出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
(1)民俗芸能正月の予祝の門付(かどづけ)芸能。万歳が家の予祝,鳥追(とりおい)が農耕予祝とされたのに対し,春駒は養蚕の予祝とされる。宮廷儀式にある白馬節会(あおうまのせちえ)が民俗化したというが不詳。木製の駒の首形を手にした頰かぶり,裁付袴(たつつけばかま)の者が,三味線,太鼓を囃子に〈めでためでたや春の初めの春駒なんぞ,夢に見てさえよいと申す……〉という祝言歌を唱えて家々の門口に舞い込んだ。眉目の美しい少女や若衆が演じたこともある。現在,新潟県佐渡郡相川町に,駒乗り姿の男春駒と駒頭の手綱を手にする女春駒が残り,山梨県塩山市一之瀬では,正月14日の道祖神(どうそじん)の祭りに,若者組が太鼓,鉦(かね)を囃して家ごとに舞い込む。沖縄県那覇市の旧辻遊廓で,二十日正月に演じられたズリ馬行列も,春駒の変化である。青森,岩手の両県に分布する駒踊(こまおどり)は,駒頭と尾を前後につけた竹製の輪を腰にくくり,騎乗姿の者が数人で激しく踊るが,これも春駒に関係があろうか。
(2)歌舞伎舞踊の曲名。現在各流派で踊られているのは長唄,本名題《対面花春駒(たいめんはなのはるこま)》。作詞増山金八。作曲初世杵屋(きねや)正次郎。振付中村伝次郎。1791年(寛政3)1月江戸中村座初演。民俗芸能の春駒をとり入れたもので正月の曾我狂言の中で演じられた。古くは1758年(宝暦8)3月江戸市村座の七変化(しちへんげ)《雛祭神路桃(ひなまつりかみじのもも)》で初世中村富十郎が,87年(天明7)3月桐座の《門出新春駒(かどいでしんはるこま)》で4世岩井半四郎が演じた。元禄年間(1688-1704)には《参会名護屋(さんかいなごや)》でも踊られた。なお,1703年刊の《松の葉》にも長歌の《春駒》が市川検校の作として収載されている。
(3)郷土玩具。竹馬の先に練り物や板製の馬の首に似せたものをつけ,下に車をつけたもので,子どもはこれにまたがって遊ぶ。平安朝ころからの竹馬が江戸期に入って改良されたものと思われる。《守貞漫稿》の図には,〈江戸制ハ太也竹馬ト云ズ春駒ト云〉とある。現在は鳥取県,香川県などに残っている。
執筆者:山路 興造
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※「春駒」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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