出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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大通寺
だいつうじ
[現在地名]南区西九条比永城町
源実朝の妻(坊門信清の女)が実朝の菩提を弔うために建立した遍照心院の寺基を継いだ寺。真言系単立。万祥山遍照心院と号し、本尊宝冠釈迦如来。もと六孫王社(現南区)の北に所在した。遍照心院は真空を開山として創建。源氏ゆかりの寺として、鎌倉・室町幕府将軍の庇護を受け、豊臣・徳川両氏もこれにならって寺運の隆盛をみた(「都林泉名勝図会」など)。中世には寺辺にいくつかの領地を有していたらしく、応永二年(一三九五)一〇月には、塩小路朱雀田地一町半をめぐって山城醍醐寺理性院と相論し(東寺百合文書)、同二〇年一〇月二七日には、西八条左右京職巷所が遍照心院に安堵されている(同文書)。
大通寺
だいつうじ
豊田小学校の東側に位置する。東面山と号し、天台宗。本尊薬師如来。「西讃府志」には「本尊釈迦多宝ノ二尊、大師堂元三大師准三后公弁親王ノ筆、左右ニ不動愛染ノ二明王ヲ安置ス」とあり、開山は日通、高井下総守の建立、もと法華宗で小立岡にあったが、日通から九世ののちの日光のとき現在地に移した。その後延宝三年(一六七五)一二世尊順のとき天台宗に改めたと記す。寺田六石余(同書)。元禄六年(一六九三)の坂本組寺社帳写(観音寺市誌)によれば本寺は毘沙門堂(現京都市山科区)、寺領一町七反余(御免許)、松林一町八反余(御免許)。
大通寺
だいつうじ
[現在地名]兼山町 魚屋町
兼山町北東部、旧戸立町の木曾川の崖上にある。補陀山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊は釈迦如来。斎藤正義の烏峰城築城以前、永正二年(一五〇五)加茂郡細目村大仙寺(現八百津町)の二世大雅により創建されたと伝える。美濃国三十三観音の第三〇番札所の戸立観音堂は当寺門前にあり、本尊は如意輪観音。「濃陽志略」には本尊は自然岩石で、三間四面の堂は岩で構成されるとし、かつて観音が女子の姿で現れたが、人が悪戯をしたため岩の陰に隠れ去り、その岩が戸のようであったことから戸立観音と名付けられたという里伝を記す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の大通寺の言及
【長浜[市]】より
…秀吉在城時代に始まる八幡神社の長浜曳山(ひきやま)祭(4月13~16日)は,壮麗な曳山(山車)の上で少年の歌舞伎が演じられるもので,国の重要無形民俗文化財に指定されている。また旧長浜城内にあった大通寺は,1606年現在地に移築されたが,近江・美濃両国に320ヵ寺の末寺をもつ東本願寺の別院である。豊(ほう)公園内にかつての長浜城を模した長浜城歴史博物館がある。…
※「大通寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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