徳宗[西遼](読み)とくそう[せいりょう](英語表記)De-zong; Tê-tsung

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「徳宗[西遼]」の意味・わかりやすい解説

徳宗[西遼]
とくそう[せいりょう]
De-zong; Tê-tsung

[生]?
[没]皇統3(1143)
西遼 (カラ・キタイ) の建設者 (在位 1132~43) 。姓名耶律大石,字は重徳。の太祖の8世の孫。天慶5 (15) 年の進士。遼の滅亡のとき,天帝と合わず,保大4 (24) 年自立して王と称し,トラ河畔の可敦城に走り遼を支持する遊牧諸族を糾合した。しかしのちの圧力が次第に加わってきたので,1129年頃部下を率いてトルキスタンに進み,33年カラハン朝君主を退け即位し,グル・ハンと称し天祐皇帝と号した。これが西遼国で,クズ・オルダ (旧称ベラサグン ) を都とした。その後諸国を破り,アムダリア以北から,東はウイグル王国にいたる中央アジアの大国に成長した。

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