会津本郷(読み)あいづほんごう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「会津本郷」の意味・わかりやすい解説

会津本郷
あいづほんごう

福島県西部、大沼郡にあった旧町名(会津本郷町(まち))。現在は会津美里(みさと)町の東部を占める地域。旧会津本郷町は、1903年(明治36)本郷町として町制施行。1954年(昭和29)玉路(たまじ)村と合併。1992年(平成4)に会津本郷町と改称。2005年会津高田町、新鶴(にいつる)村と合併して会津美里町となった。JR只見(ただみ)線が通じる。東部は阿賀(あが)川を隔てて会津若松市に接する。中心地区の本郷は、中世には蘆名(あしな)氏の支配下で、弁天山に蘆名盛氏(もりうじ)の向羽黒山城(むかいはぐろやまじょう)(岩崎城)跡がある(国史跡)。周辺は白鳳山公園とよばれ、ツツジの名所となっている。下野(しもつけ)街道(会津西街道)の宿場町として栄えたが、近世初期に本郷宿は廃され、福永宿、関山宿(せきやましゅく)が設置された。農林業と窯業が主産業。米作、野菜・菊栽培などを行う。おもに日常雑器を生産する本郷焼は、1593年(文禄2)蒲生氏郷(がもううじさと)が播磨(はりま)から職人を招いて瓦(かわら)を焼かせたことに始まる。8月には「せと市」が開かれる。

[安田初雄]

『『本郷町史』(1977・本郷町)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「会津本郷」の意味・わかりやすい解説

会津本郷
あいづほんごう

福島県西部,会津美里町東部の旧町域。会津盆地南部にある。1903年本郷町として町制。1954年玉路村と合体。1992年会津本郷町に改称。2005年会津高田町,新鶴村と合体して会津美里町となった。中心地区は旧日光街道の宿場町。蘆名氏が永禄4(1561)年に向羽黒山城(岩崎城)を築城。市場も開設され三日町,六日町などの地名が残る。特産会津本郷焼は江戸時代初期に始まり,現在も受け継がれている。また明治20年代からは碍子の製造が盛ん。毎年8月初旬には瀬戸物市が開設される。向羽黒山城跡は国の史跡。一部は大川羽鳥県立自然公園に属する。

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百科事典マイペディア 「会津本郷」の意味・わかりやすい解説

会津本郷[町]【あいづほんごう】

福島県中西部,大沼郡の旧町。北部会津盆地の一部,南部は山地。米,野菜,花卉(かき)などを産する。中心の本郷は只見線が通じ,会津本郷焼を特産,特に碍子(がいし)の生産が多い。2005年10月,大沼郡会津高田町,新鶴村と合併し町制,大沼郡会津美里町となる。40.14km2。6704人(2003)。

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会津本郷 (あいづほんごう)

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