大分県南部の市。2005年3月朝地(あさじ),犬飼(いぬかい),大野,緒方(おがた),三重(みえ)の5町と清川(きよかわ),千歳(ちとせ)の2村が合体して成立した。人口3万9452(2010)。
豊後大野市北西部の旧町。旧大野郡所属。人口3431(2000)。大野川上流北岸に位置する。北部一帯は城山を中心に山地が占め,林業が営まれるが,大野川の支流平井川が東流する南部は水田が開かれ,中央を東西にJR豊肥本線,国道57号線が走っている。主産業は農林業で,米作,畜産をはじめ,シイタケ,タバコの栽培が盛ん。重要文化財の神角寺本堂,紅葉の名所として知られる用作公園,県下最大の磨崖仏である普光寺石仏などがある。
豊後大野市北東端の旧町。旧大野郡所属。人口4488(2000)。大野川中流域に位置し,中心の犬飼は大野川西岸にあって,江戸時代は近隣の物資集散の拠点として河港を中心に発達した。現在もJR豊肥本線が通り,国道10号,57号,326号線が分岐する交通の要地となっている。半農半商の町だが,北に隣接する大分市のベッドタウンとして住宅地化が進んでいる。また豊後花火の産地としても知られる。大野川と野津院川の合流点付近の約1kmの渓谷は犬江釜(けんこうふ)峡として知られる景勝地で,南の渡無瀬には犬飼石仏(史)がある。
豊後大野市北部の旧町。旧大野郡所属。人口5533(2000)。大野川上流北岸に位置する。北部山岳地帯を除いて,大部分は丘陵性の阿蘇溶岩台地で,酒井寺川,田代川,茜川などが台地を刻んでいる。主産業は農業で,米作,畜産やタバコ,シイタケなどの栽培が行われている。近年は畑地の灌漑事業が進み,サツマイモ,サトイモ,スイカ,イチゴなどの生産が伸びている。坊ノ原古墳,上津八幡社などがあり,八幡社の犬山神楽は県指定民俗文化財。豊かな森林に恵まれ,西部の鎧山一帯は神角寺芹川県立自然公園に属している。
豊後大野市南西部の旧町。旧大野郡所属。人口6546(2000)。大野川の支流緒方川が貫流する北部の緒方盆地が町の中核をなす。古代の緒方郷は宇佐八幡の封郷で,古代末期には緒方氏の拠る荘園となった。江戸初期に開削された緒方上井路・下井路により水田化されて県下有数の穀倉地帯になっている。南部は祖母・傾(かたむき)山系に囲まれた山岳地帯で,シイタケの一大産地となっている。奥岳川上流域にはかつて銀,銅,スズを産した尾平(おびら)鉱山があったが,1954年閉山した。国指定史跡の緒方宮迫東石仏・西石仏,国指定重要民俗資料の尾崎の石風呂,縄文時代の大石遺跡などがあり,南部山岳地帯は祖母傾国定公園に属する。JR豊肥本線が通じる。
豊後大野市南部の旧村。旧大野郡所属。人口2521(2000)。中央部を大野川支流の奥岳川が北流する。北部の阿蘇溶岩からなる丘陵地帯ではタバコや茶の栽培,養蚕などが行われ,豊肥本線が通り,町の中心砂田がある。南部の山岳地帯ではシイタケ栽培が盛んで,地下資源にも富み,石灰石,ドロマイト,マンガンなどが埋蔵されている。近年,プリンスメロン,イグサなどの栽培や牛,豚の飼育が盛んに行われている。旧石器時代の岩戸遺跡がある。
豊後大野市北東部の旧村。旧大野郡所属。人口2611(2000)。大野川中流北岸に位置する。南部を大野川,中央部を支流の茜川が東流し,茜川に沿って国道57号線が走り,中心集落の新殿(にいどの)がある。主産業は農業で,米,麦,タバコが栽培され,古くから養蚕も盛んである。近年,規模拡大による専業農家が増加し,畜産や施設園芸にも力を入れている。平尾神社の宝塔,鳥居など石造文化財が多く,柴山八幡社では奇祭ひょうたん祭が行われる。
豊後大野市南東部の旧町。旧大野郡所属。人口1万8241(2000)。大野川中流東岸に位置し,傾山(1602m),佩楯(はいたて)山(754m)の北麓にあたる。JR豊肥本線が通る。中心集落の市場は古代に三重駅が置かれた日向街道の要衝で,この地方の物資の集散地として,また2・7の日を市日とする六斎市場町として発達した。近世には臼杵(うすき)藩領であった。大野川とその支流の三重川沿いの低地には水田が開かれ,周辺の火山灰に覆われた台地ではサツマイモやタバコなどが栽培される。古くからのシイタケ栽培や牛・豚の飼育も盛んである。近年,芦刈地区に工業団地が造成され,電子部品やコンクリートなどの工場が進出している。蓮城寺(内山寺,内山観音とも呼ぶ)は炭焼小五郎伝説にまつわる寺として知られている。伝説によれば,欽明天皇のとき,百済(くだら)から僧蓮城を招来し,真名野(まなの)長者となった炭焼小五郎が建立したという。菅尾(すがお)石仏(史)は大野川に臨む断崖に刻まれた5体の石仏で,平安時代末期のものと推定されている。稲積(いなづみ)鍾乳洞では,洞内にたたえられた水の底に鍾乳石が見られ,水中宮殿として観光客を集めている。
執筆者:萩原 毅
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
大分県南西部にある市。2005年(平成17)大野郡三重町(みえまち)、緒方町(おがたまち)、朝地町(あさじまち)、大野町、犬飼町(いぬかいまち)、清川村(きよかわむら)、千歳村(ちとせむら)が合併して市制施行、豊後大野市となる。市名は郡名に由来。市域は大野川の中・上流域を占め、東を佩楯(はいだて)山、西を阿蘇外輪山の裾野、北を鎧(よろい)ヶ岳、御座(ござ)ヶ岳、南を祖母(そぼ)山、傾(かたむき)山などに囲まれる。大部分は山地で、大野川とその支流域に小盆地が開ける。JR豊肥(ほうひ)本線、国道57号、502号が東西に、10号、326号、442号が南北に走る。
大野川流域は旧石器時代遺跡の宝庫として知られ、代ノ原遺跡(だいのはるいせき)ではナウマンゾウの牙の化石が、岩戸遺跡(いわといせき)(国指定史跡)からは後期旧石器時代の集石墓遺構が発見されている。古代の大野郡には大野、田口(たぐち)、緒方、三重の4郷があり、三重郷域に推定される市域南東部には前方後円墳の立野古墳(たてのこふん)、重政古墳(しげまさこふん)などが集中。平安時代、大野郷では豊後大神氏一族の大野氏が勢力を張ったが、のち大野荘地頭職を得た大友氏が台頭。緒方郷に成立した緒方荘は、平安末期に源平合戦などで活躍した緒方氏の拠点であったが、のちに大友氏が進出。室町中期以降、市域は大友惣領家の支配下に置かれた。江戸時代、市域の村々は西部から南部が岡藩領、ほかは臼杵藩領に属した。17世紀中ごろ岡藩によって灌漑用の緒方上下井路が築造され、緒方盆地は岡藩最大の米どころとなった。岡藩では年貢米や特産のシイタケ、祖母山東方の尾平(おびら)、九折(つづら)鉱山から採掘した銅、錫(すず)などを、大野川中流の犬飼湊から大野川通船で外港の三佐(みさ)湊(大分市)へ輸送した。
現在の基幹産業は農林業で、米作のほか、シイタケ、ピーマン、サトイモ、ナス、アスパラガス、カボス、甘藷、茶などが特産で、木材生産や豊後牛の肥育も盛ん。祖母傾(そぼかたむき)国定公園、祖母傾県立自然公園、神角寺芹川(じんかくじせりかわ)県立自然公園に指定される豊かな自然環境を生かし、観光事業にも力を注ぐ。大野川本流に懸かる沈堕の滝(ちんだのたき)は景勝地として知られ、雪舟が「鎮田瀑図」を描いている。緒方宮迫東(みやさこひがし)・同宮迫西、菅尾(すがお)、犬飼の各石仏(磨崖仏)は、いずれも国指定史跡、神角寺本堂は国指定重要文化財。尾崎の石風呂(おさきのいしぶろ)は国指定重要有形民俗文化財。大草鞋を履いたひょうたん様が練り歩く奇祭、柴山八幡(しばやまはちまん)社のひょうたん祭は県選択無形民俗文化財。大分県央飛行場は1992年(平成4)に豊肥地区農道離着陸場として開港し、1997年に改称。現在は、大分県防災航空ヘリの基地、農産物の輸送、遊覧飛行などに利用。面積603.14平方キロメートル、人口3万3695(2020)。
[編集部]
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