明治初年神仏分離令や廃仏毀釈運動で興福寺境内は廃虚に近い状況に追込まれた。四条隆平県令の強行策で築地塀は払われ、五重塔なども売りに出されるありさまであった。明治九年(一八七六)四月一八日奈良県は廃され堺県に吸収合併され、南都の殷賑は影をひそめた。こうしたなかで有志は回春繁栄策として興立舎を組織し、翌一〇年一一月堺県へ公園設立を願出た。これを受け堺県は政府に伺書を提出、明治一三年二月一四日付で許可された。
明治六年の太政官布告に基づき旧興福寺境内と猿沢池付近の約一四町六反九畝歩が奈良公園として誕生、その後奈良県の再設置もあり明治二一年八月二八日春日山・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
奈良市春日野町に所在し,市街地の公園としては面積502haという日本最大の規模をもつ。明治初年の神仏分離,廃仏毀釈(きしやく)運動以来荒廃していた興福寺境内を,1880年猿沢池とあわせ公園としたことに始まる。89年東大寺・春日大社の境内,芳山(ほやま),春日山,若草山などの山林も編入し,日本で最大の県立公園となった。95年京都で第4回内国勧業博覧会が開催されるに際して整備され,従来の地形をほとんど改変することなく,マツ,スギ,サクラ(吉野桜),カエデを主調として造成された。また明治維新後に興福寺等の境内地に侵入していた民地を買収・整備して,広大な疎林と芝生を主体とする大公園となった。原始林(特別天然記念物)を残す春日山,山焼きで知られる若草山が東を限り,ふもとに浅茅ヶ原,飛火野(とぶひの)のゆるやかな芝生の原が広がり,また猿沢池,鷺池などが水をたたえている。ここに約1000頭の鹿(天然記念物)が放され,毎年10月中旬に鹿の角伐り(つのきり)が行われている。鹿の角は毎年3月ころ自然に脱落し,5,6月ころから生え始め,10月ころになって脱皮し堅く強くなるが,そのころに交尾期を迎え危険となる。そのため1671年(寛文11)から奈良町奉行所と興福寺の協議によって角伐りが始められた。1947年東大寺,興福寺,手向山(たむけやま)八幡宮,瑜伽(ゆが)神社,天神社,春日大社および末社の境内地が公園敷地から除かれ,現在の規模となった。なお,園内に奈良国立博物館や県立公会堂などがある。
執筆者:田中 正大
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
奈良市市街地の東部にある都市公園。若草山、御蓋(みかさ)山、春日(かすが)山などとそれらの西麓(せいろく)一帯に広がる。面積5.02平方キロメートル。1880年(明治13)太政官(だじょうかん)布告に基づき興福寺境内と猿沢(さるさわ)池付近が奈良公園に指定され、以後順次拡大、1922年(大正11)国指定名勝に、1960年(昭和35)都市公園法により県立都市公園となった。園内には興福寺、東大寺、春日大社などの古社寺、奈良国立博物館、正倉院、依水(いすい)園、春日大社神苑萬葉植物園などがあり、特別天然記念物春日山原始林、国指定史跡鶯塚(うぐいすづか)古墳、荒(あら)池、鷺(さぎ)池などを含む。なお、春日山原始林は古都奈良の文化財として世界遺産の文化遺産に登録されている。県営施設の公会堂、グラウンド、駐車場があり、春日山周遊道路が通じ、自然と人工美がみごとに調和する。杉木立の間の広大な飛火野(とびひの)、浅茅(あさじ)ヶ原の芝生では、国指定天然記念物の1000頭を超えるシカが群をなして遊ぶ。
[菊地一郎]
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…人口35万9218(1995)。市域は奈良盆地北部と周辺の丘陵地帯からなり,旧市街地と奈良公園地区は春日断層崖下の台地とその下部の緩斜面上に位置する。都市としては8世紀初めに建設された平城京に起源をもつが,その後東大寺,興福寺,春日大社などの社寺が皇室,貴族の保護をうけて繁栄し,門前町が発展して室町時代末ごろまでに旧市街地の原形が整えられた。…
※「奈良公園」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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