大宝寺(読み)だいほうじ

精選版 日本国語大辞典 「大宝寺」の意味・読み・例文・類語

だいほう‐じ【大宝寺】

[一] 大阪市天王寺区生玉寺町にある浄土宗の寺。
[二] 大阪市中央区南部の町名。かつては島之内に含まれ、天王寺区の大宝寺があった。

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日本歴史地名大系 「大宝寺」の解説

大宝寺
だいほうじ

[現在地名]久万町菅生

菅生山と号し、真言宗。本尊十一面観音。久万山くまやま第一の名刹で四国八十八ヵ所中の四四番札所である。寺の縁起を記した現存最古のものは正安元年(一二九九)の「一遍聖絵」で、一遍が文永一〇年(一二七三)七月に「予州浮穴郡菅生の岩屋というところに参籠」したことが絵入りで記されている。一遍が参籠したのは岩屋いわや(現美川村)であるが、同寺が大宝寺の奥院であったので、両寺の縁起を出している。大宝寺については、次のように記される。

<資料は省略されています>

予陽郡郷俚諺集」や享保四年(一七一九)大宝寺住職雲秀編の「菅生山縁起」をはじめ多くの縁起類に記す大要は次のようである。

大宝寺
だいほうじ

[現在地名]玉之浦町大宝郷

大宝浦に臨む地にある。弥勒山観音院と号し、高野山真言宗。本尊は聖観音。創建の時期は未詳であるが、不須がさざ海に開いた聖観音を本尊とする観音院を前身とすると伝える。大宝元年(七〇一)同院に三論宗の祖師道融が入り、大宝寺と号したという(「大宝寺縁起」寺蔵文書、「五島編年史」)。寺号は対馬からの金の献上によって年号を大宝に改めたことによるという。延暦二三年(八〇四)第一六次遣唐使船で入唐した空海は大同元年(八〇六)に帰るが、その折に値賀ちか島のたま浦大宝の浜に上陸、大宝寺を真言宗に改め、のち西の高野山と称されるようになったという(五島編年史)

大宝寺
だいほうじ

[現在地名]松山市南江戸五丁目

西にし山の南麓に位置し、古照山薬王院と称する。真言宗豊山派。本尊は薬師如来。伝承によると、大宝年間(七〇一―七〇四)に豪族越智玉興によって創建されたとも、またこの地に住む角之木長者の独り建立になるともいう。

現存の本堂は、桁行三間、梁間四間、単層・寄棟造・本瓦葺で、軒は二重垂木となって美観をそえ簡素ななかに均整のとれた建造物である。屋根の勾配は緩く優美である。もと茅葺であったのを、貞享二年(一六八五)に松山藩主松平定直を大檀那として大修理を加えた時に瓦葺に改めたのであろう。

大宝寺
だいほうじ

[現在地名]大野市錦町

近世の大野おおの城下てら町の中央やや北寄りにある。恵日山と号し、高野山真言宗。本尊は釈迦如来。応安二年(一三六九)山城醍醐寺報恩ほうおん院の憲深の弟子聖誉が大野郡小山おやま阿難祖谷あどそだにに大宝寺本光ほんこう坊を創立したのに始まるという。文明二年(一四七〇)七世善如の時、土橋どばし荘すなわち現在地に移ったとされる。文禄年中(一五九二―九六)青木紀伊守より亀山かめやま(大野城)鎮護の道場と定められて以来、歴代城主の祈願所となった。

大宝寺
だいほうじ

[現在地名]鎌倉市大町三丁目

名越なごえの佐竹屋敷跡に建つ。日蓮宗、多福山一乗院大宝寺と号する。開山は日出(長禄三年没)、本尊は三宝諸尊。もと妙本みようほん寺末。「風土記稿」は、応永六年(一三九九)佐竹義盛が建立の多福たふく寺跡に創建し、旧寺号を山号としたとする。山門・本堂・庫裏、新羅三郎義光の霊を祀る多福明神社などからなり、義光の彫像や子育鬼子母神、宝暦九年(一七五九)の境内絵図などの寺宝を所蔵。本堂背後には義光墓と伝える変形の宝篋印塔もある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大宝寺」の意味・わかりやすい解説

大宝寺
だいほうじ

愛媛県上浮穴(かみうけな)郡久万高原(くまこうげん)町久万にある真言(しんごん)宗豊山(ぶざん)派の寺。菅生(すごう)山大覚院と号する。本尊は十一面観音(かんのん)。四国八十八か所第44番札所。701年(大宝1)百済(くだら)の僧が十一面観音像を奉納したことに始まるという。あるいは、同年に猟師が久万山中で観音像をみつけ、これを草堂に安置したのが始まりともいう。保元(ほうげん)年間(1156~59)後白河(ごしらかわ)天皇の病気平癒を祈願して山号を下賜された。江戸時代には領主と農民との仲介を果たし、一揆(いっき)の調停役として危機を救ったことで有名。たびたび火災にあったが明治以後復興した。

[眞柴弘宗]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大宝寺」の意味・わかりやすい解説

大宝寺
たいほうじ

愛媛県松山市にある真言宗の寺。寺伝に大宝年間 (701~703) 越智氏の創立と伝えているが明らかでない。本尊の平安時代後期作の『阿弥陀如来像』や構造などから,創立年代はもっと下るとみられる。本堂は平安時代の古様を伝える四国地方最古の遺構で,国宝。

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デジタル大辞泉プラス 「大宝寺」の解説

大宝寺

愛媛県上浮穴郡久万高原町にある寺院。真言宗豊山派。山号は菅生(すごう)山、院号は大覚院。701年、百済の僧が本尊の十一面観世音像を奉納したことが寺の起源とされるが、異説もある。四国八十八ヶ所霊場第44番札所。

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事典・日本の観光資源 「大宝寺」の解説

大宝寺

(長野県塩尻市)
信州の古寺百選」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の大宝寺の言及

【久万[町]】より

…中心集落の久万は土佐街道沿いの旧宿場町で,江戸時代は松山藩の久万山代官所が置かれた。また四国八十八ヵ所44番札所菅生山大宝寺の門前町として栄えた。基幹産業は農林業で,米作のほか,高冷地を利用した野菜栽培,肉牛飼育が盛ん。…

※「大宝寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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