改訂新版 世界大百科事典 「山王信仰」の意味・わかりやすい解説
山王信仰 (さんのうしんこう)
比叡山のふもと,滋賀県大津市に鎮座する日吉(ひよし)大社に対する信仰。この日吉大社は山王権現とも称された。大山咋(おおやまくい)神を主祭神とする古い山岳信仰にその源流を発し,平安時代の初め,延暦年間(782-806)に天台宗の開祖,伝教大師最澄が延暦寺を建立したとき,山麓にあった日吉の神を,延暦寺一山の鎮守神,天台宗の護法神と定めた。これは中国天台山にまつられている山王祠の例にならってまつったもので,山王は霊山を守護する神霊のことをいう。神仏習合により,天台宗の隆盛とともに,山王権現も飛躍的発展をとげ,まつる神は時代とともに増加した。中世には上七社,中七社,下七社となり,あわせて〈山王二十一社〉と称した。とくに上七社のうち,大宮(大比叡),二宮(小比叡),聖真子は山王三所,山王三聖と称してもっとも崇敬された。また,平安末期には,延暦寺の僧兵が,山王の神を神輿に奉じて山を下り,朝廷に強訴し,公家から恐れられたことは有名である。
鎌倉時代には,日吉の神への信仰と天台教学とを結合させた神道思想が生まれる。本地垂迹(ほんじすいじやく)説の影響をうけて,神仏の密接不離を最澄に仮託して説いており,これを山王神道,日吉神道と称した。その思想は,天台教理である三諦即一を山王の2字の字形によって解説し,山王の神は,釈迦の垂迹であり,日本の至高真実の神であるとする。のちには,伊勢神道の影響をうけて,天照大神の信仰が加わり,日吉の神と天照大神とが一体であると主張するようになった。また近世に入ると天海は山王一実神道を唱道した。明治維新の神仏分離により,山王権現は日吉神社と社名を改称し,延暦寺との関係は切り離され,打撃をうけた。山王の神は,延暦寺系寺院・寺領に勧請され,その信仰は全国各地に発展していった。東京都千代田区の日枝(ひえ)神社もその一つである。日吉の神の使いはサルであるとされ,安産,子育て,縁結びなどに霊験があるといわれており,その信仰は現在もつづいている。
執筆者:岡田 荘司
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報