日本大百科全書(ニッポニカ) 「朝地」の意味・わかりやすい解説
朝地
あさじ
大分県南部、大野郡にあった旧町名(朝地町(まち))。現在は豊後大野市(ぶんごおおのし)の北西部にあたる地域。旧朝地町は1955年(昭和30)町制施行。2005年(平成17)三重(みえ)町、清川(きよかわ)村、緒方(おがた)町、大野(おおの)町、千歳(ちとせ)村、犬飼(いぬかい)町と合併して市制施行、豊後大野市となった。旧町名は中世大野庄志賀(しが)村の朝倉名(あさくらみょう)、近地名(ちかちみょう)の各一字をとる。JR豊肥(ほうひ)本線、国道57号、442号が通じる。中部は古生層と、これを覆う新第三紀火山岩類からなる大野山地、北部と南部は阿蘇(あそ)溶結凝灰岩の台地。農業が中心で、米、ウシ、シイタケ、カボス、タバコなどの複合経営をおもに行う。紅葉の名所の用作(ゆうじゃく)公園、室町時代の本堂(国指定重要文化財)をもつ神角寺(じんかくじ)、普光寺(ふこうじ)の磨崖仏(まがいぶつ)などの観光地がある。彫刻家朝倉文夫(ふみお)の生地。
[兼子俊一]
『『大分県朝地町史』(1968・朝地町)』