウィルキンズに会い、彼の発表した結晶DNA(デオキシリボ核酸)のX線回折を初めて見て、DNAの化学的構造に興味を抱く。1952年イギリスのケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所のJ・C・ケンドルーのもとに留学(~1955)、ここに来ていたクリックに会い、協力して結晶DNAのX線解析像を基にしたDNAの構造研究にあたり、1953年DNAの二重螺旋(らせん)構造(ワトソン‐クリックモデル)を発表した。同年、帰国し、カリフォルニア工科大学の生物学の奨学金給費研究員として、RNA(リボ核酸)のX線回折実験を行い(~1955)、1955年ふたたび渡英して、クリックとともにウイルス粒子形成について研究、1956~1961年ハーバード大学生物学助教授を経て準教授、1961~1976年同大学分子生物学教授、また1968~1994年コールド・スプリング・ハーバー研究所所長、1989~1992年国立衛生研究所(NIH)のヒトゲノム研究センター長などを務めた。その著『二重らせん』The Double Helix(1968)には、激しい国際的競争のなかでの、二重螺旋の発見に至る経過が率直に書かれている。他のおもな著に『遺伝子の分子生物学』Molecular Biology of the Gene(1965)、『組換えDNAの分子生物学』Recombinant DNA : A Short Course(1983)、『DNAへの情熱――遺伝子、ゲノム、そして社会』A Passion for DNA : Genes, Genomes, and Society(2000)などがある。また、ワトソンらの仕事を彼の自著以上に歴史的に克明に追った本として、R・オルビー著『二重らせんへの道』The Path to the Double Helix(1974)がある。

[梅田敏郎・道家達將 2018年12月13日]

『ワトソン他著、松橋通生他監訳『ワトソン・組換えDNAの分子生物学』原著第2版(1993/原著第3版・2009・丸善)』『新庄直樹他訳『DNAへの情熱――遺伝子、ゲノム、そして社会』(2000・ニュートンプレス)』『ワトソン他著、松原謙一・中村桂子・三浦謹一郎監訳『ワトソン・遺伝子の分子生物学』上下・原著第4版(2001/原著第7版・中村桂子監訳・滋賀陽子・滝田郁子・羽田裕子・宮下悦子訳・2017・東京電機大学出版局)』『江上不二夫・中村桂子訳『二重らせん』(講談社・ブルーバックス/講談社文庫)』『R・オルビー著、長野敬・道家達將・石館三枝子他訳『二重らせんへの道』上下(1982、1996・紀伊國屋書店)』


ワトソン(コンピュータ)
わとそん
Watson

アメリカのIBM社が開発した人工知能(AI)を活用したコンピュータ。さまざまな人のことばの意味・文脈を理解し、問題を解決する能力をもつ。名前はIBMの事実上の創立者トーマス・ジョン・ワトソン・シニアThomas John Watson,Sr.(1874―1956)にちなむ。2007年からアメリカの人気クイズ番組向けに開発され、2011年に人間のクイズ王を破って注目を集めた。2800個の中央演算処理装置CPU)で毎秒80兆回の計算処理機能をもち、書籍100万冊分の知識を蓄積し、文字入力された質問からキーワードを拾い出して瞬時に回答を出す。データの関連性や規則性をみつけて分析する機械学習、無数のデータから特徴をみつけ出すディープラーニング深層学習)などの能力をもつ。医療分野で膨大な論文、症例、病気画像などから適切な治療法の提案などに活用されているほか、コールセンターでの対応、自動運転車のハンドル操作、保険金の査定など幅広い分野への応用が検討されている。なおIBM社は、ワトソンは人間に脅威を及ぼす可能性のある人工知能ではなく、コグニティブ(認知型)コンピューティングシステムであるとの立場をとっている。

[矢野 武 2017年3月21日]


ワトソン(John Broadus Watson)
わとそん
John Broadus Watson
(1878―1958)

アメリカの心理学者。サウス・カロライナ州に生まれる。シカゴ大学卒業。同大学のエンジェルJames Rowland Angell(1869―1949)のもとで学位を得(1903)、動物心理学の諸研究を通じ、行動主義の創始者となった。その後、ジョンズ・ホプキンズ大学の教授となり(1908~1920)、同大学を去ってからは実業界に入り、通俗講演・通俗著述に活躍した。

 ワトソンの行動主義は、従来の意識心理学、その内観法に対立するもので、公共的な、反復可能な、自然科学的方法によって、刺激‐反応の関係を研究することが心理学の教義であるとした。また、本能や遺伝に対して環境の要因を強調し、教育、発達、臨床などの面で極端な環境論を展開した。『行動主義者からみた心理学』(1913)を発表以後、動物心理学、発達心理学、一般心理学にわたって多くの著作を残し、以後の行動主義の発展に深い影響を与えた。

[小川 隆]

『安田一郎訳『行動主義の心理学』(1980・河出書房新社)』


ワトソン(Thomas John Watson)
わとそん
Thomas John Watson
(1874―1956)

アメリカの実業家、IBMの創設者。ニューヨーク州片田舎(いなか)にアイルランド移民の子として生まれる。店員、行商人などで一時を過ごしたのちNCR社に入社、営業部長にまで昇進したが、1913年社長と衝突して辞職した。しかし翌年CTR社(1924年IBMと改称)に社長として迎えられた。以来、「考えよ」Thinkということばをモットーに研究開発と販売促進を有機的に関連させた独自の経営を行い、82歳で他界するまで精力的な活動を続け、今日のIBMの基礎を築くとともに、コンピュータの改良と普及に大きく貢献した。仕事だけを生きがいとした反面、歴代大統領とも親交が厚く、業界団体のためにも尽くすところが大であった。

[小林袈裟治]

『T・G・ベルデン他著、荒川孝訳『IBMの創立者ワトソンの伝記』(1972・ぺりかん社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ワトソン」の意味・わかりやすい解説

ワトソン
Watson, James Dewey

[生]1928.4.6. イリノイ,シカゴ
アメリカ合衆国の遺伝学者,生物物理学者。デオキシリボ核酸 DNA二重螺旋説(→二重螺旋)の提唱者。シカゴ大学を卒業し,1950年インディアナ大学で学位取得。コペンハーゲン大学に留学し生化学研究に従事。1951年,オズワルド・エイブリーの報告(1944)にヒントを得て,DNA分子の構造を研究するため,ケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所に移る。ワトソンは X線解析の技術を DNAに適用し,1953年共同研究者のフランシス・クリックとともに DNA分子の二重螺旋構造のモデル(→ワトソン=クリック模型)を完成。その過程で二重螺旋説の正しさが証明され,1962年にクリック,モーリス・ウィルキンズとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。1953~55年カリフォルニア工科大学教授を経て,1955年からハーバード大学教授。その間にも DNA分子の遺伝子暗号の解読に貢献し,メッセンジャーRNAを発見。1965年初版の『遺伝子の分子生物学』Molecular Biology of the Geneは,分子遺伝学の優れた教科書として広く用いられ,版を重ねた。著書『二重らせん』The Double Helix(1968)は,二重螺旋モデルを考案した頃の研究生活を回顧して書かれたものである。1968年分子生物学研究の世界的中心地であるコールド・スプリング・ハーバー研究所の計量生物学研究所所長となり,2007年まで癌研究の指揮をとった。1988~92年国立衛生研究所 NIHのヒトゲノム解析計画のリーダーを務めた。

ワトソン
Watson Thomas J.,Jr.

[生]1914.1.8. オハイオ,デートン
[没]1993.12.31. コネティカット,グリニッチ
アメリカの実業家。IBM社の T.J.ワトソン社長の子として生れ,1937年ブラウン大学を卒業後,同社に入社。第2次世界大戦中は空軍に所属。 46年に除隊して IBM社に戻り副社長に就任する。 49年同社上席副社長を経て,52年父の後継者として社長に任命される。創業以来,同社は計算機メーカーの域にとどまっていたが,52年に真空管式大型コンピュータシステム (IBM701) を発表して,コンピュータ業界への参入を果す。 56年会長に就任したあと,事業の国際化や研究開発費への巨額投資など積極的な経営展開を続けて,同社を世界最大のコンピュータ会社に成長させた。 69年には米政府から独禁法違反容疑で告発されるなか (82年に取下げ) ,71年に引退を表明。その後,79~81年に駐モスクワ米国大使として活躍した。主著『企業よ信念をもて』A Business And Its Beliefs (1963)

ワトソン
Watson, John B(roadus)

[生]1878.1.9. サウスカロライナ,グリーンビル
[没]1958.9.25. ニューヨーク
アメリカの心理学者。シカゴ大学講師を経て,ジョンズ・ホプキンズ大学教授。行動主義の主唱者。従来の心理学が対象としていた意識を放棄し,内観法を拒否,行動を客観的な観察法に基づいてとらえ,しかもそれを条件反射的に刺激と反応の機構によって説明しようとした。彼の主張は,その後のアメリカの行動心理学の発展にきわめて大きな影響を与えた。主著『行動-比較心理学序説』 Behavior: An Introduction to Comparative Psychology (1914) ,『行動主義者からみた心理学』 Psychology from the Standpoint of a Behaviorist (19) ,『行動主義』 Behaviorism (25) 。

ワトソン
Watson, Thomas John

[生]1874.2.17. ニューヨーク,キャンプベル
[没]1956.6.19. ニューヨーク
アメリカの実業家。IBM社社長,会長。エルマイラ商業学校で学んだのち,NCR社に入社,15年間セールス・マネージャーとして活躍。 1914年その辣腕を買われて,パンチカード式統計機械を開発した H.D.ホリレス創設の CTR社に入社。翌年社長に抜擢され,24年には海外市場に進出,社名を IBMに改めた。 30年代の大不況期にも社員を解雇せず,36年,F.D.ルーズベルト政府の社会保障計画に必要な統計機を大量に供給した。第2次世界大戦後は電子計算機の開発に努力し,52年「700シリーズ」を発表,同社を世界最大の電子計算機メーカーに育て上げた。役員として関係した一流企業の数は多く,シラキュースほか十指に余る大学から文学,経営学,工学などの博士号を受けた。

ワトソン
Watson, Sir William

[生]1858.8.2. ヨークシャー
[没]1935.8.11. サセックス
イギリスの詩人。『ワーズワスの墓』 Wordsworth's Grave (1890) が出世作。伝統派の詩人で,A.オースティンのあとの桂冠詩人に擬せられたこともあった。

ワトソン
Watson, Thomas

[生]1557頃.ロンドン
[没]1592.9.26. ロンドン
イギリスの詩人。 T.ワイアット,サリー伯のあとをうけたソネット作者としてシェークスピアにも影響を与えたとされている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

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