越後平野(読み)エチゴヘイヤ

デジタル大辞泉 「越後平野」の意味・読み・例文・類語

えちご‐へいや〔ヱチゴ‐〕【越後平野】

新潟平野別名

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精選版 日本国語大辞典 「越後平野」の意味・読み・例文・類語

えちご‐へいやヱチゴ‥【越後平野】

  1. 新潟平野の別名。

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改訂新版 世界大百科事典 「越後平野」の意味・わかりやすい解説

越後平野 (えちごへいや)

新潟平野とも呼ばれる。新潟県の中央から北にかけて広がり南北約100km,東西約10~25km,面積約2070km2の紡錘形状の大沖積平野。西と南は東頸城(くびき)丘陵の延長である西山,道山,八石などの丘陵性山陵が雁行し,南東と東は越後山脈の西を縁どる魚沼丘陵とその延長が前山として平野を限る。南の長岡付近で標高20mときわめて低平である。信濃川阿賀野川は上流で盆地を貫流するため洪水時に荷重の大部分をそこに落とし,平野への出口では扇状地の発達が貧弱である。中流部では砂礫質扇状地性はんらん原が展開し,信濃川では三条,阿賀野川では新津付近までは比較的高燥である。これより下流の平野中央部は三角州性はんらん原低地で,現河道と旧河道に沿う自然堤防が微高地をなし,堤間に泥炭を含む場合がある。阿賀野川より北部では県境の飯豊(いいで)山地,朝日山地から西流する加治川胎内川荒川,三面(みおもて)川などの中・小河川が扇状地をつくり,平野北部の高燥地を形成する。海岸線にほぼ平行して10列の砂丘が発達し,角田山麓から三面川河口まで約70kmにおよぶ。標高20~30mのものも少なくないが,内陸部のものは連続が悪い。砂丘の存在は三角州低地の発達を阻止して排水を妨げたため,潟湖群を含む低湿水郷は洪水と水害に悩まされた。現在の穀倉越後平野は近世以来の分水,瀬替え,築堤などの諸事業を通じて排水し干拓された成果である。既に鎧潟紫雲寺潟紫雲寺潟新田)などは消滅して美田となり,今や鳥屋野(とやの)潟福島潟を残すのみとなった。1909-23年に造成された信濃川の大河津分水(新信濃川)は治水の典型的事業であった。10.1万haの水田には幹線用排水路,農道が通じ,区画整理が進み,早場米の水稲単作地帯として知られ,10a当り550kgの多収穫市町村も出現している。自然堤防,砂丘では梨,桃などの果実,チューリップをはじめとする球根,花卉,蔬菜を生産する。

 1952年,日本瓦斯化学(現,三菱瓦斯化学)が,新潟市および周辺に埋蔵されている天然ガスを原料にメタノール合成に成功し,新潟市で天然ガス化学工業がおこり中条町(現,胎内市)にもガス化学工場が設立された。ガス開発に伴い55年から新潟市に地盤沈下が現れた。現在は地下浅層の水溶性ガスから深層の石油と共存する構造性ガスに切り替え,大陸棚の阿賀沖・東新潟,南阿賀,中条のガス油田から採取し,地盤沈下は小康状態にある。県北の村上市は漆器(堆朱)を特産し,農産物集散地である新発田市とともに城下町の歴史をもつ。新潟市の豊栄(とよさか),新津,白根の各旧市は旧新潟市近郊の田園都市である。機業の五泉,見附,小千谷の各市,木工業の加茂市,金属洋食器業の燕市,利器金物業の三条市は伝統工業で知られる。城下町で工作・精密機械の内陸工業の長岡市は交通の要衝となっている。県都新潟市は新産業都市の指定地で内燃機工業,石油・ガス化学工業が盛んで82年開通した上越新幹線の終点である。全県人口の65%が集まっている。関越自動車道が開通し(1985),関東への結びつきはより強化された。
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百科事典マイペディア 「越後平野」の意味・わかりやすい解説

越後平野【えちごへいや】

新潟県中〜北部の日本海に面する平野。新潟平野ともいう。面積約2030km2。中央部から南部にかけては信濃川阿賀野川のはんらん原または三角州,北部は加治川,胎内川,荒川などの扇状地からなり,海岸線に沿って10列内外の砂丘,砂堆が発達。一般に水田単作地帯であるが,砂丘やはんらん原の微高地ではナシ,スイカ,チューリップなどの栽培も盛んで,南部では石油,天然ガスも産する。県の人口集中地域でもある。新潟市付近では地盤沈下が著しい。
→関連項目亀田[町]加茂[市]越路[町]紫雲寺[町]新発田[市]水原[町]田上[町]燕[市]豊浦[町]長岡[市]中条[町]中之島[町]新潟[県]新津[市]西川[町]巻[町]三島[町]見附[市]村上[市]安田[町]吉田[町]

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「越後平野」の意味・わかりやすい解説

越後平野
えちごへいや

新潟県の中央部を占める日本第二の沖積平野。新潟平野(にいがたへいや)あるいは蒲原平野(かんばらへいや)ともよばれる。北は朝日・葡萄(ぶどう)山地や五頭(ごず)山脈、南半は弥彦(やひこ)・西山・道山(みちやま)・東山山地の第三紀丘陵列に抱かれた紡錘状の平野で、南北100キロメートル、東西10~25キロメートル、面積2070平方キロメートルに及ぶ。南半は地向斜谷をなす長岡窪地帯(ながおかくぼちたい)を信濃川(しなのがわ)とその支流によって埋積され、三条辺りまでを中越平野(ちゅうえつへいや)とよぶ。阿賀野(あがの)川以北の北半は新発田(しばた)窪地帯を、県境から流れ出す加治川、胎内(たいない)川、荒川、三面(みおもて)川で埋め立てられ、前面は新旧数列の砂丘でふさがれている。砂丘裏には多くの潟湖(せきこ)群が連なり、1645年(正保2)の越後国絵図に、鎧潟(よろいがた)、佐潟(さかた)、大潟、田潟、白蓮(びゃくれん)潟、鳥屋野(とやの)潟、島見(しまみ)十三潟、福島潟、紫雲寺(しうんじ)潟、岩船(ゆわふね)潟など大小20余の沼沢地が描かれている。

 近世越後諸藩は、この低湿なラグーンを分水によって干拓する治水事業に全力を注ぎ、全国一の越後米産地の基盤を築いた。その水との闘いに終止符を打ったのが阿賀野川の松崎浜堀割と、新信濃川分水であった。第二次世界大戦前後からは各河川で大排水機場が完備され、動力排水による地下水面の低下が計られ、さらに土地改良事業や国営潟湖干拓事業が進められて、かつての湿田地帯も二毛作の可能な干田に変わり、現在は本県米産額の65%を占めている。第二次世界大戦後は、古くからこの低湿地帯で家庭用に利用されていた浅い水溶性天然ガスの工業化が急激に進捗(しんちょく)し、多量の地下水のくみ上げで地盤沈下現象をおこし、大問題となり、1960年ころから全面中止された。新潟市を中心とする県下20市の大半はこの平野に集中し、機械、金属、化学、繊維などの工業地帯を形成している。また、砂丘や自然堤防上では果樹園芸農が盛んで、チューリップ、ヒヤシンスなどの球根栽培や盆栽類の全国的産地になっている。

[山崎久雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「越後平野」の意味・わかりやすい解説

越後平野
えちごへいや

新潟平野」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の越後平野の言及

【新潟[県]】より

…その前面には一段低い新津(にいつ)丘陵,魚沼丘陵,東頸城(ひがしくびき)丘陵などの第三紀丘陵が県境山地を雁行状に縁取り,十日町盆地,六日町盆地などを含んでいる。最低部は扇状地と三角州の広い越後平野,柏崎平野,高田平野が並び,盆地がそれに連なるため県内では南北の交流は容易である。前面の日本海には佐渡島,粟島が浮かんでいる。…

※「越後平野」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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