足に履く服具の一種。気候、風土、屋内、屋外、あるいは日常、儀礼、行事、舞踊など、場合や行動により材料や形式が異なる。材料として皮革、毛皮、フェルトなどのほか、絹糸、麻、草、藁(わら)などを編んだものがあり、形式としては深(長)、浅(短)、足首でくくる紐(ひも)のついたものなどの区別がある。このような材料と形式により履の名称がつけられている。履は北方アジアや中国からおもに朝鮮半島経由で日本に伝来したもので、古墳時代以来、豪族や貴族階級を中心に用いられてきた。養老(ようろう)の衣服令に、文官・女官の礼服(らいふく)に舃(せきのくつ)、武官の礼服に烏皮靴(くりかわのくつ)、文官・女官の朝服に烏皮履(くりかわのくつ)、武官の朝服に烏皮履または鞋(かい)、無位の者や庶民が公事(くじ)に従うときに着る制服に皮履(かわのくつ)をはくとある。
舃はつまさきが高くなった形の、いわゆる鼻高履で、金や銀などの飾りがついている。烏皮履は黒塗りの革製で浅い形のもの、鞋は紐がついていて、足首で締めるようにした履。甲や踵(かかと)の部分を絹糸で編み、皮底としたものを絲鞋(しかい)とよび、貴族の若年や舞楽装束に用い、草や藁で編んだものが草鞋(そうかい)であり、下級の武官が用いた。錦(にしき)を張ったものを錦鞋(きんかい)といい、それに刺しゅうを加えたものを繍線鞋(ぬいのせんがい)とよんだ。天皇が束帯を着用するときの錦鞋を挿鞋(そうかい)とよんでいる。
平安時代以来公家(くげ)の服装である束帯、衣冠、直衣(のうし)、狩衣(かりぎぬ)などに履が使われたが、武家も礼装としてこれらの服装を着用するときに履をはいた。それらのうち浅沓(あさぐつ)は木履(きぐつ)(もくり)であるが、近世になると紙を張り合わせて漆を塗り、底を桐(きり)材としたものが使われ、深沓は革製で雨泥の日に用いられた。晴の儀式に着装する束帯には浅沓のかわりに靴(か)をはいた。靴は深沓式で、足首のところで靴帯(かたい)を締め、縁に錦を巡らしてつけ靴氈(かせん)とよんだ。中世後期には靴氈の前後を切り開いて立挙(たてあげ)ともいった。高さを低くして靴帯を除いたものを半靴(ほうか)とよび乗馬用とした。半靴のうち鹿(しか)や猪(いのしし)の毛皮で製したものを毛沓(けぐつ)といい、立挙を白革としたものを武士が騎射用とし、物射(ものい)沓とか馬上(ばじょう)沓と称した。また鎧(よろい)着用のとき、熊や猪の毛皮でつくり紐を通してくくる形のものを貫(くらぬき)といった。
[高田倭男]
中国固有の履き物は、甲覆いの少ない浅いパンプス状またはスリッパ状の短靴と、脱ぎやすい半長靴に代表される。いずれも古代からのつまさき上がりの形を保持しており、ことに上海(シャンハイ)シューズの名で知られる、甲に美しく刺しゅうをした布製の婦人靴は有名である。「くつ」の文字は時代・民族・地域により異なり、用途・材質などによって多くの字が使われている。深衣・冠帯の漢民族は古代では屨(く)、漢代以後は履(り)・舃(せき)を用い、褶袴(すりばかま)の遊牧民族(胡族)は、騎馬の関係から鞾(か)または靴を用いた。靴は今日の「くつ」の常用語となる。
屨(く)は、舟の形をしていたといわれ、付け紐で足をくくって履くものをさしたが、のちに履(ふ)むという意味の履の文字が用いられる。
履(り)は、浅い短靴状の一般的な履き物で、材質によって草(そう)履、木(もく)履、麻(ま)履、絲(し)履、革(かく)履(鞜(とう)とも)がある。履の文字は『詩経』や『論語』にもみられるが、本来は履き物全体をさし、漢代では履き物はすべて履と称した。
舃(せき)は、おもに儀礼用の外履きとして用いられ、地面からの湿気を防ぐように底の部分に麻や木または革などを二重に重ねたもの。漢代には同じ目的に用いられる屐(げき)(下駄のような歯のついた一種の木靴)もあった。鞾あるいは靴は、革製の半長靴を原型とする革履の一種であるが、装飾された布製のものは朝服にも採用され、やがて日本にもたらされる。ほかに特殊な履き物では、女児や婦人が長い間因習として用いていた纏足(てんそく)靴がある。
[平野裕子]
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