「津軽一統志」に由緒を次のように記している。
正保三年(一六四六)の津軽弘前城之絵図(内閣文庫蔵)にも、八幡宮とともに「別当 真言宗 最勝院」とあり、すでに八幡宮の別当職についていた。「津軽歴代記類」によれば、弘前城下建設の際、八幡宮建築を最勝院が命ぜられたという。
曹洞宗、妙高山を招いて最勝院の開山としたとする。「増訂豆州志稿」は、上杉憲忠が叔父上杉清方の菩提を弔うために吾宝を開祖として建立したもので、寺号は清方の法号最勝院に基づくとする。吾宝は本寺である相模国
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
青森県弘前(ひろさき)市銅屋(どうや)町にある真言(しんごん)宗智山(ちさん)派の寺。山号は金剛山(こんごうさん)。本尊は大日如来(だいにちにょらい)。1532年(天文1)春、弘信僧都(ひろのぶそうず)が陸奥(むつ)国(青森県)平賀郡堀越に3宇の伽藍(がらん)を造営したのに始まる。1612年(慶長17)弘前藩2代藩主津軽信枚(のぶひら)が弘前城下に弘前八幡宮(はちまんぐう)を創建したおり、当院はその別当寺となった。弘前藩の真言五山の筆頭として寺領300石を与えられた。明治維新のとき八幡宮と分離し大円寺跡(現在地)へ移転した。寺宝には1855年(安政2)書の「神社微細社司由緒調書上帳」8冊などがある。
[祖父江章子]
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