四万十(市)(読み)しまんと

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

四万十(市)
しまんと

高知県南西部に位置する市。2005年(平成17)、中村市、幡多(はた)郡西土佐村が合併して成立。四万十川(渡(わたり)川)の中流および下流域にあり、川は市域のほぼ中央を南下し、土佐湾に注ぐ。西部と北部は愛媛県と接し、愛媛県側から流れてくる広見(ひろみ)川や目黒(めぐろ)川が四万十川に合流する。林野率は84.5%で、耕地率は3.5%にすぎない。北部の山間地では四万十川本流や後(うしろ)川沿いなどに、南部では中筋(なかすじ)川低地を主とした中村平野に耕地がみられる。JR予土(よど)線、土佐くろしお鉄道、国道56号、321号、381号、439号、441号が通じる。
 旧中村市地区の中心中村は県西部の幡多(はた)地方の中心でもある。中村貝塚、稲作の痕跡を示す入田(にゅうた)遺跡、円墳の古津賀古墳など遺跡が多く、早くから開発されていた。鎌倉時代から五摂家の一つ九条家領、のち一条家領幡多荘(しょう)となり、1468年(応仁2)一条教房(のりふさ)が戦乱を避けて下向し、幡多荘を直務支配した。教房は中村に京都を模した町をつくり、このため「土佐の小京都」とよばれている。四万十川流域で産したスギ・ヒノキや荘の年貢は河口の下田から搬送された。一条家は5代続いたが、長宗我部元親(ちょうそがべもとちか)に追われた。江戸時代は土佐藩の支藩である中村藩の城下となったが、中村藩は1689年(元禄2)廃され、以後は土佐藩の奉行所が置かれていた。旧西土佐村地区の中心である江川崎(えかわさき)は四万十川と広見川の合流点に位置する。広見川沿いに宇和島への道が通り、また下田との間に舟運があって繁栄した。
 産業は米作のほかに、ナシ、ショウガ、施設園芸が盛んで、中筋川低地ではイグサ栽培が行われる。林業は用材、パルプ材を生産する。国指定重要文化財の不破(ふば)八幡宮社殿、国指定天然記念物の八束(やつか)のクサマルハチ(シダの一種)自生地があり、四万十川の支流黒尊(くろそん)川上流にはブナの原生林がみられ、県鳥のヤイロチョウの繁殖地となっている。トンボ自然公園、四万十川学遊館、市立郷土資料館、カヌー館などがある。面積632.42平方キロメートル、人口3万5933(2010)。[編集部]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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