宿・宿駅(読み)しゅく・しゅくえき

百科事典マイペディアの解説

宿・宿駅【しゅく・しゅくえき】

旅客の宿泊施設や荷物輸送の人馬を備えた所で,古くから交通の要衝に設けられた。平安時代後期,律令制の崩壊に伴って駅伝(えきでん)制が崩れると,駅に代わって旅宿・運輸業者を調えた宿が発達していった。中世の宿には交通量の増大に伴っておのずと発達したものもあるが,東海道の諸宿のように鎌倉幕府が政策的に復活・新設したものもある。宿では市が開かれ,やがて常設の店をもつ商工民が定住,宿泊所を兼ねた寺院や接待所,伝馬(てんま)を供給する問屋(といや)などが立ち並び,遊女馬借(ばしゃく)・車借(しゃしゃく)などもたむろして,町としての機能を整えるようになった。三河矢作(みかわやはぎ)宿のように守護足利氏の根拠地となって,地域の中核都市となる場合もあった。戦国期には各地の大名が領国内に伝馬制をしき,伝馬の負担を特定の集落に課したため,自然と宿駅の形態が整った。 徳川家康も1610年に東海道に伝馬制をしき,漸次江戸から諸方への街道へとこれを広げた。宿泊施設などには旧来の宿駅集落を用いた場合もあったが,新たに街道沿いに屋敷地を与えて間口割(まぐちわり)をし,新たに宿駅として成立した集落もある。宿場町とは主としてこうした近世の町並みをさす。宿内で伝馬役を負担する家は屋敷地の地子(じし)は免除された。宿には問屋・年寄などの宿役人がおり,その下に帳付(ちょうづけ)・馬指(うまさし)・人足指(にんそくさし)などの実務に携わる雇人がいて,問屋場に詰め事務を取り扱った。休泊のために本陣・脇本陣・旅籠(はたご)屋などの施設や,運輸・通信のための人馬(囲人馬(かこいじんば))が常備された。寛永(かんえい)期(1624年−1644年)における人馬数は幕府道中奉行(ぶぎょう)の支配する街道では東海道各宿100人・100疋,中山道(なかせんどう)では50人・50疋,他は25人・25疋であった。他の大名領国内の諸街道もこれに準じた。江戸時代中期以降,宿人馬を利用する公用旅行者の増加や公家(くげ)・大名・旗本(はたもと)等の不当使用,賃銭不払いなどにより,幕府の助成にもかかわらず宿財政は破綻に瀕した。→駅・駅家
→関連項目江口街道清水坂株河駅雲助児玉幸多

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