建築儀礼(読み)けんちくぎれい

改訂新版 世界大百科事典 「建築儀礼」の意味・わかりやすい解説

建築儀礼 (けんちくぎれい)

建築工事の着工や主要工程の完成の機会に行われる儀式は,日本だけでなく世界各地に古くからあり,現代でもひろく行われている。そのときに,建築部材に飾りつけをし,酒や食物を供え,祈禱や祝辞を捧げ,式後に祝宴を行うことが一般的に見られる。これらの儀式は建築工事の安全を祈るだけでなく,建築の永続,ひいては建築主である家族や共同体の将来の幸福を祈るという意味が含まれている。建築儀礼は新築工事だけでなく,屋根の葺替えや住居の移転の機会にも行われ,また橋梁などの土木工事や造船工事の際にも,渡りぞめ,進水式などの類似の儀式が見られる。

 日本の古い建築儀礼としては,《古事記》や《日本書紀》に記された新室楽(にいむろうたげ)や室寿(むろほぎ)があり,とくに《日本書紀》清寧紀にはそのときの祝詞と歌謡が記載されている。古代の伊勢神宮の造営では,山口祭(やまぐちまつり)(杣山(そまやま)の入口でその神をまつる儀式),木本祭(きのもとまつり)(正殿の忌柱を切るときの祭り),鎮地祭(ちんじさい)などが行われた。古代寺院の造営でも,基礎工事では鎮壇具を地中に埋めて安全を祈り,完成のときには造立供養(ぞうりゆうくよう)が行われた。平安時代以降の建築工事では,礎(いしずえ)(礎石を据えるとき),手斧始(ちようなはじめ)(事始(ことはじめ),木作始(きづくりはじめ)とも呼び,材木加工の開始),立柱(りつちゆう)・柱立(はしらだて)(柱を立てるとき),上棟(じようとう)・棟上(むねあげ)(棟木をのせるとき)が主要な儀式で,日時をあらかじめ陰陽師が卜占し,当日は建築工匠と工事関係者が工事場に集まって儀式を行った。手斧始では工匠が材木に墨糸で墨を打って手斧で削る所作を行い,上棟では棟木上に五色の絹や御幣を飾り,酒を供えた。これらの儀式では,工匠の指導者は衣冠,束帯,狩衣などの礼服を着用し,儀式終了後は馬,衣服,布,米などを祝儀として与えられた。以上のような儀式は建築工事全体に関するもので,大工,檜皮葺(ひわだぶき),壁工などいろいろな職種の工匠が参加したが,それとは別に職種ごとの小規模な儀式もあった。江戸時代以降の庶民住宅の工事でも,棟上や茅葺き屋根の葺替え完成のときなどに村人を招いて盛大な祝宴が行われ,終了後,村人が歌をうたいながら酒をかついで棟梁を家まで送る〈だいくおくり〉の習俗があった。〈屋移り粥(やうつりがゆ)〉と呼ばれる粥をつくって,村人が歌をうたいながらそれを新築の家にふりかける習俗を伝える地方もある。なお,中世の貴族住宅でも,新しい住いに移り住むことを移徙(わたまし)と呼び,その際に粥をつくって祝う習俗が見られる(引越し)。

 現代日本では,建築儀礼は伝統的な木造建築に限らず,鉄筋コンクリート鉄骨構造の建築についてもひろく行われており,一般に地鎮祭上棟式の二つが主になっている。現代ドイツでもリヒトフェストRichtfestと呼ばれる上棟式が庶民住宅の工事でひろく行われており,そこでは家を建てるまでの家族の生活の歩みが詳しく紹介される。
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ふつうの住居の建築にあたって建築儀礼が行われることは世界的にも珍しくないが,集会所,神殿,酋長の家,王宮,王都,橋,堤防などのように,公共建造物,指導者や支配者の住居の建築においてはいっそう発達しているのがふつうである。建築儀礼は定住的な農耕民文化,ことに古代文明とその影響圏においてさかんである。

 建造物をきよめたり祝福するために人間を殺す習俗(人柱)や伝承は,ヨーロッパから東アジアにかけての旧大陸の古代文明地域とその周囲,西アフリカ,メラネシアポリネシアに分布するが,アメリカ大陸では北米北西海岸を除いては見られないようである。ボルネオのミラナウ族は大家屋を建てるとき,深い柱穴を掘って奴隷娘を1人その中に入れ,その上に柱を落として殺し,精霊への犠牲にした。ソロモン諸島ブーゲンビル島のブイン族では,酋長の会堂の落成のために人狩りをした。親しい酋長に売った奴隷を狩り,殴り殺し,解体して頭,手,足を柱壁にしばりつけ,これに矢と槍を投げる。3日後,死体を埋め,その10日後に骨を掘り出し,骸骨を中心柱の隣に立て,その上に殺された者の霊を表す木像をのせた。頭蓋骨は煙でいぶして祖先に捧げた後,屋根の下か大太鼓の上に置いた。手足の骨はY字形の枝に横棒としてのせた。おそらく殺された者がこの建物の守護霊になるのであろう。ニューギニアのキワイ・パプア族の神話によると,ある神が殺され,死の旅路にのぼる最初の神となり,自ら変身して死後の世界を創り,この死後の世界を現世で模したのが祭儀舎屋だという。ミャンマーのテナッセリムのダウェーの町を建設するとき,城内の柱穴に罪人を入れて人柱とし,町の守護霊にした。スコットランドのピリト人(3世紀から9世紀にかけての住民)がつくったとされる遺構では,その礎石に人間の血が注がれたと伝えられている。

 アフリカのマラウィ湖西方のマラビ族は,住居を移すとき,一本の木の下に穀粉を置き,1日たってそれが乱されていれば,精霊が移転を認可したしるしとする。西アフリカのヨルバ族は,新築の家での最初の夜,悪霊の魔力をやぶるため,奴隷を2人寝かせ,戸口に蹄鉄状の鉄をとりつけ,悪霊が新たに入らないようにした。ジャワウォノソボ地方では,新家屋の建築に際し棟木に赤い布を結んで悪霊よけとし,ときにはこの赤布に一茎の稲を結びつけることもある。ジャワでは棟上げのときに,地神ダンヤンに香りのよい御飯と素馨(そけい)(ジャスミン)の花束を捧げて加護を乞い,この家を無事に完成させ,不幸を防いでくれと祈る。朝鮮では,住居の中の大庁(板の間。マルパンという)に家宅神のソンジュ(成造,成主)をまつっている。ソンジュは甕の中に大麦や米を入れた形をとる地方もある。ソンジュを最初にまつるのは落成や引越しのときで,また災難が生じてまつることもある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「建築儀礼」の意味・わかりやすい解説

建築儀礼
けんちくぎれい

家屋を建造する過程で行われる各種の儀礼。最初に、敷地選定や建築開始の日を決めるための占いがしばしば行われる。その後、着工するとき、棟上げのとき、完成時、初めて入居するときなどに儀礼がなされる。建築は、樹木、草、石、土などの自然物を利用して自然空間を文化的空間に変えることであり、儀礼的行為によってこのことを表現するのが建築儀礼であるといえる。そのため建築儀礼は主として二つの側面をもっている。一つは、木や石などの建築材料に対して、またそれらを支配する神や大地の神などに対して感謝を述べ許可を得ることである。その際、たいてい供物、とくに動物のいけにえが捧(ささ)げられる。もう一つは、住居が文化的空間であること、つまり人々が抱く世界秩序のあり方(文化)を家屋の構造が反映していることを儀礼によって表現することである。建築儀礼は世界観を再確認することでもあり、とくに方位、具体的には家屋の四隅、東西南北と中央が強調される。メキシコのマヤ人は、棟上げのとき2羽のニワトリをいけにえに殺し、首は中央に、足は家の四隅に埋め、四隅の柱に酒と食物をかける。また、特別の儀礼を行わなくとも、建築の手順そのものが世界観を反映していることも多い。たとえば、インドとミャンマー(ビルマ)の国境付近に住むプルム人の社会では、家は縦に二つの部分に分けられ、右側の部分は家の主人とその未婚の子女が使う空間、左側は実家を訪れた既婚の娘とその夫、および娘に求婚中の男の空間である。そして家を建てるときには、右側の主柱がまず立てられ、次に左側の主柱が立てられ、その上にのせられる梁(はり)も同じように右を先に、左を後に据える。プルム人の社会では右と左、親族と姻族、優と劣といった二元論的世界観が建築の手順に反映されているのである。

[板橋作美]

日本の建築儀礼

新築、屋根の葺(ふ)き換えなどの行事を、ヤゴトといっている所が多い。これらの仕事は、親類縁者や、集落内の共同仕事にまつことが少なくないので、いろいろな儀礼を伴って行われている。まず第一着手として、今日でも一般に行われているのは地鎮祭である。地祭(じまつり)などといって、家の敷地において土地の神を祭るのである。注連(しめ)を張り、榊(さかき)や竹を立て、供え物の棚を設け、神職が祝詞(のりと)をあげるのが一般の形式である。いよいよ工事に着手するにあたって、作業の小屋入り、手斧(ちょうな)始めなどといって祝いをする所がある。これが済むと地固めにかかる。石場つき、ドウヅキ、タコツキなどといい、地搗き杵(じつききね)につけた綱を、歌を歌いながら女が引くのが多い。建築にとりかかって棟上げが済むと、もっともだいじな建前(たてまえ)すなわち棟上げ祝いが行われる。棟上げが済むと、それで一戸の家として認められるのである。棟梁(とうりょう)が御幣(ごへい)を持って棟に上り、魔除(よ)けとして弓矢を棟に上げる例もみられる。棟上げや屋根の葺き上がりのとき、グシ餅(もち)といって餅をまく風習が一般にみられる。東北地方では新築のときばかりでなく、屋根の葺き換えのときにも行うという。そして、この日の餅は、シトギ餅で、藁苞(わらづと)に入れて小銭(こぜに)とともにまく。長野県北部では鼻緒を切った草履(ぞうり)を、餅や小銭とともに投げる。これを拾って、頭痛や赤子の夜泣きのとき枕元(まくらもと)に置くと治るという。神奈川県相模原(さがみはら)市緑(みどり)区の旧藤野町地区では、建前のとき大黒柱に、蓑笠(みのかさ)を結び付ける習慣があった。棟上げが済んだのち啜り粥(すすりがゆ)といって、新築の家のおもな柱に、粥を供える風習が各地にある。岩手県では隅(すま)っこ粥といって、新築の祝いに二親のある6人の子供が、家の四隅に向かって歩きながら粥を食べる式を行う所がある。棟上げの祝いが済むと、大工送り、棟梁送りといって、親戚(しんせき)の者などが大工を家に送って行く。長崎県壱岐(いき)島などでは、この風習がなかなか盛んで、米俵(こめだわら)、酒樽(さかだる)などを担って送ると、棟梁の家では、それを家の門前に飾っておくという。新築の祝いで広くみられる風習は、ワタマシ粥を炊くことである。この粥にはいろいろな特色があり、小豆(あずき)粥であるが、その中に黒豆、小石、銭などを入れ、それに食べ当たった者は縁起がよいという。静岡県下には屋移り粥といって、長老が大黒柱にこの粥をそそぎ、祝い言を唱える例がある。新築の家に初めて移るとき、最初に持参するものには土地ごとに慣例があった。東京ではもと万年青(おもと)の鉢植えを持参したが、神棚、仏壇、臼杵(うすきね)、鍋釜(なべかま)、桶(おけ)に井戸水をくんだもの、漬物桶、牛馬などを持って行く例もある。

[大藤時彦]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「建築儀礼」の意味・わかりやすい解説

建築儀礼
けんちくぎれい

民俗学用語。家の建築に伴う儀礼の総称で,敷地を塩で清め地の神を祀る地鎮祭,土台になるところをつき固める地つきの行事,小屋組みの終ったところで行われる棟上げ式,屋根ふきのあとのふき籠り,新築された家のまわりをめぐる家見,そして新しい家に引移る屋移りの行事などの諸行事がこれに含まれる。ことに棟上げ式の際には,棟に大きな竹の弓を立て,または扇子,麻緒,男女の帯,髪,髪結い道具を飾り,親類や近所の手伝いの人たちを招いて屋根から銭や紅白の餅をまくといったしきたりが広く行われている。また大工に対しては家主や親戚が大工ぶるまいと称して酒食を贈る習慣がある。

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世界大百科事典(旧版)内の建築儀礼の言及

【人柱】より

…しかし,インドネシアの多くの民族では,人身供犠の代用物が用いられ,ジャワのスンダ族では,新築家屋の基礎の下には,水牛の頭や,ヤギや鶏を埋める。南インドでもかつては建築儀礼において人間を殺すことが多かったが,現代では寺院の建立に際しては,人間や人間の頭の代わりにココヤシの実を一つ基礎の下に埋める。ヨーロッパにも人柱の習俗や伝説は多い。…

※「建築儀礼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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