出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳宗の寺。山号は岡本山。法隆寺の北東方,岡本集落の南部にあり,地名により岡本寺,池畔にあるので池後(いけじり)寺(池尻寺)とも称された。《上宮聖徳法王帝説》などによると,聖徳太子建立七ヵ寺の一つと伝え,606年(推古14)に太子が《法華経》を講説した岡本宮を,遺言により山背大兄王が寺に改めたという。その後638年(舒明10)に福亮僧正が金堂と弥勒像を造り,685年(天武14)に恵施僧正が堂塔の建立を発願し,706年(慶雲3)三重塔の露盤が完成した。当初は塔と金堂を東西に並立するいわゆる法起寺式伽藍配置で,奈良時代には金銅仏12体のほか,多数の仏教経典を所蔵した。1081年(永保1)官命によって塔の露盤銘文が写し取られ,1262年(弘長2)には初めて塔が修理されたが,14世紀中葉に塔をのこして金堂,講堂などが倒壊,以後寺勢振わず,1678年(延宝6)真政が堂塔を修理し,1715年(正徳5)碩峰が本堂と庫裏を再建した。1960-61年,68年の伽藍地発掘調査により,金堂,講堂,中門,南門の規模が判明した。高さ23.9m,現存最古最大の三重塔は国宝,本尊木造十一面観音立像(平安時代),銅造菩薩立像(飛鳥時代)は重要文化財に指定されている。
執筆者:堀池 春峰
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奈良県生駒(いこま)郡斑鳩(いかるが)町岡本にある寺。岡本山と号し、法相(ほっそう)宗系の聖徳(しょうとく)宗に属する。本尊は十一面観音(かんのん)。岡本寺、岡本尼寺、池後(いけじり)寺ともいう。岡本宮(おかもとのみや)の旧跡。622年(推古天皇30)2月聖徳太子薨去(こうきょ)に際し、聖徳太子が『法華経(ほけきょう)』を講じた岡本宮を山背大兄王(やましろのおおえのおう)が寺に改めて、大和(やまと)国(奈良県)や近江(おうみ)国(滋賀県)の田地を施入したことに始まる。638年(舒明天皇10)福亮は金堂と本尊弥勒(みろく)仏像を造立し、684年(天武天皇13)恵施は三重塔を建造し、706年(慶雲3)3月には露盤銘を刻んで、法隆寺型結構が整った。ただ本堂と塔の配置は法隆寺と逆である。白鳳(はくほう)時代のこの三重塔は法隆寺五重塔よりもさらに洗練された技法をもつ優雅な建築で、国宝に指定されている。寺は鎌倉・室町時代に衰微したが、1678年(延宝6)真政律師が学舎を修復するなど、近世に至って徐々に整備された。寺宝に虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)と称する金銅菩薩像(飛鳥(あすか)時代、国重要文化財、奈良国立博物館に委託)がある。
[里道徳雄]
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池後(尻)(いけじり)寺・岡本寺とも。奈良県斑鳩(いかるが)町にある聖徳宗の寺。岡本山と号す。三重塔(国宝)露盤(ろばん)銘文によれば,聖徳太子の遺願により大和の田12町と近江の田30町を施入し,638年(舒明10)福亮(ふくりょう)が太子の岡本宮跡に金堂を建立し弥勒像を安置したという。685年(天武14)恵施(えし)が堂塔を整えた。法起寺式伽藍配置をもつ。飛鳥時代の銅造菩薩立像,平安時代の木造十一面観音立像はともに重文。境内は国史跡。
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