大正・昭和期の洋画家,詩人
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洋画家。福岡県久留米市の善福寺の長男として生まれた。本名亀雄(よしお)。中学時代から絵を習い,1912年中学を退学して上京,太平洋画会研究所,日本水彩画研究所に入った。16年から2年間大正大学に通ったが,かたわら作画を続け,思索的な性格から新興絵画の表現主義に興味をもつようになった。22年第9回二科展に出品の《埋葬》で二科賞を受賞。同年には前衛グループ〈アクション〉の結成にも参加し,以後二科展を中心に前衛的な作品を発表し続けたが,38歳で病死した。比較的短い作画期間に,キュビスム,表現主義風,アンドレ・ロートの影響,クレー風の童話的幻想様式,シュルレアリスム風というように,多くの新しい芸術思潮から影響を受けた作品を制作し,また絵画作品と対応するような多くの詩を創作,シュルレアリスムに関する論文も発表した。代表作には《煙火》《深海の情景》など。
執筆者:毛利 伊知郎
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大正後期から昭和初期の前衛洋画家。明治28年6月18日、福岡県久留米(くるめ)市の善福寺住職の長男として生まれる。本名亀雄(よしお)。1912年(大正1)上京して太平洋画会研究所に学び、翌年日本水彩画研究所に入り石井柏亭(はくてい)に師事する。15年僧籍に入り良昌と改名し、呼び名を春江とする。翌年宗教大学(大正大学の前身)に入学するが、病気で中退して画作に専念し、日本水彩画会会員となる。22年二科会に『埋葬』ほかを出品、二科賞を受けて注目され、同年中川紀元(きげん)ら二科会の若手前衛作家と「アクション」を結成し、キュビスム系の作品を発表した。26年二科会会友となり、このころからクレーの影響を受け詩的幻想画風に移っていく。さらにデ・キリコ、エルンストらを取り入れて、29年(昭和4)の二科展に出品した『海』『素朴な月夜』などにみるシュルレアリスム画風を確立するに至った。同年二科会会員となる。新感覚の詩作を試み、晩年は川端康成(やすなり)と親交があった。昭和8年9月10日没。
[小倉忠夫]
『中野嘉一著『古賀春江――芸術と病理』(1977・金剛出版)』
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…抽象芸術 日本におけるキュビスムの受容は1915年ごろに始まり,東郷青児,万鉄五郎らの作品にまずその反映がうかがえる。20年代に入ると,矢部友衛,古賀春江,黒田重太郎,川口軌外,坂田一男と,なんらかの形でキュビスムあるいはそれに類する様式を取り入れる画家はその数を増し,ひとつの流行の観を呈した。しかし彼らはキュビスムと未来派,あるいはキュビスムから派生したピュリスムや抽象的傾向を厳密に識別していたわけではなく,またそれぞれの理念を理解していたわけでもなかった。…
※「古賀春江」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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