東光院(読み)とうこういん

精選版 日本国語大辞典 「東光院」の意味・読み・例文・類語

とうこう‐いんトウクヮウヰン【東光院】

  1. 福岡市博多区吉塚にある真言系単立寺院。はじめ天台宗山号瑠璃光山。大同年間(八〇六‐八一〇)最澄の草創と伝えられる。正保四年(一六四七)藩主黒田忠之が再興し改宗。昭和四九年(一九七四)福岡市に譲渡

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日本歴史地名大系 「東光院」の解説

東光院
とうこういん

[現在地名]緑区平山

平山ひらやま地区の北寄り谷山やつやまにある。鈴得山東光院大金剛寺と号し、真言宗豊山派。石段を上ると中段仁王門がある。その上に薬師堂があり、本尊の木造伝七仏薬師坐像は県指定文化財で、現在は本堂に安置される。文和二年(一三五三)銘の薬師如来像があった。永野家文書によれば、古くは広徳こうとく寺と号し七仏薬師の別当寺であったが、四代目の住職の貞成の代、天正四年(一五七六)に後陽成天皇の病気回復を祈り病気平癒の後、五部の鈴と鈴得山大金剛寺東照院の勅号を与えられたという。のち乱世を避け寺宝は本寺の佐倉宝珠ほうじゆ院に預けられた。元禄一五年(一七〇二)寺社奉行の命で日光東照権現をはばかり東光院と改めた。


東光院
とうこういん

[現在地名]新穂村長畝 内巻

近世の谷塚たにづか村のうちにある。単立寺院で、竜亀山と号する。本尊文殊菩薩は奥院に安置される。弘仁二年(八一一)阿釈の開基と伝え、初めは日吉山宝幢ほうどう寺と称して天台宗であったという。当寺に残る印信によると、元亀三年(一五七二)正月七日空音から血脈の相承を許された賢朝が、佐渡に来て宝幢寺の住僧となり、天正六年(一五七八)に賢勝に印信を与えて血脈の相承を許した。このとき真言宗に改宗して現寺号としたとある。「佐渡国寺社境内案内帳」には紀州普門ふもん院末とし、開基は弘仁寅年とのみ記す。


東光院
とうこういん

[現在地名]岩村町富田

富田とみだ集落中央にあり、天徳山と号し臨済宗妙心寺派。本尊十一面観音(火水観音・不見火観音)。もとは打杭うちぐい山麓にあった庵寺で、霊験著しい火水観音と称する仏像を安置した。大円だいえん寺の属寺で、庵寺開基の大源孚公首座は天正元年(一五七三)に没している。元亀三年(一五七二)大円寺は武田方の兵火に焼かれ、住職も殺されたが、火水観音を祀る庵寺は難を免れた。


東光院
とうこういん

[現在地名]豊中市南桜塚一丁目

曹洞宗、山号仏日山、本尊薬師如来。萩の名所として知られ、一般には萩の寺とよばれる。境内には正岡子規の「ほろほろと石にこぼれぬ萩の露」のほか句碑が多い。また新西国三十三所霊場第一二番札所。大正三年(一九一四)まで大阪市大淀区にあったが、同年現在地に移転。寺伝によると、天平年間(七二九―七四九)行基の草創。行基が下三番しもさんば(現大淀区)で火葬の方法を伝授したのを起縁として薬師堂を建立したのを初めとする(「略縁起」寺蔵)

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事典・日本の観光資源 「東光院」の解説

東光院

(大阪府豊中市)
大阪みどりの百選」指定の観光名所。

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