仏教図像(読み)ぶっきょうずぞう

改訂新版 世界大百科事典 「仏教図像」の意味・わかりやすい解説

仏教図像 (ぶっきょうずぞう)

仏教において〈図像〉は広狭2通りに用いられる。広義に図像という場合,経典などの古い文献では仏・菩薩などの〈像そのもの〉を指しており,本来姿形なき仏・菩薩を,視覚的な形として絵画,彫刻に表現したものを意味する。それまで,輪宝や菩提樹などの象徴的表現によって釈迦を表示していたが,やがて仏像の出現するに及び,釈迦と仏弟子や梵天帝釈天などの姿形,さらには仏伝図,本生図中の釈迦およびその事跡や意味を,区別して認識させるために表現上の共通の規範が求められ,ここに仏教図像が成立した。大乗仏教の隆盛に伴い,多種多様の仏・菩薩が派生し,各諸尊間の異同を弁別させるべく,仏教図像は複雑なものへと発展した。しかし当初は各尊の図像上の特徴も厳格なものではなかったが,しだいに固定的な図像が定着し,また新たな図像が成立したりした。

 一方,今日用いる〈図像〉は狭義のそれであって,多種の仏・菩薩などの各尊を,その相好,印相,持物,姿勢などの特徴によって識別するために図示された〈絵〉のことを指す場合が多い。仏教美術がインドのガンダーラから西域を経て,中国,日本へと東漸するに当たっては,絵画,彫刻などの仏教美術そのものの伝来はもちろんであるが,特徴的な図様のみを写し取った図像を媒介とした伝播も見逃せない。著名な一例として,今日薬師寺に伝わる仏足石がある。釈迦の足跡とされる仏足石の図様が,インドより日本に伝えられた好例である。すなわち唐王玄策が,インド華氏城にあった仏足石よりその図を写し取って中国にもたらしたものを,渡唐した黄文本実(きぶみのほんじつ)が唐普光寺においてさらに転写して日本に請来し,753年(天平勝宝5)興福寺において石に刻したと伝えるものである。このような場合の図像は概して彩色のない墨線のみで,しかも簡単な略画が多く白描図像ともいわれる。平安時代前期の入唐八家の請来目録などで〈様〉〈図様〉〈白緤〉〈白描〉〈白画〉などと記されたものがそれに当たる。平安時代末期に永厳の《図像抄》(《十巻抄》)の撰集をはじめとする図像集編纂の盛行によって〈図像〉の呼び名が定着した。ことに図像は多種で複雑な仏,菩薩,忿怒尊の登場する密教において教義の理解のために重要視された。さらに東密,台密各派の間における師資相承の伝授の証とされ,各阿闍梨(あじやり)はみずからの事相研究のため図像を収集,書写した。その結果,多くの図像が転写されて伝来した。入唐八家が中国より請来した図像を主とする唐本図像のうち,原本の現存するものとしては円珍請来の《五部心観》(園城寺)や宗叡請来の《蘇悉地儀軌契印図》(東寺)などがあり,また転写本として伝えられているものに,空海請来の《仁王経五方諸尊図》(東寺,醍醐寺),《十天形像》(醍醐寺),《四種護摩本尊及眷属図像》(醍醐寺),最澄請来本と考えられる《金剛界曼荼羅諸尊図像》(メトロポリタン美術館),円珍請来の《胎蔵図像》(奈良国立博物館)や《胎蔵旧図様》《五菩薩五忿怒図像》などがある。

 さらに日本の仏像,仏画を白描図像として写し取り,その図像の研究や伝承に役立てることもなされた。それまでの多くの弥勒菩薩像の姿を伝える《弥勒菩薩画像集》(仁和寺)や,1135年(保延1)に仁和寺兼意が〈高尾曼荼羅〉の各尊を透写した《高雄曼荼羅像》およびその転写本(旧高山寺,長谷寺),東大寺戒壇院にあって1180年(治承4)の兵火によって焼亡した華厳経厨子の扉絵を事前に写した《戒壇院扉絵》など,さらに1197年(建久8)豊前五郎為広筆《五大力菩薩像》(普賢院)は高野山の彩色本を原寸で転写し,新たな仏画製作のための粉本として用いたものとされる。白描像中にはこのような彩色を伴う本格的仏画製作のための下絵としての白描粉本も伝えられている。定智筆《善女竜王像》(高野山)にならう白描本(醍醐寺)や,《孔雀明王図像》(醍醐寺)などは粉本としての性格がよく出ている。厳密な線描と彩色の注記もしくは色見本の彩色が一部に施されており,原寸か同じ縮尺で描かれていることが多い。

 平安時代後期以降,図像研究に活躍する阿闍梨や画僧が輩出し,独自の図像を考案したり,多くの異形の図像を収集したり,さらにその典拠や儀軌の研究が盛んとなった。玄朝応源,観祐,定智,円心,良秀,覚猷(かくゆう)(鳥羽僧上),玄証,信海らがよく知られている。玄朝様とされる《不動明王頭部及び二童子図像》(醍醐寺),観祐が1163年(長寛1)に描いた《高僧像》(仁和寺),玄証の《三国祖師影》(東京国立博物館),円心様,良秀様または信海とされる《不動明王図像》(醍醐寺),さらに《五大尊図像》(醍醐寺)や《十二神将図像》(仁和寺)などがある。

 やがて図像を各尊像別や修法ごとに集大成し,その典拠や儀軌を研究した図像集が編纂された。なかでも東密では永厳(恵什)の《図像抄》(《十巻抄》)や心覚の《別尊雑記》,覚禅の《覚禅抄》(《百巻抄》),興然の《曼荼羅集》,一方,台密では承澄の《阿娑嚩抄》などがある。また白描の図解を伴わないが,諸尊の図像の異同を研究した《秘蔵記》《諸説不同記》《金剛界七集》《胎蔵界七集》《成菩提集》なども図像の一部として考える場合もある。
仏像
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世界大百科事典(旧版)内の仏教図像の言及

【図像抄】より

…平安末~鎌倉時代の仏教図像集。10巻からなり,《十巻抄》《尊容抄》とも称される。…

※「仏教図像」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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